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『逆に』+『確かに。』 気になります。
ここ最近、公私にわたり相槌に使用する(相槌に取って代わる。。) 『確かに。』 という言葉が気になります。 特別な日本語というわけでもなく、普通な会話文ではあるのですが 今現在の使われ方は昔はされていなかったと思います。 加え、『逆に。。』という言葉の使用頻度も気になります。 理由、発生源などお分かりの方、教えて下さい。
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- ruehas
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こんにちは。 このようなものは「イントロ語」に当たるのではないでしょうか。 他にも、 「要するに」 「ていうか」 「だって」 といったものがあります。 発生源は主に若年層であり、その特徴は「必ずしも必要と対応しない」ということです。 「確かに:肯定する必要がないのに使われる」 「要するに:総括する必要がないのに使われる」 「ていうか:否定する必要がないのに使われる」 これが言葉の先頭に使われるということは、自分が会話のイニシャルを握ろうとする行為ではないかと思います。 これが30代を過ぎますと「確かに」や「要するに」にとって代わってゆくわけですが、相手の発言を理解しているのではなく、相手の発言を評価することによって先手を取っています。 このようなことが可能になるため、イントロとして頻繁に使われるわけですが、「ていうか」「だって」といったようなものは、若い人たちがあまりにも軽はずみに他人の意見を否定してしまうので、最近ではひとつの社会現象として捉えられています。 私に言わせれば、曲がりなりにも他人の意見にNOと言うならば、それなりの根拠か、それなりの覚悟は決めて頂きたいものです。
確かにはそうだと認めておいて相手の意見を覆そうとしているときですね。「確かに」と言って一つ区切ることによってその会話の主導権を変えようとしていると思いますね。「逆に」は自分は反対意見をもっていてあいての正論を覆そうとたくらんでいると思いますね。
お礼
早速のアドバイスありがとうございます。 会話パターンとして、自分本位にもってくる要素を そこに含む形になるのでしょうか。。 主観で、判断材料を客観視点から用いるという 傾向なのでしょうか。。 『覆そうとしている』に共通する形になってしまいますね。
お礼
回答ありがとうございます。 他人の意見を否定するのに、同じキャパで物事を語ると 堂々巡りですね。。 ↑も一種の社会現象とすれば、その根源もまた気になります。 もっと危険なのは、否定を含む危険性を認識せずに 使用されているとしたらと仮定したときでしょうか。。 これも気になります。