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戦時中、大臣の息子達は戦地へ行って戦った?
戦時中、当時の政治家にも息子がいたと思いますが、その子供達は激戦の戦地へ行ったり もしくは特攻隊に入隊したりしたのでしょうか。 特攻隊や人間魚雷も、当時きちんと(?)法律を制定した上での作戦と聞いたので 家族を持ちながらなんてひどい法律を作るんだ?!と思ったもので…。 もし、そのような法律を作っておいて、自分の身内は行かせなかったなら最低。 でももし自ら行かせたのであれば、これはもう人間ではない。
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東條英隆…弱視で丁種合格(兵隊にはなれない) 東條輝雄…航空技師で零戦の改良などに携わる 板垣正…陸航士58期(陸軍軍人) 伊藤中将(大和特攻の時の司令官)の息子…特攻で戦死 西村中将の息子は全員戦死 阿南陸軍大臣の息子…たしか特攻で戦死 などです。
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- suicyo
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ご参考まで‥ 政治家の子弟だけではなく、特権身分である皇族や華族も戦地で戦死しています。 明治も半ばになると、華族という特権階級が制度化されます。公家・大名家などの旧身分と 維新功労者やその子孫が「皇室の藩屏」としての役割を期待された訳です。 で、これらの華族の子弟も徐々に軍人になってゆきます。うら覚えで恐縮ですが、確か 華族も皇室の藩屏として特権に甘んじずに軍人になれ!というようなキャンペーンが けっこう早い段階で張られたと記憶します。 以下、上級華族の身分で戦地を転戦した方々の実例です。 醍醐忠重候爵 ・醍醐家はもとは摂関家につぐ高い身分の公家の家柄。忠重は太平洋戦争開戦当時、醍醐候爵家の 当主でもあった ・開戦当時、海軍中将・潜水艦指令長官 ・その後ボルネオ現地司令官となり、赴任中に現地の叛乱を鎮圧したことが虐殺事件とされ、 戦犯指名(オランダ軍事法廷で有罪・射殺 56歳) http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kai-daigo.htm 音羽正彦候爵 ・もと皇族(朝香宮正彦王)で、臣籍降下し音羽侯爵家の当主となる ・赤城、山城、陸奥各分隊長等を歴任 ・マーシャル諸島クエゼリン島で玉砕30歳。戦死により海軍少佐に進級 http://navy75.web.infoseek.co.jp/kaisouroku/kaiso-02.html
お礼
今の政治家を見ていると、自分達に不利になるような法律は一切作らないような 印象を受けたので、戦時中はどうだったのかな…と思いました。 国民だけに押し付けず自分達も率先していた事がわかりました。 回答ありがとうございました。
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戦争末期は政府要職も軍人出身が多く、息子も軍人、というケースが多かったです。志願して軍人になった人は幹部候補生になり最前線に送られることがなかった人もいれば、戦死した人もいましたよ。もちろん沖縄や硫黄島などアメリカが進出する前に赴任していて結果的に激戦区になってしまったケースがありますけど。ある大臣の息子は中国に赴任中に捕虜となってシベリアに送られた例もあります。 ただ基本的に東条英機が指揮していたときは自分の息子だけでなく、自分自身が最前線に送られたケースは多々あるようです。これは東条英機の政策や方針に異議を唱えたりしたためで、懲罰召集として4,50歳で最前線で下級の身分で送られた人もいましたから。回答でない回答で申し訳ないですが、東条に反発しなかった側近で軍人でない息子の場合は仮に徴兵されてても最前線送りはなかったのではないでしょうかね。これは現在徴兵制のある国なら何処でも行われているのでは?
お礼
私の想像を超える時代だったんですね。 方針に意義を唱える事すら難しい時代。 回答ありがとうございました。
お礼
そうでした。当時の政治家は政治家というより軍人だったんでした。 基本的な事を忘れていました。恥ずかしい。。。 回答ありがとうございました。