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太平洋戦争

imp-dscの回答

  • imp-dsc
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回答No.5

アメリカと戦争しない。この一言に集約されます。 そもそもの発端は日露戦争です。これで日本がロシアに勝利しました。しかしその戦費の大半は他国からの戦時国債つまりは借金でありその中でアメリカの資金はかなり多かった。 最初の下馬評では圧倒的にロシアが優勢で仮に負けても鉱山などの権利を担保で押さえておけば取りっぱぐれはありません。そこで大穴の日本に賭けたのはアメリカはシナに対して自由貿易の門戸を開かせたいという考えがあったからに他ならないのです。 仮に満州近辺を日本。香港周辺の南部をイギリス。中部をアメリカと3カ国で分割するか満州の経営をアメリカと共同で行っていればアメリカ人やその資産を消極的に見ても人質とできた可能性は高いです。日系人の収容所送りが立場を変え同胞に対して実施されるとなれば日系人の悲劇は回避されたか世論の反感を招き民主党出身のルーズベルト政権は潰れるか短命化した可能性はあります。 ちなみにアメリカと言っても対日強硬だけで一致してた訳ではありません。基本的にWW1までは引き篭もり(モンロー主義)でしたし民主党のスタンスは反日・親中・リベラル・孤立主義で支持層は一般市民。共和党は親日・反中・保守主義・覇権主義(対外干渉)で支持層は富裕層です。これは今でも同じでブッシュ親子・レーガンが共和党。クリントンが民主党です。彼らの政策がそうした延長線上にある事が分かります。ちなみにルーズベルトは民主党ですし共和党は寧ろ日本に対し同情的な動きもあったそうです。 次の転換点はWW1です。これについては日本で語られる事は余りにも少ない。何故か?シンプルに関わりが少ないからです。 関わったと言えば戦後にドイツのシナ領土やポリネシアを信託統治するようになった事位ですから公平に見ても漁夫の利を得た訳です。その代償は日本の発言権は変わらず参戦したアメリカのそれは大幅に上昇した事による相対的な発言権低下と漁夫の利を占めた事によって買った反感のみ。これが後々大きな代償を必要となりました。 これによってそれまではたいして親しくなかった米英が接近。相対的に日英同盟の地位が下降します。おまけに講和条約前後にはドイツの徹底的な締め付けが成されましたが日本がWW1に参戦し発言力を確保していればドイツを史実通りに庇ったとしてもそれなりに説得力を持ちます。史実ではその逆でしたけどね。周知の通りこのドイツのへの過剰な締め付けはその後のナチスの台頭とWW2勃発を誘発しました。それが無ければ日米開戦の理由の3割は無くなります。ロシアへの抑止だった日英同盟は消極的にですが英と接近した米国への抑止となった可能性もありますが史実では破棄されています。これはWW1で英が愛想つかした側面もあるのです。これが無ければワシントン海軍軍縮条約での保有の制限はまた違った比率になったでしょう。こうした延長線上で国連脱退があり太平洋戦争があるのです。 回線後の失敗としては海軍の真珠湾は実は大失敗です。勝利の定義としては戦略目標の達成>彼我の出血量の過多となりますが真珠湾の目標としては1に戦力の撃破(この場合空母の機動部隊の殲滅と軍港機能の喪失)2に米国民の戦意喪失に当たります。どうですか?片方でも達成しましか?極端に言えば2は避けられなかったとしても1は万全を期すならば陸軍と連携しハワイの占領か最低限はドック及び燃料貯蔵施設を破壊したら日本とアメリカの補給状態は互角。有名な零戦の航続力を発揮してアウトレンジ戦法が大きな意味を持ちます。 次は陸軍と海軍の連携不全に関連しますが戦争後半の島嶼防衛戦の戦闘教義の拙さです。日本は当初は水際迎撃でやっていたのですがぺリリューから時給戦術に転換しました。事実これを採用した前述のぺリリュー・硫黄島・沖縄はアメリカ軍の犠牲も多くアメリカ世論の揺さ振りに成功しています。事実ぺリリューの中川大佐・硫黄島の栗林中将・沖縄の八原大佐はアメリカにおいて名将と評価されています。もしこれが最初から行われていれば、せめてもっと早くに実行されていたら当然アメリカ世論は講和論に耳を傾けたはずです。

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