• ベストアンサー

お茶の心について

表千家裏千家とありますが どちらが、お茶の開祖?の千利休の子孫ですか? また、家元制度というのは、子孫が無能でも営々と存続させる事ができるイージーな制度でしょうか? また、家元制度があるということは、お茶そのものが 昔からの決まりきった動作作法をする、誰がやっても同じで創造性や 個性が入り込む余地のないから成り立つ制度なのでしょうか? お茶の心について少し触れたいのでよろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • unakowa
  • ベストアンサー率38% (53/138)
回答No.1

>どちらが、お茶の開祖?の千利休の子孫ですか? 諸説ありますが、一般的には現在に伝わっている千利休を始祖とする流派は、表千家・武者小路千家・裏千家が存在します。 表千家の如心斎(表千家第7代)が千家を名乗るのは上記の三千家の嫡子のみと定めたため、現在も一子相伝となっています。 >また、家元制度というのは、子孫が無能でも営々と存続させる事ができるイージーな制度でしょうか? 家元はその流派の全てを受け継ぎさらに次代に伝えていく使命があり、それだけでも一般人には一生かかっても到達できないほどの技術と知識が必要となります。 また最近でも立礼式(椅子に座って点前する)や座礼式(あぐらをかいて点前する)など、それぞれの代の家元も工夫して新たな点前を考案しています。 従って、 >昔からの決まりきった動作作法をする、誰がやっても同じで創造性や 個性が入り込む余地のないから成り立つ制度なのでしょうか? という指摘は当たりません。 但し、いつの時代にも 「茶の湯とは 只湯を沸かし茶を点てて 飲むばかりなることと知るべし」 という利休の言葉(とされる)が生きていますので、興味を持たれたのであれば少しでも触れてみて、さらに興味を持たれたのであれば稽古してみてはいかがでしょうか。

koukunn
質問者

お礼

はい、家の母は免状をもっていますし、お道具もいろいろと ありますし、掛け軸も春夏秋冬変えています。 でも、私はNHKの放送をみるまで まるきり興味がありませんでした。 最近良く見るようになって 茶の真髄に触れたようなキモチです。

関連するQ&A

  • 【茶の世界】裏千家って裏ってことですか?

    【茶の世界】裏千家って裏ってことですか? とすると表の家はどこですか? 裏千家が密教なら本来の仏教といえる家元はどこなのでしょうか? 裏千家というだけで裏じゃないんでしょうか? なぜ裏千家と呼んでいるのでしょうか。 裏千家の千は千利休の千でしょうか? とすると表は千利休で元祖で、弟子が裏千家を作った? お茶の家元の歴史を教えてください。

  • 裏千家と表千家、どちらが本流?

    裏千家と表千家について、過去の質問を見ました。 しきたり、作法に違いがあることは分かりましたが、 千利休の正当な流れを継承しているのはどちらでしょうか。 なぜ裏と表に分かれたのでしょうか? 千利休の子孫が継いでいるのはどちらですか?

  • 武者小路千家流

    茶道を習おうと思います。 表千家 裏千家 は 見学をして様子を把握しました。 武者小路千家流にも興味があるのですが 今ひとつ情報がみつかりません。 お稽古されている方、また作法の違いや特長をご存知の方がいましたら 教えてください。 千利休の歴史的背景はわかりますが具体的な、作法の違いなどがわかりません。 できれば裏千家と武者小路千家流の大きな雰囲気の違いを知りたいと思っております。

  • 【茶道】裏千家、表千家、千利休の茶道は茶碗にどれだ

    【茶道】裏千家、表千家、千利休の茶道は茶碗にどれだけの量の抹茶を作るのか規定等はあるのでしょうか? 茶碗の割にお湯の量が少ないように思うのですが、茶碗の半分まで抹茶を作ったら茶道の作法として駄目なのですか? 茶碗に8割ぐらいの量の抹茶を立てるのはNG行為なのか教えてください。 茶碗の体積に対して1割、2割くらいしかお茶を立てないのは何か理由があるのですか?

  • 裏千家茶道 毎年の許状申請(締切)時期を教えてください

    こんにちは。 茶道裏千家における、毎年の許状の申請時期(=家元が受け付ける時期)を教えていただきたいです。 年2回、春と秋ごろなのでしょうか? 生徒がいつぐらいから準備を始め 先生が受領し 先生が裏千家に提出する のはそれぞれいつぐらいと決まっているのか知りたいです。過去の経験でもかまいませんのでお教え頂ければ幸いです。 ちなみに一番知りたいのは裏千家ですが、表千家や他の流派にも興味があるので、 経験をお持ちの方がいらしたら教えていただきたいです。

  • 【茶道で笑われた話】茶道のことを「ちゃどう」と言っ

    【茶道で笑われた話】茶道のことを「ちゃどう」と言ったら笑われました。茶道はさどうと言うのが正しい理由を教えてください。ちゃどうという言い方が間違いであるとなぜ言えるのですか?千利休が茶道のことをさどうと言っていたからですか? では、茶道具もちゃどうぐではなくさどうぐと裏千家も表千家の人たちは言うのでしょうか? あと抹茶をいただく席に付くと皆さん扇子を自分の後ろに置いていましたが、席から立つわけでもないので自分の場所が分かるように目印として置いておくのが茶道のマナーなのですか?でもいまは冬で扇子って夏しか使わないのでは? で、結局、扇子は一切使わずに茶会は終わりました。扇子ってはてして必要だったのでしょうか?

  • 千利休の答えは?

    裏千家のお茶を習い始めています。 動機は、いつか自然体でお茶を楽しめるようになれたらいいな・・との憧れからです(まぁ、無理なんでしょうけどね)。 しかし稽古を受け作法を知っていくなかで、いくつかの疑問が湧いてきましたので、お聞きします。 1.男性の場合、スーツの靴下は白と決められているようですが、それは間違いではないかと、ずっと疑念が残ったままです。 思うに、そう決められた理由は足袋は白だから靴下も白だからでしょうね。 でもそれは明治か大正か、いつの事か知りませんが、日本の服装の過渡期に深く考えられないまま、白だから白と単純かつ無難にまた一時凌ぎ的に決められた事が何時の間にか正式な約束事なってしまったと思っています。 しかし千利休が今に生きていて、外国(洋服)の正装(スーツの意味)は如何なるものかを理解しても、茶席ではやはり靴下は白でなければ非礼だと考えるのでしょうか? 「つべこべ言わず、まず茶道の研鑚に励む事が、今は第一だ」なんて言わず、お暇があればご意見を聞かせて下さい。 PS: 長くなりましたので、もう一点の疑問が省略します。

  • 茶道・三千家の違い(イメージ)やお教室の探し方について。

    数年前の話なのですが、友人の中高の学園祭に伺った際、茶道部で茶道体験を行っていたので参加しました。 生まれて初めて自分でお茶を点てたのですが、 和菓子を頂いた後のお抹茶がとても美味しかった事を、最近また思い出し、興味を持ちました。 (ちなみにその時は、裏千家で薄茶だったようです。) そこで、安易なキッカケではありますが、茶道のお稽古事に挑戦してみたいな、と思っております。 いろいろ調べてみますと大きく三千家あり、 次男三男四男と家元様が違うのはわかったのですが、詳しいところはサッパリなので教えていただきたいです。 技術的なことではないのですが、 表千家は、昔ながらのやり方を守ってらっしゃるですとか、真面目ですとか、伝統を守ってお堅い感じの印象を受けます。 一方、裏千家は新しい事にチャレンジする、商売上手で若い方が多い、など自由で新鮮な印象を受けました。 武者小路千家は残念ながら、情報が何もないので大体のイメージも何もわからない状態です。 そして、以下のことを教えていただきたいです。 (1)三千家の違い、イメージ。(表は地味、裏は派手だとか耳にします。) (2)都内でのお教室の探し方、選ぶ際の注意点など。 (3)入会金、月謝、水屋料などの大体の相場。 茶道に関して全くの無知ですので、教えていただけたら幸いです。 よろしくお願い致します。

  • ぶつかり合った強烈な個性

    その昔千利休という高名な茶人がおりました。 御存じ三千家の始祖にして、天下一の茶人の名を欲しいままにしましたが、それ以上に狭い茶室で天下人と膝を突き合わすその姿が諸侯をして憚らせ、自然に或る種の政治的影響力を持つに至ります。 ところがそんな彼も天下人豊臣秀吉の逆鱗に触れ死を賜わる事となる、その原因に就いては諸説あり個人的にも何冊かの本を読みましたが、そのどれもがなるほどと思えるその一方で何となく説得力に欠ける気がしないでもない、何せ社会に於ける裁量なんて今も昔もいい加減なものです、その殆どが好き嫌いの領域と言ってもいいでしょう、・・とすれば利休に死を齎せたとされるその殆ど全ては後付の理由に過ぎない。 私なりに理解するところは、愛寵が深かった分、それが憎しみに転じた際死を命じるほどに秀吉の針が振れてしまった・・、つまり好きな間は 「 あばたもえくぼ 」 で何でも許せるが、その逆に振れた場合には 「 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い 」 、言うなれば世俗の男女の仲と何等変わるところがないのではなかろうかと・・。 何せ独特の美学をお持ちの複雑な人ではあったようです、侘び寂びを尊ぶ余り秀吉の派手好きを暗に批判し、刃の上を素足で渡るような危うい事も何度かしている、即ち互いに一歩も引かない強烈な個性がぶつかり合った果てに、世俗の力学が働きその延長線上にあの結末があるという事でしょう。 その種の個性の激突は歴史を見渡せば色々とある、項羽と劉邦・曹操と劉備 、近いところでは ヒトラー と スターリン そして ケネディ と フルシチョフ、少しばかり人選に難があるかも知れませんが ・・。 さてぶつかり合った強烈な個性・・、思うところをお教え下さい。

  • 身近な歴史話を教えてください(伝説OK)

    私は浅学ですが、歴史好きです。 私が歴史に興味を持ったきっかけは、先祖が「織田家」の出入り商人だったことからです。 私は尾張地方に住んでおり、すぐご近所に「織田さん」(子孫の方)がお住まいです。 この家に出入りするために、先祖は近くに居を構えたそうです。 子どもの頃は、話半分に聞いていましたが、ご近所の織田家から古文書が見つかり、 NHKが取材に来ました。その古文書に我が家のことが、少しだけ書かれていたらしく、 家にも取材班が来ました(徒歩3分なのでついでだったんでしょう)。もう30年以上昔の話です。 父が張り切って眼鏡も服も新調して取材に応じましたが、ニュースではカットされていました(笑)。 それで法螺話と思っていた「織田家出入り説」が本当だとわかり、 その他の我が家伝説が、多少信憑性を帯びて来ました。 千利休に直接お茶を習ったとか習わないとか。 利休さんも堺商人ですから、商人仲間として茶席に同席させてもらう機会くらいは 万が一にも、あったかもしれません(そう考えた方が楽しいです)。 我が家では、お茶の作法は当主から当主に伝え、外に習いに行くことはありません。 (実際は文化センターとかにも習いに行きますが、参考にする程度で我流優先です)。 それは「利休さんに直接習ったから、他で習う必要なし」という、結構むちゃくちゃな理由です。 ま、自分流の方が楽ですし、お金もかからないので商人らしい合理性ではありますが。 我が家は、何代も前に跡継ぎが途絶え、養子が跡を継いで、さらに私の父も夫婦養子ですので、 実際に織田家と交流があったご先祖とは、もう血のつながりは全くありません。 しかし、私が習った自動車学校の教官は「木曾義仲」の直系の木曾先生でした。 木曾先生には学科を習いましたが、なぜか1時間丸ごと「木曾家」にNHKが取材に来たビデオを 見せられました(木曾先生が、家系図や古文書などを記者に見せて説明していました)。 車校でこんなことやってていいのかな?と疑問に思いつつも、私は結構楽しく拝見しました。 (他の生徒は寝てました)。木曾先生は着物をお召しになって堂々と取材に応じておられ、 ニュー眼鏡まで用意して、親戚に電話しまくった挙げ句、カットされた父とはエライ違いでした(笑) 今年、父の3回忌を迎え、ふと当時張り切っていた姿を懐かしく想い出しました。 この手のお気楽伝説や、お知り合いにこういう方がおられます、みたいな話を、 よろしければお教えください。尾張地方はこういう伝説の宝庫です。

専門家に質問してみよう