• ベストアンサー

江戸時代の歌舞伎の女形の風俗について。

江戸時代の野郎歌舞伎以降の女形の日常の風俗(特に服装)について お尋ねしたいです。 色々調べてみたのですが、なかなか詳しいことがわかりません。 具体的には、 ◆髪型(野郎帽子の種類、髪型の種類、また野郎帽子で     隠していたと言われる月代は、いつの時代まで     本当に剃っていたのか) ◆化粧(化粧はしていたのか。またどういったメイクアップ法だったのか) ◆衣裳(男物を着ていたのか、それとも女物だったのか。     また振袖だったのか、普通の小袖だったのか。     帯の種類や結び方は?) ◆小物(下着類、下駄等は特に決まりがあったのか。     杉本苑子さんの『傾く滝』では胸にサラシを巻いて、     赤い股引きをはいていたと書いてあるのですが、     本当でしょうか?) …といったようなことが知りたいです。 また、他にこの時代の女形特有の風俗がありましたら、 是非教えて下さい。 それと、こういった女形の風俗についての資料等が御座居ましたら、 資料名も宜しくお願い致します。

  • 歴史
  • 回答数2
  • ありがとう数7

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Alicelove
  • ベストアンサー率35% (199/558)
回答No.1

江戸時代までは、歌舞伎と言えど、女形というより女優も多かったと思われます。 だいいち、歌舞伎の祖である出雲の阿国は女ですもんね。 で、江戸時代になり売買春が横行しているため、幕府から男女が同じ舞台に立つ ことを禁じられたので、女形が脚光を浴びてくるのです。 しかし、江戸時代はまだまだ伝統芸能として格式があるわけでもなく 歌舞伎女優が売買春をしていたように、女形もそれとは切っても切り離せません。 酌婦として接待の席に呼ばれたり、客を取るということも多かったでしょう。 江戸時代のゲイを陰間というのはご存知でしょうか? 舞台の出待ちに幕の陰に立っていたことから、売れない女形は陰の間にウリをする そこから出た名称らしいです。 で、男娼の店を陰間茶屋といったらしいです。 で、そこをキーワードに探しました・・・ ↓のサイトの一番下にある錦絵がそれらしいです。

参考URL:
http://www2.kokugakuin.ac.jp/~zyokoym/harunobu.html
manosuke
質問者

お礼

御丁寧に有り難う御座居ます。 『陰間』の意味、 >舞台の出待ちに幕の陰に立っていたことから、 >売れない女形は陰の間にウリをする というのは初耳でした。 興味深い話を有り難う御座居ます。 また、サイトの錦絵も珍しくとても綺麗でした。 本当に有り難う御座居ました。 ただ、女形の衣裳等についての詳細 (絵だけでなく、名称等)について更に詳しく知りたいので、 このまま他の方からの回答を待たせて頂きます。 どうぞ御了承下さいませ。

その他の回答 (1)

  • gazeru
  • ベストアンサー率42% (465/1093)
回答No.2

井原西鶴の「男色大鑑(なんしょくおおかがみ)」は、すでにお読みになっていますか? もし、まだでしたら、検索エンジンを利用して、「男色大鑑」で検索してみてください。 絵が見られるサイトもあります。風俗が少しわかるかも。 http://www.google.com/search

manosuke
質問者

お礼

お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。 『男色大鑑』で検索したところ、 頭から最後まで毎頁読めるサイトを発見致しました。 本当に有り難う御座居ました。

関連するQ&A

  • 江戸時代での歌舞伎について

     歌舞伎で「やつし」という言葉がありますが、この意味は「説教節(仏教の?)とも通底する貴種流離の思想を継承、お家騒動や遊蕩で家を追われた若殿や若旦那が世を忍ぶ仮の姿を演ずる」ことを意味するそうですが(日本の古典 江戸文学編 放送大学教育出版)説教節とお家騒動で家を追われた若殿がどう結びつくのですか?

  • 歌舞伎の女形のかつらって?

    歌舞伎の女形のかつらの名前を教えてください。 ( 生締 むしり 燕手 車? 片ながし )

  • 歌舞伎の女形化粧で、、

    こんばんは、歌舞伎の女形の化粧を町内会の出し物で、担当する事になって、いろいろとサイトを探すのですが、、なかなか良い物に出会えません どなたか、良いサイトご存知だったら教えてもらえませんか?なるべくなら、詳しく書かれているものがいいです。時間がないので、PCサイトで 見れるものをよろしく、お願いします。

  • 歌舞伎の立役、女形

    歌舞伎についてほんとに基礎的な質問です。歌舞伎役者さんの大概は子供のころからお稽古をしているわけですよね、そして、その成長過程で、あなたは立役、あなたは女形、という風に決められていくのですか?両方をやる方ももちろんおられますが・・・

  • 侍烏帽子の変遷

    エンターテイメントとしての時代劇やマンガの考証については、まあとやかく言うつもりはないのですが、室町期の烏帽子の扱いについて曖昧であるように思います。 侍烏帽子が、髻を入れる必要のない舟形になったのはいつ頃でしょう? また、それ以前の形がまったく被られなくなるのはいつでしょうか? 烏帽子は古くは貴族から庶民まで常の被り物だったわけですが、室町期までには国の乱れもあり、着用も少なくなっていったと聞きます。 月代の風潮もあり、髪を後ろでまとめるようになると侍烏帽子などは形を変え、舟形になっています。 しかし庶民にまで月代が行き渡るのは江戸に入ってからですし、貴族の傍流や古い家柄の守護といった大名はまだ髻を高くして、巾子形に収めていたと思うのです。 (屋形号のないような国人層は露頂の流れにも自由に乗れたでしょうが) そこで、舟形と古式の侍烏帽子が同時期に使用されていたこともあるのだろうか?と疑問になりました。(東西の文化のズレなどもあるでしょうか) 烏帽子関連の何か資料となるものや、研究などご存知でしたらお教えください。 ※大河ドラマが好きなのですが、どうも髪型に違和感があります。月代は剃らないし(近年の信長に多い)烏帽子は存在しないかのごとくです。「毛利元就」では被っておりましたが巾子形のある古いものでした。し、しかし肖像画では舟形ですし月代を剃っているように見えます・・・。

  • 平安時代江戸時代の風俗

    平安時代は400年江戸時代は300年続いたわけですが、この間政治的にはいろいろ変化があったようです。しかし、風俗というか風習一般社会情勢というのは、そのあいだほとんど変化しなかったんでしょうか。それとも、高度経済成長によって社会家庭生活が変わったように、なにか進歩発展していたのでしょうか? 私が知っている限りでは、大刀の形が平安時代後期になって反ってきたということぐらいです。

  • 江戸時代。歌舞伎の地方公演。

    お家騒動を題材とした歌舞伎、例えば『伽羅先代萩』(伊達騒動)や『加賀見山旧錦絵』(加賀騒動)は、騒動の地元でも演じられたのですか。 歌舞伎でなくとも講談や芝居でもかまいません。 よろしくお願いします。

  • 江戸時代歌舞伎舞台照明

    どなたか、江戸時代の歌舞伎の舞台の証明の仕組みについてご存知の方があれば教えて下さい。ロウソク、提灯のみと了解していますが、天井からぶら下がっていたのでしょうか。かがり火のようにスタンドに立ててあったのでしょうか。例えば下からのフットライトや、スポットライトのような装置はあったのでしょうか。ご教示よろしくお願いします。

  • 歌舞伎の女形で、本当にオカマの人はいますか?

    歌舞伎の女形の人で、はるな愛のような本当にオカマの人はいますか? 片岡愛之助は違いますよね?

  • 歌舞伎『お江戸みやげ』

    歌舞伎初心者です。 『お江戸みやげ』のラストシーンで、 阪東栄紫がお辻に袖口から布を破って渡していましたが、 それはどういう意味合いがあるのか、ずっと気になっています。 歌舞伎の詳しい方、お教え願います。