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江戸時代の歌舞伎の女形の風俗について。
江戸時代の野郎歌舞伎以降の女形の日常の風俗(特に服装)について お尋ねしたいです。 色々調べてみたのですが、なかなか詳しいことがわかりません。 具体的には、 ◆髪型(野郎帽子の種類、髪型の種類、また野郎帽子で 隠していたと言われる月代は、いつの時代まで 本当に剃っていたのか) ◆化粧(化粧はしていたのか。またどういったメイクアップ法だったのか) ◆衣裳(男物を着ていたのか、それとも女物だったのか。 また振袖だったのか、普通の小袖だったのか。 帯の種類や結び方は?) ◆小物(下着類、下駄等は特に決まりがあったのか。 杉本苑子さんの『傾く滝』では胸にサラシを巻いて、 赤い股引きをはいていたと書いてあるのですが、 本当でしょうか?) …といったようなことが知りたいです。 また、他にこの時代の女形特有の風俗がありましたら、 是非教えて下さい。 それと、こういった女形の風俗についての資料等が御座居ましたら、 資料名も宜しくお願い致します。
- manosuke
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質問者が選んだベストアンサー
江戸時代までは、歌舞伎と言えど、女形というより女優も多かったと思われます。 だいいち、歌舞伎の祖である出雲の阿国は女ですもんね。 で、江戸時代になり売買春が横行しているため、幕府から男女が同じ舞台に立つ ことを禁じられたので、女形が脚光を浴びてくるのです。 しかし、江戸時代はまだまだ伝統芸能として格式があるわけでもなく 歌舞伎女優が売買春をしていたように、女形もそれとは切っても切り離せません。 酌婦として接待の席に呼ばれたり、客を取るということも多かったでしょう。 江戸時代のゲイを陰間というのはご存知でしょうか? 舞台の出待ちに幕の陰に立っていたことから、売れない女形は陰の間にウリをする そこから出た名称らしいです。 で、男娼の店を陰間茶屋といったらしいです。 で、そこをキーワードに探しました・・・ ↓のサイトの一番下にある錦絵がそれらしいです。
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- gazeru
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井原西鶴の「男色大鑑(なんしょくおおかがみ)」は、すでにお読みになっていますか? もし、まだでしたら、検索エンジンを利用して、「男色大鑑」で検索してみてください。 絵が見られるサイトもあります。風俗が少しわかるかも。 http://www.google.com/search
お礼
お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。 『男色大鑑』で検索したところ、 頭から最後まで毎頁読めるサイトを発見致しました。 本当に有り難う御座居ました。
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お礼
御丁寧に有り難う御座居ます。 『陰間』の意味、 >舞台の出待ちに幕の陰に立っていたことから、 >売れない女形は陰の間にウリをする というのは初耳でした。 興味深い話を有り難う御座居ます。 また、サイトの錦絵も珍しくとても綺麗でした。 本当に有り難う御座居ました。 ただ、女形の衣裳等についての詳細 (絵だけでなく、名称等)について更に詳しく知りたいので、 このまま他の方からの回答を待たせて頂きます。 どうぞ御了承下さいませ。