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侍烏帽子の変遷
エンターテイメントとしての時代劇やマンガの考証については、まあとやかく言うつもりはないのですが、室町期の烏帽子の扱いについて曖昧であるように思います。 侍烏帽子が、髻を入れる必要のない舟形になったのはいつ頃でしょう? また、それ以前の形がまったく被られなくなるのはいつでしょうか? 烏帽子は古くは貴族から庶民まで常の被り物だったわけですが、室町期までには国の乱れもあり、着用も少なくなっていったと聞きます。 月代の風潮もあり、髪を後ろでまとめるようになると侍烏帽子などは形を変え、舟形になっています。 しかし庶民にまで月代が行き渡るのは江戸に入ってからですし、貴族の傍流や古い家柄の守護といった大名はまだ髻を高くして、巾子形に収めていたと思うのです。 (屋形号のないような国人層は露頂の流れにも自由に乗れたでしょうが) そこで、舟形と古式の侍烏帽子が同時期に使用されていたこともあるのだろうか?と疑問になりました。(東西の文化のズレなどもあるでしょうか) 烏帽子関連の何か資料となるものや、研究などご存知でしたらお教えください。 ※大河ドラマが好きなのですが、どうも髪型に違和感があります。月代は剃らないし(近年の信長に多い)烏帽子は存在しないかのごとくです。「毛利元就」では被っておりましたが巾子形のある古いものでした。し、しかし肖像画では舟形ですし月代を剃っているように見えます・・・。
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回答No.1
お礼
回答ありがとうございます。 資料といいますのは、基本的に紙媒体のものを考えております。 Webサイトについては教えてgooに来る前に大体目を通しておりました。