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侍烏帽子の変遷

エンターテイメントとしての時代劇やマンガの考証については、まあとやかく言うつもりはないのですが、室町期の烏帽子の扱いについて曖昧であるように思います。 侍烏帽子が、髻を入れる必要のない舟形になったのはいつ頃でしょう? また、それ以前の形がまったく被られなくなるのはいつでしょうか? 烏帽子は古くは貴族から庶民まで常の被り物だったわけですが、室町期までには国の乱れもあり、着用も少なくなっていったと聞きます。 月代の風潮もあり、髪を後ろでまとめるようになると侍烏帽子などは形を変え、舟形になっています。 しかし庶民にまで月代が行き渡るのは江戸に入ってからですし、貴族の傍流や古い家柄の守護といった大名はまだ髻を高くして、巾子形に収めていたと思うのです。 (屋形号のないような国人層は露頂の流れにも自由に乗れたでしょうが) そこで、舟形と古式の侍烏帽子が同時期に使用されていたこともあるのだろうか?と疑問になりました。(東西の文化のズレなどもあるでしょうか) 烏帽子関連の何か資料となるものや、研究などご存知でしたらお教えください。 ※大河ドラマが好きなのですが、どうも髪型に違和感があります。月代は剃らないし(近年の信長に多い)烏帽子は存在しないかのごとくです。「毛利元就」では被っておりましたが巾子形のある古いものでした。し、しかし肖像画では舟形ですし月代を剃っているように見えます・・・。

みんなの回答

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.1

>烏帽子関連の何か資料となるものや、研究などご存知でしたらお教えください。 ここの部分だけでしたら、資料見つけてきました。 http://members3.jcom.home.ne.jp/pehota02/equipment/headgear/headgear02.htm http://members3.jcom.home.ne.jp/pehota02/equipment/headgear/eboshi.htm >月代は剃らないし(近年の信長に多い)烏帽子は存在しないかのごとくです。 鳥帽子って現在かぶっているのは、神道の神官職の方々のみだと思います。 中世においても、おそらくですが、ある民族の方々が被りだしていたんじゃないかって思います。 鳥帽子というように鳥をモチーフにしており、神社は鳥居があり、鳥つながりがおおいです。 神武天皇を助けたのも鳥。 これを文字通り空飛ぶ鳥と私は考えておらず、渡来人だと考えます。 ちょんまげってありますが、なんであんな形をしているのだろうと思ったのですが、一説だと鳥なのだそうです。 髪型で横に広がっているのも、鳥が羽を広げている形。 頭に鳥が乗っているってわけです。 恐らく頭に鳥がとまるって、宗教的な何かの意味があると思います。 だから、その勢力が応援した勢力が勝ってきて、宗教を広めていったんじゃないかと。 全国に禰宜を派遣して、統合していった時代もありましたし。

carwing
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 資料といいますのは、基本的に紙媒体のものを考えております。 Webサイトについては教えてgooに来る前に大体目を通しておりました。

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鉄板にネジ山を作る方法
このQ&Aのポイント
  • 鉄板に新しいネジ山を作成するためには、適切な工具が必要です。質問者は、ダイスセットで新しいネジ山が作れるか疑問を抱いています。
  • ダイスセットは既存のネジ山の補修に使われるもので、新しいネジ山を作成するための工具ではありません。
  • 新規に鉄板にネジ山を作成するためには、タッピングドリルビットやタップセットを使用するのが一般的です。
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