• 締切済み

父親の死の受け止め方について

先月親父が死にました。 親父は76歳でした。まだ意識もあって外も歩けた頃に、二人で近くの喫茶店に行き話しをしたのです。その時にふと、今となっては内容は思い出せないのですが、親父が自分の人生には後悔が多いみたいな事を言ったのです。 その後意識があまりなくなり病院のベッドで寝ている親父は、目が悲しそうに見えました。 そのまま普通の会話はできずに親父は逝ってしまったんです。 結局のところ親父は幸せな人生を送ったのだろうか。 僕は今26歳です。今まで恋愛が終わった時とか、仕事で失敗した時などいろんな状態から立ち直ると言えば大げさですが、自分の気持ちに整理をつける方法はありました。 でも今回は少し難しいです。 親父が最後の方は何を考えていたのか、それは誰にもわからないって事はわかるのですが、なんだか解けない問題をずっと考えてるようで複雑な心境です。 時々思い出すと、たまらなく悲しくなる時があり、涙が勝手に出ててしまいます。 人は必ず死ぬし、親父が死ぬのは半年前からわかってました。 その時は自分の気持ちを整理できていたと思っていました、でも違ったみたいです。 おそらく時間が解決するのだろうと思いますが、それまでにいろいろな方の意見を聞かせて欲しいと思い投稿します。

  • kraft
  • お礼率78% (43/55)

みんなの回答

  • tofra
  • ベストアンサー率26% (36/135)
回答No.6

私が27歳の時、父は自殺しました。63歳でした。 私と弟は郷里を離れており、母と二人暮らしで、父も母もまだ仕事が現役でした。 そのため、母が休日に仕事で出かけたすきに、うつ病での発作的な自殺をしました。 遺書もありませんでした。 私と弟は「心配をかけてはならん」という母の意志で、何も知らずに東京で生活していました。 電話して「お父さんは?」と言っても、いつも「もう寝たから」との返事でした。 盆暮れには必ず帰省しましたが、やせてはいたものの、持病の糖尿病が かなり悪くなっているということには気づきませんでした。 亡くなる3ヶ月前に、家族旅行をした時、私は胃腸をこわし、吐いてばかりいました。 やせ衰えた父に「大丈夫?」と言われたのが、最後の会話でした。 いつも酔っぱらって、私たち姉弟が世話をしていた父。 当然両親は不仲で、父は愛人を作り、私たちに超支配的だった母。 父の葬式で私が泣いていると、「みっともないから泣くな」と言った母。 私は、母のことをずっと憎んできました。でも、母がああなのは父のせいだと気づいた時、 もう父はいませんでした。 しばらくは、なぜ、私の疑問に答える前に勝手に死んだのか、と怒りの感情がありました。 ですが、そのあと、よく夢に出てくるようになりました。お酒を飲んでいない時の、陽気な父です。そういう時の父は大好きでした。 その頃は、思い出しては泣いてばかりいました。 でも、だんだん、生前よりも、今の方が、近くにいてくれる気がしてきました。 もう10年たちました。今でも涙は出ます。後悔もあります。 でも、今は、本当に、私の中に、私の上に、父は生きていて、見ていてくれる感じなのです。 宗教的なことではなく、感覚なのです。 先月、父の母(祖母)が亡くなりました。95歳、父の死からちょうど10年後でした。 父の葬式の時、その3年前につれあい(祖父)を亡くし、 そして次男(父)を亡くした祖母は、 「行きたいけど、お迎えが来んでの~。わしの席も空けといてくれやあ」と 悲痛な声で言っていました。 ある意味、親が先に行くのは当たり前で、その逆がどんなに辛いか、身にしみました。 あなたは、お父さんがお年を召してからできたお子さんなんですね。 さぞかし、可愛かったことでしょう。 時間があれば、もっと話したいと思われていたでしょう。 喫茶店で話されたということ、大事にしてください。 私は、それをも台無しにしてしまいました。 親しい人が亡くなった時、普通の状態に戻るまでには、誰しもが通る一定の道があるといいます。 よく覚えていませんが、まず驚き→嘆き→怒り→自己嫌悪→浄化→回復、だったか・・・。 ですから、泣く時は泣けるだけ泣いてください。 私も頻度は減りましたが、これを書きながら、久々に泣いています。 長々しく、支離滅裂ですみません。 これからも、お父さんのことをいろいろ考えてあげてください。

kraft
質問者

お礼

皆様、本当にありがとうございます。 まとめてお礼をするという非礼をお許し下さい。 親父の死ぬ2週間くらい前から、医師から聞いてはいましたが、聞かなくてもわかったのです。人があんな状態で何日も生きられるわけがないと、一目見ればわかれます。その時の親父の顔が時々目に浮かんできます、それも苦しかったんです。 でも、皆様の下さった回答を何回も何回も読みました。 気持ちに整理をつける必要はないのですね。 今までの、親父に対する感謝の気持ちや、教わった事などと一緒に悲しみも自分の心に抱き続けてゆけばいいのだろうかと思うようになりました。 親父の人生は後悔だらけのものではないはず、どちらか一方だけの人生は存在しないという言葉、大事にします。 この場は皆様にお礼を書くという場所なのに、 言葉がうまく出てきません。 感謝なんて言葉では書き表せません。 とても辛い思いを抱いてる皆様なのに、あえてその事を書かせてしまうような投稿をした事、申し訳なさで一杯です。 それでも泣きながら読ませていただきました。 こんなに優しく、暖かい言葉をかけていただけるなど、思っていませんでした。 このことは忘れられません。 皆様、本当にありがとうございました。

kraft
質問者

補足

今回の投稿についてですが、 教えてgooの趣旨に反するのではないかと思われますが、どうしても「良回答」という限定ができず、かといって「該当無し」というのは皆様に感謝している私の気持ちからまったく遠く、どうすればいいか悩んだのですが、やむなく「該当無し」を選ばざるをえなかった事を御理解下さい。申し訳ございません。

noname#49080
noname#49080
回答No.5

私が20歳の時に、父を心筋梗塞で亡くしました。59歳でした。 当時は父親とほとんど話をしない状態でしたが、亡くなった日は、私が仕事で東京に向かうため、車で送ってもらう予定でした。父はと言うと免許の更新に行く予定でした。 私はまだ寝ていたのですが、突然の大声「痛てー!」と言う声で起こされました。そのまま胸をおさえ、いびきをかきはじめ救急車で病院に運ばれたのですが、そのまま助かることはありませんでした。 糖尿病で治療をしていたのですが、こんな風になるなんて夢にも思いませんでした。 父への態度があまりにもひどかったと、何度後悔したかわかりません。 もうすぐ8年になりますが、今でも思い出すと涙が出てきます。(自分のことですみません) kraftさんも悲しい時は思いっきり泣いてください。そして、何かある毎にお父様のことをみんなで思い出話をしてください。思い出してもらうことが一番嬉しいことだと私は思っています。 喫茶店で話をされるなんてとても素敵です!たとえお父様が、後悔が多いとおっしゃっていたとしても、話ができて嬉しかったはずです、きっと・・・。 気持ちの整理はそのうちに、ぐらいの気持ちで良いのではないでしょうか。 いつもお父様が見守ってくれていると思いますよ。

  • j119
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.4

 悲しいですよね。  自分の気持ちの整理なんて簡単に出来ませんよね。  私の父は2年前、63歳で亡くなりました。  その日は、いつものように仕事から帰って来て庭いじりをしている最中に突然胸が痛くなり・・・ 普段病院なんて行ってなかったのに。  私は仕事(消防)していたんですが、妻の車に乗せられて私の所に連れてこられました。(消防が病院の途中にあったもんで)  すぐに車に乗り込みましたが、意識は無く呼吸もありませんでした。  救急車に移す時間がもったいなかったので私が乗り込み心肺蘇生をしながら病院まで(約1分)行きましたが病院に着いた時には死亡確認がされました。  状況が飲み込めず母と一緒にボー然としていました。  何がなんだかどうして死ななきゃならないのか?理解出来ませんでした。  父は自分で車に乗り込んだ後、消防までの1~2分の間に亡くなったようですがもし救急車を呼んでいれば?私の処置が悪かったのでは?など後悔ばかりですが、先月3周忌が終わりました。  気持ちの整理なんてついてないですよ。   いつもワンカップの焼酎を持ってお墓で一人語らいながら泣いてます。  最近は気持ちの整理をつけるんじゃなく死んだことを受け止めて今までに教えてもらったことを思い出して自分の生き方にプラスしていこうと考えるようにしています。  私の父も自分の人生は後悔ばかりで良いことなんかなかったとよく言ってましたが、私から見ると結構好きなことやってて楽しかったんじゃないかなーと思ってます。  長々と私の勝手なことばかり書いてすいませんでしたが元気をだして頑張って行きましょう。   

  • oyan
  • ベストアンサー率30% (51/168)
回答No.3

17歳の時に親父を亡くしました。 温かかった親父の身体が徐々に冷たくなっていき、その体に触れつづけることで、「死」というものを理解し、受け入れました。 あなたは、お父さんが人生について後悔めいたことをしゃべったことを気にしておられるようですが、誰の人生にも後悔と充実は同居しているものです。どちらか一方だけの人生なんて存在しないのです。 先日テレビを見ていたら「子どもは神様からの贈り物。真冬の庭に咲くバラのようなものだ」という台詞がありました。 お父さんの死を悲しみ、それをどう受け入れようかと悩むあなたがいる限り、あなたはお父さんにとって「冬のバラ」で会ったことは間違いありません。 あなたや家族の存在が、どれだけお父さんの人生を支えたことでしょう。どれだけの幸せをお父さんにもたらしたことでしょう。 大変でしょうが、がんばってください。お父さんの願いはあなたの幸せです。 実は昨夜、不思議な夢を見ました。親父が夢の中に出てきました。ぼくはその親父を背負って、あちこちを案内しました。 うれしそうな親父をみて、ぼくもうれしかったです。何かしら、親孝行をやっとできたみたいに。 親父は見守っていてくれます。

  • mujinkun
  • ベストアンサー率16% (336/1986)
回答No.2

息子と2人で喫茶店に行くなんて、素敵な思い出ですね。 お父様、きっと嬉しかったでしょう。今までの自分のこと、ふと話したくなったのだと思います。 身寄りもなく、ひっそりと一生を終える人もいます。 お父様はあたたかく見とられて逝かれたのだと思います。 優しい息子さんにも恵まれて。 お幸せそうで涙が出る思いです。 死は遺されたご家族にとっては地獄のように出口のない苦しみですよね。 でも、本当は死っていうのは苦しいところに行くものではないし、迷信は私も嫌いなのですが、宇宙の空間に塵のようになって戻っていくのだと思います。 生物的に言えば、生き物として伴侶を持ち、子孫を残せたことこそ、その生命には大きな意味があったと言えるでしょう。 子どもを作って、自分の行き方を託して逝かれたお父様。 失敗や後悔があるなら、あなたの人生で修正すればいいんです。 お父様のDNAがそのように受け継がれるのって凄いことですよ。

回答No.1

私の父も3年前に83歳でなくなりました。40代のころ、心筋梗塞で”チアノーゼ”状態になり 『身内を呼んでください~』と医者にいわれたのですが 奇跡的に持ち直し 残りの人生を自分らしく まっとうしてなくなりました。 6人兄弟の末っ子の私ですが 父の死から4年になろうとするのに 今だ心の整理が出来ない状況です。思い出せば 涙がこぼれて仕方ありません。 私の人生は、これからは余ろくの人生ともかんがえます。 寂しくてたまりません。 生きているときは口やかましくて非常に厳しい父でしたので 居ない方がいい~とよく思いましたが 今 寂しくてたまりません。 父のすんでいた家に足を向けることも出来ない私がいます。 親離れはすっかり済んでいるのに??寂しくてたまらない・・親孝行をしてもし足りなかったことを後悔しています。 心の整理は 時が解決とは言いますが こればっかりは どうしょうにももないようです。 お墓参りもさみしくなって いけない自分なのですが 先日 父の大好きだったビールをもって墓参りに行ってきました。生前に自分で墓まで建て じぶんはココにいれてくれと 何から何まで自分でしきって あっさり なくなった父の姿に寂しさとともに 人間としての行き方を学んだ気がしています。周りに迷惑を掛けることなく 言ってしまった父ですが ”お見事~”って感じました。 あえないのはとても辛いし寂しいですが いくら叫んでも 頼んでも 戻ってきません。( 悲しいかな~) 父の思いを自分に置き換えてくいのない人生を送ること・・それが父に対しての供養だと思っています。 私の場合は 49日までは そばに居るような感覚があり 49日たったら そういう感覚が全くなくなりました。なくなった親類にあえたんだって 思うようにしています あちらの世界で楽しく暮していると思うしかないと私は思っています。 だって それ以上は わからない世界なのですから・・自分が 今度会えるときがきたら 『 お~元気だったかっ~ って 本当に再会したい~』ビールを一緒に飲みたいものです。 そういう世界があると思わないと悲しくてやってられないでしょうね。 人生は短いです。 年齢も重ねるのも年とともに早くなります。 くいのない人生を送ってください。それが 貴方のお父様への供養と考えていかれることをお勧めします。 (*^_^*)

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