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多重人格者の言語(方言)つかいわけについて

ここのカテゴリーでいいのか迷いましたが、、、 『24人のビリー・ミリガン』などに出てくるような 実在の多重人格者の話で不思議に思っていることがあります。 たとえば東京で育った人物が、別の人格のときは東北弁になり、 また別の人格のときにはアメリカ人になったり、なんてことが あるんでしょうか? ビリー・ミリガンの場合は、アメリカ人であるにもかかわらずオーストラリア人になったり、 ユーゴスラビア人だったり、ボストン訛りだったり、ニューヨークっ子だったり、女性だったり、、、 いろんな人格が発生する、という事情はわかりますが、 果たして自分が行ったこともないような国や土地や性別などの、 想像の範囲にあるものまでもを取り入れて、 ネイティブとしか疑いようのないほどまでになり切れるものなのでしょうか? 人格はたくさんあっても、実際は一人の人間なのだし、、、 不思議です。

みんなの回答

  • ao-b
  • ベストアンサー率30% (81/263)
回答No.1

その小説は読んだ事がないですが、事実を基にしているようですね。もっともどこまで脚色しているのかが分かりませんが。 質問者様が「精神医学的に言うところの」多重人格についてどこまでご存知なのか、それとも「俗に言うところの」多重人格として認識なさっているのか、というのが私としては気になるのですが、その点についてはいかがでしょうか。何か資料などお読みになられたでしょうか。(細かい話ですが、この質問のタイトル・文面ともに気になる表現がいくつかありまして。単なる書き方の問題であればいいのですが。)ビリー・ミリガンはあくまで小説なので、それがすべて真実だと言うわけにはいかないでしょう。 さて、>想像の範囲にあるもの とおっしゃっていますが、どこまでが想像なのでしょうか?そして別人格の発生する前はその特徴をどのように捉えていたでしょうか? 例えば東京育ちの人物が東北弁で・・・の話ですが、その人は「東北弁」「東北出身の人間」について何らかの(ある意味ステレオタイプ的な)感情を持っていたのではないかと考えます。もしくは逆に、「○○という性格の人」→「だったら東北出身者」→「だったら東北弁でしゃべれば」というメカニズムがあるのかもしれません。 要するに「自分とは違う誰か」であればいいのですから、そこで出てくる特徴はさまざまでしょう。 ビリー・ミリガンの例でも、オーストラリア人やユーゴスラビア人などについて何らかの「自分とは違う」何らかの特徴を感じていたからこそ、そういう別人格が生まれたのではないかと私は思います。

question45
質問者

お礼

ありがとうございました。

question45
質問者

補足

補足です。 たとえばビリーミリガンは 行ったことも、住んだことも、知人すらいず、その言語もしゃべれない ユーゴスラビア人のように振る舞い、しゃべったりする人格がいたりするわけです。 果たして本当に行った事も住んだことも知人もいなかったのかは 私にも、そして当時の医師、研究機関にも想像の範囲を超えることはないでしょうが、 ビリーミリガンの場合は、多重人格は事件の責任能力があるかどうかの決定にもかかわるため、 ありとあらゆる識者によって検査され、認定されたことは想像にかたくありません。 そーゆーものの説明について知りたいです。 何らかのステレオタイプ的な感情を持っているくらいで 別人格と認識されるだけの確証を得るに相当する 強い根拠を、他人に示すまでになるかどうかがギモンなのです。

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