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神が創造した【人間】は神を裏切った。

kigurumiの回答

  • kigurumi
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回答No.11

>確かに人間には良い部分も沢山あります。しかし、愚かすぎます・・・。 >難しいと思いますが、皆さんはどうお考えでしょうか? 賢い部分もあるが、愚かな部分もある。 あなたが考える印象と現実は一致しており、それは事実だと思います。 アブラム。 彼は人類最古の文明が発生したメソポタミアのウル(現在のイラクの南部)の出身。 軍隊が遠征するとき同行していた商人。 ある時、啓示を受けH(神聖)がついてアブラハムとなりカナン(ヨルダン川西岸)に移住。 彼らの集団は川向こうから来た人という意味のヘブライ人と呼ばれた。 その後エジプトに移動して王の寵愛を受けるが、妹といつわった妻がエジプトの王の妻となったとき、神はアブラハムにではなくエジプトに怒り災害をもたらした。 王は災をアブラハムの神の怒りだと思い、二人に金銀財宝を与えエジプトから離れてもらった。 エジプト王から巨万の富を得た商人アブラハムはカナンに戻った。 このアブラハムが12支族の長。 しかし、ユダヤ人と一般に呼ばれる人たちは12支族ではなく、12支族+1族。 アブラハムの系図は地上の民、つまり人の子と呼ばれた。 対して+1族は天の子 つまり神の子と呼ばれた。 この神の子が築いた宗教がユダヤ教。 いつ起こったのか。 成立は紀元1世紀ですが、創世記が作られた時代は、バビロン捕囚(紀元前597年)の時ではないかと言われている。 バビロン捕囚は、ネブカドネザル王がエルサレム市街に入城し、王と妻子たち など有力者をバビロンに連れて行ったというもの。 絶対的な権力を持っていた人たちが、バビロンで他国により支配されるという情況になったわけです。 プライドが許せません。 そして起こったのが「私達は神から唯一選ばれた民である」という思想。 「神が我々を救い出してくれる。何故なら我々は選ばれたエリートなのだから」 ここで 差 というものを強く意識したわけですよね。 ユダヤ教では神の名をみだりに唱えてはならないので、神をさす時、わが主という意味のエルという言葉を使う。 だが、それより前から使われていた語でもある。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB 【彼はまた神々の会議を招集し議長を務め、また神々の王を指名しまた自由に罷免する権限を持つ。 しかし年老いた神ともされ、事実上の主神はむしろバアルである。】 新しい王が権力の座につくとき、新しい王は古い王を殺し、古い王が新しい王として再生するというストーリー。 似たような話がある。 バアルは新しい神という概念があったが、キリスト教ではバアルは悪魔となっている。 人間による神殺しなわけです。 nobuaki20様が書いた創世記の話し以外に、いくつか創世記の別バージョンを知っています。 イヴの聖書の中の添え名である「あらゆる生物の母」は、カーリー・マーの添え名。 インドではイヴはシヴァとかイエヴァとも言われていた。 あらゆる現象を創造する女神だった。 アッシリアの聖典では、母ー子宮、運命の創造女神という添え名が与えられていた。 この女神は粘土から男女の人間を創造した。 女神は「対で人間を感性した」とも言われた。 聖書の2つの創造神話のうち、最初のものは、このアッシリアの話を載せている。 ただし、「彼女」を「彼」に変えている。 イヴのタントラの名前の一つはアディタ・エヴァ、すなわち「初めの初め」だった・ 北バビロンでは、イヴは「エデンの天女」、あるいは「生命の木の女神」として知られていた。 アッシリア人はイヴをニネヴァ「神聖なイヴの奥方」と呼んだ。 この女性にちなんで、アッシリアの首都は名前がつけられた。 もともと神は創造という属性を持っていると思われたので、女の概念があったようだが、いつのまにか神は「彼」になっている。 そしてこんな話まで出てきた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8A%E6%9B%B8 女神の名前を持つ名前の都市が、滅ぼされかかったのを男であるヨナが救ってやった という話。 一体何が起こってこういうストーリーになったのだろうと興味深いものがあります。 別の創世記の話では、傲慢な主人に楽園だと偽りその農場で働かされていた人間に対し、真実の目を開かせた蛇という話がある。 人間は真実の情報を知らされ、目が開き、自分たちがなんと愚かだったことか、今まで幸福だと思っていたのは偽りだったのか、と悲しみに浸る。 幻影を破られた主人は、奴隷を農場から追放し、情報を与えた蛇を呪った、とある。 つまり、永延の命があるからと偽りによって働かされていた人間の悲劇。 (現在でも永延の命が入るから全財産を寄付しないと救われないと布教する宗教がありますし、(新約聖書にも同じことが書かれていて、全財産を寄付しなかった信者が殺害されたという記録が聖書に残っています。)、無償労働をするほど天国にいけると労働力に対する対価を払わず、信者を騙してこきつかう宗教がありますよね。) グノーシスでは、アダムとイヴをこき使っていた神は低俗の神で、本当の神は別にいるとしています。 ユダヤ教の神を表す文字 YHWH。 yod-he-vau-heは「生命」と「女」を意味するヘブル語の語源HWHじからきていて、ラテン語にするとE-V-Eとなる。 I(yod)を加えると、創造の「言葉」として、女神自分自身を呪文に使ったことになる。 これはエジプトやその他の古代国家ではよく見られる考え方だった。 アダムは神によって作られたのではなく、イヴの言葉の力によって作られたとグノーシス聖書には書いてある。 イヴはアダムに「生きなさい。大地から立ちあがるのです」と言い、イヴが言うとイヴの言葉は直ちに実現された、となっているそうです。 アダムはイヴを見て「あなたは万物の母と呼ばれているのでしょう。あなたは私に生命を与えてくれたのですから」と言ったそうです。 アダムは男性神によって課せられた無知を、イヴを通して乗り越えることができた。 だが、聖書の考え方は、それまであった神話を逆転させたものだった。 男の子供は神から女を通して与えられると信じられていた。 従って産んだ親はその子と一切関係が無いと信じられていた。 その当時の哲学者が悩んだのは、「では男の子供だから当然男が生まれるはずなのに、何故女が生まれるのだ」ということだった。 それでそれは女ではなく、神に呪われた男のなりそこないだと思われた。 女に生まれたことも、伝染病にかかったことも、神からの呪いだと信じられていたわけです。 そして、子供ができない男も神から呪われていると信じられていた。 子沢山は神から祝福された証だと信じられていた。 ここでも 差 というものを人間が強く意識したと思えるふしがありますよね。 シラの子イエスの知恵の書では、「悪は女(イヴ)から始まり、イヴのせいで、私達は全て死ぬことになった」と書いてあるそうです。 エノク書では、イヴの犯した罪に対して全人類を罰するために、神が死を作ったと書かれているそうです。 テモテの第一手紙には「アダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、過ちを犯した」と書いてあるそうです。 聖書編纂にも参加したテルトゥリアヌス、彼は女性信者に対してこう言ったそうです。 「あなたたちは、自分達がイヴであることを知らないのか。あなたたち女性に与えられた神の刑は、この時代にも生きている。罪も必然的に生きている。あなたがた女は悪魔の入り口である。 神の掟を最初に捨てた人である。 悪魔が攻撃する勇気を持てなった男を、あなたは説き伏せた人である。あなたがたはあまりにも簡単に、神の似姿、つまり人間を破滅させた。 あなたがたの罰ーつんわち、死ーのせいで、神は御子まで死ななければならなかった」 どうしてここまで狂った思想がまかり通ってしまったのか。 後にこの恐怖による奴隷支配思想が、異端審問へと発展し、中世の魔女裁判へと発展していって、人の奥に潜むねたみを呼び起こし、殺人を正当化するに至る時代ができてしまった。 流れていくと、その書かれた創世記の話のパスを辿ったものは、全人類にある差を強く意識させ、殺人を引き起こすようになるとしか思えないんですよね。 聖書の創世記は、バビロン捕囚の時、祭司達が捕囚先の神話を元に作ったと思えます。 捕囚された祭祀たちの中には捕囚先で冷遇されていたのではなく、結構上の地位まで上った人もいたそうです。 だから、解放後もカナンに戻らなかった。 だが、戻った人たちは、そのもらった神話の神を悪魔と摩り替えてしまったのだと思えます。 カナンに戻った理由は、捕囚先で知恵により上位に上って地位を築けなかった人たちだと思うんですね。 ここでも差がでていて、嫉妬がひき起こった。 嫉妬から神を悪魔にかえてしまった。 >確かに人間には良い部分も沢山あります。しかし、愚かすぎます・・・。 愚かすぎるというより、頑固だし嫉妬をする生き物だからだと思います。 個々が違うように、どうしても差というものはできます。 相手と自分の差を知ったとき、個性と受け止めるか、ズルい と嫉妬するか。 差別はよくないから差を無くそうとしても、無理ですよね。 差が無くなったら、全員 同じ名前 同じ顔 同じ思想、同じ 同じ 同じ。 全部で何人? 全部で一人ですよね。 差があることが苦しいのではなく、その差を許せないと思うとき、苦が発生する。 でも、差が無いとひとりぼっちになりますよね。 新世紀エヴァンゲリオンでは、世界が崩壊して一つになってしまったんですね。 永延の至福 それが死によって得られると長老たちは考え、人類補完計画を行った。 ゲンドウの場合の人類補完計画は、全人類がたった一つになることで至福に入れるとしたようなんです。 宗教もそうですよね。 バラバラの思想をたった一つに全員を統一してしまおうとするもの。 そうすれば、差はなくなり 争いもなくなり 発展もなくなり 全てが止まる  これぞまさに永延の死 違った 永延の命だと考えたんじゃないかと思います。 全人類をたった一つの思想に塗り替えてしまえ! 無理です。 だって、人間がどうあがいても差というものは消せないから。 全人類がたった一人になったとき、それは実現します。 では、宗教で塗り替えても一つにならないのなら、地球を破壊するのか。 エヴァギャリのシンジのように「みんな死んでしまえ 自分も死んでしまえ」でいいのか。 シンジは破壊を引き起こしたことで、この世でたった一人になってしまったんですね。 永延の至福に入れたか? 「きずつけられてもいいから他者が欲しい」と願った。 そして他者が出現した。 シンジはその他者の首を絞めた。 閉めながらシンジは激しく泣いた。 それを見た他者は「きもちわるい」と言った。 繰り返しですね。 過去にあったことは未来でもある。 神の概念もそうです。 過去にあって現在にあって未来にあるものが神。 なんら変わらないんです。 そして人間はなんら変わらないことに気づかない愚かさがある。 ただ、愚かだったということは、到達しないと愚かだったかどうか判断ができない。 従って同じことを繰り返すわけですよね。 だから古代の現代にも争いは起こるわけです。 未来もずっと 永延に 人間が地球上にいるかぎり、共食いをし続ける。 この無限ループを断ち切ろうと考え出されたのが、仏教だったのではないかと思います。 (尚 神話の話の内容は、神話・伝承辞典から抜粋しました。 http://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%83%BB%E4%BC%9D%E6%89%BF%E4%BA%8B%E5%85%B8%E2%80%95%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%BE%A9%E6%A8%A9-%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%A9-%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC/dp/4469012203 )

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