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大石内蔵助は
noname#36463の回答
細木さんにしては、まともなことを言いますね。 赤穂の殿様は、今で言うなら、神経内科的な気質があり、周囲は、「今日の殿のおつむりの加減は?・・・」と心配していたくらいですから、もう少し、頼りになる家臣を江戸に置いて、おくべきでしたね。 従5位の赤穂の殿様が従4位の吉良の殿様にある程度の教授料を渡して、教えを乞うことは、当然のことだと、把握し、根回しすべきでした。 でも、江戸場内で、刃傷沙汰をやらかす殿様は、あの場面を回避しても、いつか、何かをやらかしたと思いますよ。
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