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「引導を渡す」という言葉について
「引導を渡す」という言葉について、教えていただけますか。 この言葉は、(とどめを刺す)様な意味で使われることはあるのでしょうか。 例えば、 「(壊れかけの)会社の車に、おれが引導を渡してやった。」 とかいう使い方をすることがあるでしょうか。 (壊れかけの車を、ごまかしごまかし使っていたのを、もう諦めて、廃車にする) ような意味では使われるような気がするんですが、 ここでは、単に(とどめを刺す)という意味で使えるかどうか、 教えていただけますか。 なんとも分かりづらい質問で、申し訳ありません。
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「引導」というのは、元々中国で古くから使われていた言葉で、特に「道教」では、一種の気息術か、呼吸法で、大気を吸い込むことを言いました。しかし、普通の言葉として、「手引きする」「案内する」というような意味をあいます。 仏典を漢訳するとき、サンスクリット語 parikarsana の訳語に、この「引導」を選んだのです。「法華経」では、人々を導いて仏道に入らせる意味で使われています。また、死者を済度する意味でも使います。 後に、死者の葬儀の時、導師が、棺の前で、法語や仏教の教えの詩(ガーター)を語って、死者を、迷界から浄土へと導くよう試みる儀式のことになります。 これを、「引導を渡す」と言います。「迷界から浄土へ導く」とは何かと言うと、これは、死者に、「死んだ事実」を確実に認識させ、現世への執着を棄て、悟りの仏道へと進むよう説くことだとも言えます。 つまり、「お前は間違いなく死んだ」ということを、死者に宣言する儀式にもなります。民主主義的とか何とか関係なく、端的に「事実」を語り、事実を宣言する儀式だとも言えます。死の不可逆性を悟って、始めて、浄土への道も開かれるからです。 最初に、こういう「引導を渡す」という形の儀式をしたのは、中国黄檗集の祖、黄檗希運で、彼は9世紀頃の人です。 仏教用語から転じて、「最終的な宣告をして、諦めさせる」という意味があるようですが、これは「最終的な宣告をする」にウェイトがあります。引導を渡しても、相手が納得するとか、諦めるとは限らないからです。 仏教なら、「お前は死んだのだ、そのことを知り、成仏せよ」と引導を渡しても、死者が納得せず、この世への未練から、亡霊などになったり、輪廻に落ちるということは、別に珍しいことでもないからです。 他方、「止めを刺す」というのは、殺したはずの相手を、生き返る余地などないように、念を押して、首を突くとか心臓を刺して、死を確実にすることです。ここから転じて、念を入れて、終わらせるという意味になります。 「敵の攻撃に止めを刺した」というのは、単に攻撃を撃退するだけでなく、もう攻撃できないよう、念を入れて撃退・壊滅させることでしょう。またこれで、最後の最後だということで、「日本画のあの分野では、現代ではA氏がとどめを刺した」という風に使います。 >「(壊れかけの)会社の車に、おれが引導を渡してやった。」 これは用法としてあると思います。「引導を渡す」というのは、かなり転用されます。 >ここでは、単に(とどめを刺す)という意味で使えるかどうか 「引導を渡す」と「とどめを刺す」では、意味が元々違います。しかし、或る場面だと、二つの言い方で、どちらでも使える場合があります。「総務にかけあって、あの車は、おれがとどめを刺してやった」というのは、同僚などに語る場合は使うと思います。 そもそも車に向かい、「お前はすでに死車だ、そのことを知り、迷わず成仏せよ」などというのはおかしい訳です。この場合の「引導を渡す」は、「もう無用の車だと宣言する」ということでしょう。車に擬人的にこう言っているのだとしても、車に同意や納得を求めている訳ではありません。 だから、もう壊れかけ、実は廃車となっているはずの車に、最後の止めを刺して、実質廃車にした、という意味で、「止めを刺した」はありえると思います。 会社か総務の方針かなどで、とっくに廃車(死者)になっている車が、迷って、この世にいるのを、お前はもう廃車だ、この車はもう廃車だ、と宣言することが、「引導を渡す」であり、またそのことは「とどめを刺す」ことにもなるからです。 (もっと偉い人が、車を廃車にしない総務の担当に、廃車にしなさいと、引導を渡す、ということはあります。しかし、担当にとどめを刺すとは言いません。担当に引導を渡し、車にとどめを刺した……というような言い方になるでしょう。無理に例を作ると)。 「引導を渡す」と「止めを刺す」は、元々の意味が違いますから、特定の場面でしか、この二つの表現は成立しません。それも、かなり口語的で、「砕けた表現」の場合に、両方使えると思えます。 だから、この場合は、あれは廃車だと思っている同僚に向かい、軽く言う場合は、「おれが引導を渡した」「おれがとどめを刺した」は使えますが、上司に向かい、「課長、私が、あのぼろ車にとどめを刺しましたよ」というのは、酒の席だとかで冗談めかして言うならともかく、ちょっと使わない方が適切です。 >ここでは、単に(とどめを刺す)という意味で使えるかどうか ここでは、話す相手や場面によりますが、「引導を渡す」は、「止めを刺す」という意味で使えると思います。しかし、この二つの表現は、本来起源が違うので、一般的な使用の慣習などで、判断しなければならないと思います。 口語調で、少し乱暴に言う場合以外は、基本的に、違う表現・言葉だと考えた方がよいと思います。
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『引導を渡す』とは皆さんの説明どおり仏教用語として、人を仏道へ誘うこと或いは死者をあの世に送ることを表しますが、一般用語としては相手を説得して諦めさせることであり、『とどめを刺す』とは若干違うような気がします。(ニュアンスの差程度ながら) すなわち、引導を渡す相手は愛着や迷いから決断がつきかねてぐずぐずしている人です。引導を渡すことによって自らも納得して執着心を捨てるわけです。 一方『とどめを刺す』の原意は本人の意思に関係なく相手を殺して、抵抗力をたつため喉を一突きして確実に殺す事です。転じて、相手の苦しみを和らげるように『確実に殺してあげる』意味も含まれるかと思います。一般用語としては敵対する相手の弱点をつき、或いは証拠を突きつけて、それ以上反抗、抵抗しないようにする事です。 引導を渡す行為は民主的(相手も同意する)であるのに反し、とどめを刺すのは 有無をいわせず相手を死地に追い込むことです。 車の場合は擬人的に使うことになりますが、おんぼろ車を崖から突き落とせば『とどめを刺した』ことになるかもしれません。しかし、車を管理している人が相手の場合は、『俺が総務に行って、あんなボロ車は早く廃車にするよう引導を渡してきてやる』とはいっても『・・・行ってとどめを刺してきてやる』とはいわないでしょう。
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- yumesawa
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参考URLでは、 「最終的な宣告をしてあきらめさせる。」 と、記されてますので、仰る通り、 >とどめを刺す 場合にも適用が可能だと思いますね。
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- cyobin_man
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引導とは、引き導くことです。 どこに引き導くのかというと「仏」さんでしょうか。 俗世界に残ろうとする者を諭し仏の道に導く。 引導ってこんな感じでしょうか。 現世で迷っているものを諭してあの世(仏様の世)に送ってやる そんな意味もあるようで。
お礼
大変遅くなりましたが、有難うございました! 今後とも、よろしくお願いします。
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