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品詞に形容動詞は必要か否か

OKATの回答

  • OKAT
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回答No.1

 この質問に回答が付かないのには、理由があります。まずさまざまな文法論の知識があることが前提になり、大学の国語学の教授くらいでなければうまく回答できないと思われるからです。わたしにはそういう能力はありません。しかし、それにもかかわらず、こうした回答が付かない難問には、大いに関心をもつという好奇心があり、そのため見当違いの回答をしては恥をかいたりしています。  日本語の文法に本格的に手を付け始めた国学者たちは、他国の文法をあまり気にせず(と言うより知らなかった)、部分的に文法論を展開してきましたが、残念ながら「文法体系」を確立するには至りませんでした。しかし、これらには今でも参考になる優れた理論が残されています。  近代になり、西洋の言語学・文法論が入ってくると、それを参考にして「文法体系」を確立しようという試みが行われるようになり、飛躍的に研究が進みました。その一部として「品詞」を考えると、「名詞」「代名詞」「動詞」「形容詞」「副詞」「助動詞」(実は英語などでいう「助動詞」とは性質が異なるが)「接続詞」「感動詞」は日本語にもあるが「助詞」という特別の品詞が存在することが分かりました。この助詞については国学者(及びそれ以前の研究者)が「て・に・を・は」として指摘していたのです。  また、これも国学者が指摘した「活用」と呼ぶ一種の「語尾変化」のようなものが「動詞・「形容詞」に存在し、「助動詞」にも存在することが分かりました。その活用を考えた時、いわゆる「連体修飾語」が「形容詞」中心と思われていたのに、活用しない「連体修飾語」があるのに気がつき、「連体詞」という品詞を置く必要に気づきました。これで「名詞・代名詞」「動詞」「形容詞」「副詞」「連体詞」「接続詞」「感動詞」(これらを国学者は「詞」=今の自立語と呼びました)「助動詞」「助詞」(辞=今の付属語)など、一応の品詞が出そろいました。しかし、肝心の「形容動詞」はまだ出てきません。実はその話に行く前に述べておかければならないことがあります。それは、近代になって優れた文法体系を築き、○○文法と称される研究者、例えば「山田文法」「松下文法」「大槻文法」「橋本文法」「時枝文法」などはいずれも「古典文法」(いわゆる文語文法)と「現代語文法」(いわゆる口語文法)との間には整合性がなければならぬという、考えが存在します。なぜなら、それは日本語の歴史と共に変遷してきたからということです。そこで「形容動詞」の登場です。橋本文法などでは、「静かなり」「堂々たり」は古語ですが、「静かに+あり」「堂々と+あり」から出てきたから、語の働きは「形容詞」であるが、活用は当然「あり」から来た「動詞型」の活用をするから、二つ合わせて「形容動詞」を立てたわけです。この考えは文法論者の中では少数派ですが、ご存じのとおり、「教科書文法」に反映され、われわれも「形容動詞」を習ってきました。しかし、現代語ともなると、「だろ、だっ・で・に、だ、な、なら」という活用語尾の、どこが動詞的かということになりますが、しかし、それとは別に「静かだ」「立派だ」と「学生だ」との間には確かに違いがあり、(例えば「学生」には多くの助詞を付けられるが、「静か」「立派」はそうはいかない。また「静かだ」・「立派だ」には「非常に」という「連用修飾語」が付けられるが、「非常に学生だ」とは言えない)「形容動詞」の存在もうなずけるところがあります。  しかし、一方で「形容動詞」の存在を認めない「時枝文法」では「名詞+だ」とし、「山田文法」では「体言+存在詞の『だ』」とし、古語の「静かなり」は副詞「静かに」に存在詞「あり」が、「堂々たり」は同様に副詞「堂々と」に存在詞「あり」が熟合したものと説く。「大槻文法」「松下文法」では「形容動詞」を認めています。    本来の質問に答える前に「形容動詞」についてまとめてみました。しかし、それは「こんなに簡単にまとめていいのか?」といわれそうなくらい、お粗末なものです。  まず イ)から、「イ形容詞」と「ナ形容詞」の二つを「形容詞」と考える。これは「古語」の問題を持ち込まない、すっきりした説明です。しかし、「形容動詞」を認める立場からすれば、「イ形容詞」は「形容詞」で「ナ形容詞」は「形容動詞」と言うでしょう。問題は「連体修飾語」として使用する場合は「静かな場所」となるから「静かな」は「ナ形容詞」で説明可能です。しかし述語となる「この家は静かだ」となり、この「静かだ」をどう説明するのでしょう。多分このように形容詞を二つに分ける考えを採る人は「だ」というような「助動詞」の存在を否定していると思います。  そして、文を 1、名詞文 人間は動物だ(である)。 2、動詞文 犬が歩く。 3、形容詞文 花は美しい。  のように分けるでしょう。その時、「静かだ」「静かな」は「形容詞」の変化形と説明するか、「静か」を名詞と考え、後に付いた「だ」を「ダ文」と説明するか、(たしか「ノダ文」というのを見かけました)結局は勉強不足でよく分かりません。(お手上げ) 質問ア)については、「形容動詞」を認めると何か不都合があるかということは、「形容動詞」を認めないと何か不都合があるか、の裏返しになり、わざわざ「形容動詞」を認めた方に説明責任があります。「静かだ」の「静か」に沢山の助詞は付けられない。「静かを感じる」は不可。また、「静か」という語幹は独自の役割を果たす。「ああ、静か」。「静かだ」の前に「非常に」というような「連用修飾語」が置ける。「非常に静かだ」これらは橋本文法(学校文法)の主張です。  これに対する「時枝文法」の考え。「静か」という名詞に「だ」という助動詞が付いたもので、二回過程に分かれると説明します。(言語過程説を読んでみないと理解しがたいですね。)「学校だ」という語句の前に「連用修飾語」が付かないという説に対して、「明日から、学校だ」という例を挙げ、付かないわけではないと言う。 質問ウ)については、答える能力や資料がありません。出版される学者の専門的な書物の数から言えば、「形容動詞」否定派が多いように思いますが、学校で教える文法では相変わらず「形容動詞」が存在しています。    大変、頼りない内容ですが、他の人の回答が出るきっかけにねれば、幸いです。

sono-higurashi
質問者

お礼

順序が逆転しましたが、以下は補足の欄へ投稿した後に書いています。 補足の欄の「3 ア)についての、ご回答に関して」の「時枝文法には分かり難い所がありました」以下を撤回します。「静かだ」=名詞「静か」+「だ」との解釈は理解できます。名詞の条件として主語になれることを含めるのは一部の辞典に過ぎないことを確認しました。 名詞の条件として主語になれることを含める辞典では「静か」を「形容動詞」としているし、「静か」を「名詞」としている辞典では名詞の定義として主語になれるか否かは述べていないので、どちらも論理に矛盾は無くどちらも「静か」が主語になれないことは承知のようで、これには私も賛同できます。時枝文法にも、この点で分かり難い所はありません。 実は昨晩、補足の欄への記事を書いているときに名詞の定義が統一されているのか否か疑問があったのですが、何らかのお礼を急がなければならないという気持ちがあって調べが不十分なまま、投稿してしまいました。お詫びします。

sono-higurashi
質問者

補足

前略、以下はご回答への問い合わせではなく実態は、お礼ですが長くなるのでここに記します。 1 この質問への直接の回答へ入る前の国文法界のガイダンスが、とても参考になりした。門外漢には口語の文法、即ち中学生時の文法のため、学校文法を実態よりは神格化して捉えていたらしいことに気づきました。今後は諸々の説を従来に比し、受け容れ易くなるかもしれません。 2 イ)についての、ご回答に関して。(「ナ形容詞」と「静かだ」、「静かな」について) 「ナ形容詞」容認派も更に細分化されて諸説あるのかもしれませんが、偶然、町内の図書館にあった書籍の記事を記します。この書籍の学会内での位置づけや評価など予備知識は一切ありません。 東中川かほる・東雲祐子著「独りで学べる日本語文法」(凡人社)、P50の記述。 「ナ形容詞」は次のように活用すると考えます。 語形   語幹   基本形   だの形  て形   ばの形     ない形      た形 静かだ  静か  -な     -だ    -で   -ならば    -ではない   だった             静かな村  静かだ  静かで 静かならば   静かではない 静かだった この記述から「静かだ」は「ナ形容詞『静か』の『だの形』」である、「静かな」は「ナ形容詞『静か』の『基本形』」である、こんな表現をするのかなと思います。この書籍では「静かだ」の「だ」を切り離して「だ」の品詞は何かといった議論はしない気がしますが、この点は著作者に尋ねないと判りません。もちろん、「人間は動物だ」といったときの「だ」については論じています。 3 ア)についての、ご回答に関して 時枝文法には分かり難い所がありました。そもそも私には「静か」を名詞だとは認め難いです。「静か」を主語にした短文を作れないからです(作れるのかなぁ?)。もしも、「静か」を主語とする短文を作れなくて、しかも名詞だとすると名詞とは何ぞや、という話に飛び火をしてしまいます。 4 ウ)についての、ご回答に関して 私ごとき人間が「イ形容詞」だの「ナ形容詞」だのという言葉を知ったのは「形容動詞」否定派の書物が増えた証左だと思います。 5 文法を先に定めたエスペラントやコンピュータ言語と違って、自然発生した言語に文法の網を被せるのは至難な事だと納得しています。その割にはどの説も上手く理論化出来たものだと思っています。 6 印象だけで言うと国文法は欧文の文法に比して、あまり例外ということを言わない気がします。もっと遠慮なく例外を連発した方が、すっきりした文法になる気がするのは横着者の発想なのでしょうか。 門外漢の何気ない質問に正面から、お応え下さって恐縮しています。有り難うございました。またの機会にも宜しくお願いします。 今後、ご回答下さる皆さんへ 回答を咀嚼するには調べ事を要する可能性大ですので、お礼は遅れるかもしれません。勝手ながら悪しからず。

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