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行く春
俳句に行く春、惜春という表現がありますが、これは何月ごろ何を惜しんでいるのでしょう?すぐにすばらしい初夏が控えているのに?
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- jasko
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回答No.1
卯の花が咲くと昔で言うと初夏ですから、弥生。つまり三月ごろでしょう。新暦では四月ごろの感覚かな。 二十歳になると成人としての楽しい人生が待ってますよね。 でも、十代や高校生の頃を「青春だった」と惜しんだりしませんか。 桜の季節が過ぎれば春の終わりです。春は青春。青春が終わり。充実した朱夏を迎えるとはいえ、青春は惜しまれるものだと思いますよ。
お礼
ありがとうございました、お礼の挨拶が遅れ恐縮です 芭蕉の行く春の句を調べましたら作句されたのは4月30日から5月10日ほどの間でもう初夏という感じ実際、「行く春や鳥なき魚の目は泪」 の4日後には「あなとうと青葉若葉の日の光」と詠っています 芭蕉以前に「行く春」の句、歌なあるのでしょうか? 私には「行く春」という観念想念は芭蕉が作り出したような気がしてなりません 彼のさび、ほそみ、しおりの芸術観の産物では?