• ベストアンサー

仏教に詳しい方教えて下さい 「乗」の字について

昔身内の名を聞かれた時に教えたら「この人はお寺か何かに関係がある?」と聞かれ父親が雲水をしていたと応えたら「やっぱりね~」と言われました。 名前の一部に皆「乗」の文字が入っているのですがその方がどうして仏教と関係があると合点がいかれたのか今でも分かりません。 乗という漢字は仏教とどのような繋がりがあるのでしょうか? ご存知の方いらっしゃいましたらお教えください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • binba
  • ベストアンサー率47% (513/1090)
回答No.2

仏教用語の中にも「乗」と言う文字があり、 〔人々を乗り物で悟りの彼岸に至らしめることから〕仏の教え。仏教の教義。 と言う意味だそうです。 それをご存知の方だったのでしょう。

nekosoba
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 お陰様で宗教の奥深さを学ぶ事ができました。 心よりお礼申し上げます。

その他の回答 (1)

  • alpha123
  • ベストアンサー率35% (1721/4875)
回答No.1

迷いから悟りへの乗り物って意味らしいです。 乗=仏教の教え

nekosoba
質問者

お礼

回答ありがとうございました。お礼申し上げます。

関連するQ&A

  • 仏教の法要について(日本と他の仏教国は違う?)

    人が亡くなると、通夜、葬儀、 四十九日、初盆、 一周忌、三回忌・・・・と法要が行われますが、 一周忌以降の法要の意味は?と常々疑問がありました。 もちろん、法事は身内が集まって故人を偲ぶ場、コミニケーションの場としてはいいでしょうし、 故人を偲ぶ心、先祖を思う感謝する心は大切にしたいとは考えますが、 故人と最も血の繋がりのある方が高齢で病気や障害を抱えると、結局その子供たちが大変な思いをして、遠方から同伴して来たり、故人との繋がりの濃い人は皆亡くなっている・・という様子をみると、そもそも、四十九日以降「宗教行事として」「法事を行う」「僧侶を招いてお経を唱えて頂く」という事が必要なのか?と思うのです。 そんな折、知人から「日本以外の仏教国では、法事を行うのは四十九日まで。それ以降一周忌、3回忌・・と法要を行うのは日本だけの事で、それは日本の仏教界、お寺の都合。」と聞きました。 本当のところ、実際はどうなのでしょう?  どうぞご教示よろしくお願いいたします。

  • どのような仏像でしょうか?(仏像・仏教に詳しい方)

    どのような仏像でしょうか?(仏像・仏教に詳しい方) 写真の仏像ですが、昔から家にあったものですが我が家のもの(仏壇にあるような)ではなく、骨董装飾品として飾られていたものです。 10cmほどの小さなもので、ずいぶん古い物のようですが、どのようなものか由来など知りたいと思います。 裏にお経のような文字が書いてありますが、「?」の文字は汚れで読めません。 「?除?福壽無量同業増進同生極樂」 「璉界謹願」 とあります。 (1)種類(如来・菩薩など)、(2)どのような目的で作られたのか、(3)書いてあることの意味 なにか一つでもかまいません。 仏像と仏教に詳しい方、教えていただけますでしょうか。

  • 仏教は若者にアピールしようとしているのか?

    仏教には、キリスト教の「洗礼」に当たる入信の儀式がなく、誰でも望めば仏教信者としてふるまうことができると思いますが、キリスト教の「ミサ」や「礼拝」に当たる定例行事も少なく(私は「坐禅会」に参加していましたが)、日常的にお寺に接することが少ないために、葬式などの時以外、普段の生活ではなかなか信仰を意識する機会がないと思います。 実際、若者で、自分は仏教に興味があるという人にはほとんどお目にかかったことがありませんし、仏教関係の集まるに行っても、参加しておられるのは、年配の方ばかりです。 又、お寺さんが管理している「檀家」の構成員も若い者はほとんど都会に出て、核家族を作っていますから、地方の寺を守り立てる檀家は衰退の一途をたどっていると思います。 このような隙間を埋めるように、「創価学会」、「立正佼成会」、「真如苑」などの仏教系の新宗教は、組織的活動を強化し、老若男女を問わず、集客に励んでいるように見受けられます。 お寺を預かる和尚さん方や、仏教関係者の皆さんは、このような現状と未来をどうみているのでしょうか? 何か、若者や都会の各家族を捉える施策やイベントは考えておられないのでしょうか? 「檀家制度」や「葬式仏教」からの脱却、ネットの活用や一般マスコミへの浸透策などについて、考えておられることがあったらご教示ください。 尚、この質問は、日本における仏教の将来は?http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3504585.html の続編として位置付けています。 その時は、あまり専門家の方のお話を伺えなかったので、今度はよろしくお願いします。 勿論、どなたからの回答も歓迎します。

  • 昨今の仏教界って世のため、人のためになることをしていますか。

    昨今の仏教界って世のため、人のためになることをしていますか。 昔の僧侶は井戸を掘ったり、道を作ったり、賤民救済事業を行ったりしていたようですが。 このごろお寺に行くとやたら「寄付して」と声高に言われたり (文化財保護のためお金がかかるんでしょうが、あまりに言われるとワーキングプアは参拝しづらい。 拝観料とお賽銭くらいはしますが。) 参拝者を邪険にするような態度をとる関係者がいて はあ?と思います。

  • 無神論者の方は佛教をどう捉えておられるのでしょうか

     無神論と云われる方は霊魂や死後の世界を否定すると云われております  佛教も釈尊の時代は本尊等無く死後の世界より、私が自己を知る教えを説いておりました。  元来霊魂等は否定するものでした、「いろは歌」にあるように「有無を離れる世界」  を説いております、故にありのままの自己を受け容れよと云う事だと思います。    釈尊も日本の宗祖と云われる方も葬儀無用を説いておりました、が釈尊の教えや  各宗祖の教えを偲び、それを伝えていかんが為に本尊や儀礼が行われる様に成り、  自己を知ると云うよりも儀礼中心となり、江戸時代の寺壇制度の名残が残っているので  すが、それが戦後核家族化や科学技術の進歩で衰退しているのが現状であり、  佛教も本来の教えより、教団の護持の方が優先されている現状です  故に、葬儀も簡素化しても良いと思いますし、時代に合う形に応えていくのが良いと思うのであります。  さて、無神論と云われている方は  (1) 釈尊の自己を知る事や有無を離れる事も無意味無価値と思っているのですか?    「自己」等知る必要は無い、自分の思うがままに生きればよいと云う    思いなんでしょうか?    又「有」に執着されておられるのでしょうか?  (2) 昔、「人は死ねばゴミに成る」と云う癌告知をされた伊藤栄樹氏と云う検事の方が   「霊魂を否定し」「意識は無くなりものとなってしまう」と云う結論を下されましたが、   遺族は「私が貴方を思う気持ちはどうするの」と云うと本人は「死後もこの世の思いを引きずられたら叶わない」と云われました。   科学的に見ればゴミでありますが、遺族の思い過ごして日々と云う処から、墓や儀礼が生まれたのだと思いますが、私の事を決別し、忘れてくれと云う事なんでしょうか?  (3) 唯物論(私も完全に否定しませんが)は金銭が満ち溢れれば、情等の思いと云う処は必要ないのでしょうか?  私も霊魂は否定します が自己を知る 科学的には死ねば物質となる伊藤栄樹氏の指摘には賛同できますが、反面私が今生きているいのちも多くの無数のいのちのより存在し、私も死を迎えますが、宗教儀礼関係無く、その繋がりの中に居ると思います。この辺りの事をご回答戴きたいと思います。

  • 仏教関係者に質問です。

    仏教関係者に質問です。 見開きの御朱印帳に空海の高野山金剛峰寺の御朱印と最澄の比叡山延暦寺の御朱印を押して貰う場合は左側にどちらの寺の御朱印を押す方が縁起が良いですか?理由もお願いします。

  • 日本における仏教の将来は?

    縁あってカトリックの洗礼を受けていますが、仏教はじめ宗教全般にも親近感を感じている者です。 本日、私は、ある仏教団体の主催する講演会に行ってきました。大変面白く、ためになりましたが、周りを見渡すと、お坊さんを除いた一般の観衆の中では、50代の私でさえ、若く感じられた方で、かなり年配のいかにも「仏教徒」という感じの方ばかりで、若い人の姿はほとんどみかけませんでした。 仏教には、今若い一般信徒はあまりいないのでしょうか? (仏教には、キリスト教の「洗礼」のように入信の儀式がなく、「仏教徒」かどうかの定義は難しいと思いますが、一体、日頃からお寺に出入りされているような、真の「仏教徒」はどの位おられるのでしょうか?) そして、その年齢構成はやはり老>若なのでしょうか? 一般のお寺は、葬式以外に、信徒、具体的には檀家とどのようにおつきあいをし、お寺への誘致活動を行っているのでしょうか? (キリスト教のように、毎日曜日のミサ・礼拝などの定期的イベントを持っているようには見えないのですが、どのような信徒(檀家)特に若者を対象とした活動を行っているのでしょうか?)  「創価学会」、「立正佼成会」、「真如苑」などの仏教系の新宗教と比べても、組織的活動が希薄で、葬式の世話などだけでは、今後、信徒(檀家)も増えず、先細りだと思うのですが、仏教界は危機意識を持っていないのでしょうか? 尚、このサイトにも「宗教」関係の質問をする適当なカテがなく、せいぜい近いのは「哲学」か「その他カルチャー」位しかないのは、日本で如何に宗教が軽んじられ、うさんくさがられているかの証明のような気がします。宗教は人間の生き方を考え、心の浄化を助けるためになくてはならないものだと思います。歴史上「宗教」を「錦の御旗」に掲げて世界侵略を進めたり、今でも宗教・民族間の戦争が絶えないのは、全く本末転倒なことだと思いますが、近年は「宗教」の名を騙って世の中に危害をもたらすカルト団体も後を絶たず、宗教が人を惑わす危険なもの、というだけの印象しか与えていないのは誠に残念なことだと思います。 一体、仏教はこのような現代にあって、社会のニーズにあまり応えることのできない弱小宗教なのでしょうか? 僧職におありの方、我こそは「仏教徒」と任じておられる方、葬式しかつきあいのない一般の皆さん、他宗教の信者の方、宗教に懐疑的な方など、広くご意見をお願いします。

  • 仏教のお経の意味について

    仏教のお経は遥かインドの方から来てるんですよね? と言いますのは、般若心経ぐらいしか知りませんが、色即是空 といった文面には日本語の深い意味がついています。でも、これはもとは中国から来た中国語です。 だから日本のお坊さんが本格的にお経を読んでいるようでありがたいようでいて、実は漢字を日本語で「しきそくぜくう」と読んでいるだけなんです。 中国のお坊さんは「スージーシーコン」と読むんです。これが本当の(耳で聞く意味で)お経なのか? いえ。 どうやらこの中国語でさえも サンスクリット語だかヒンドゥー語だか、なんだか知らないですが、それに漢字を当て字したものらしいですよね。 当て字したような漢字が流れ流れて日本に来てなぜこうまでに一文字一文字ありがたい意味を持っているのでしょう。 でないとすれば、色とか空という漢字の意味自体がこのお経が出どころで意味がついてきたことなのでしょうか?

  • 【宗教・波羅蜜(ジャックフルーツ)】果物のぱらみつ

    【宗教・波羅蜜(ジャックフルーツ)】果物のぱらみつと仏教用語の此岸と彼岸のはらみつは同じ漢字の波羅蜜ですが繋がりはあるのですか? 仏教の波羅蜜と果物のジャックフルーツの関係を教えて下さい。

  • 禅宗のお寺の方など、詳しい方に伺いたいです。

    禅宗のお寺の方など、詳しい方に伺いたいです。 父がなくなり、通夜の席で「米30キロをそなえるように」といわれました。 また、四十九日の「お供え物として、餅一升分を紅白の小餅にして供えろ」と言われました。 こんな、お供えがありますか? また、通夜の時間も、「会合があるので、一時間早めてはくれないか」と、 当日の朝に聞かれて、憮然とし、断った経過があります。 こんな寺とは、付き合いたくない、もう仏教は懲り懲りとの思いがあります、 当事者のお寺関係の方、なにかあればお答えください。    あまり期待はしていませんが・・・

専門家に質問してみよう