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『こころ』の「上二」1

 日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上二」の中で理解できないところがあるので、教えていただけないでしょうか。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.純粋の日本の浴衣(ゆかた)を着ていた彼は、それを床几(しょうぎ)の上にすぽりと放(ほう)り出したまま、腕組みをして海の方を向いて立っていた。 (1)「純粋の日本の浴衣」とはどんな感じの浴衣でしょうか。あるいは別の角度から考えると、「純粋ではない日本の浴衣」とはどんな感じの浴衣でしょうか。ここの「純粋」がよく理解できません。「純和風」と理解してよろしいでしょうか。 (2)「すぽり」とはどんな感じの擬態語でしょうか。 2.私はその二日前に由井(ゆい)が浜(はま)まで行って、砂の上にしゃがみながら、長い間西洋人の海へ入る様子を眺(なが)めていた。 (1)なぜ「この二日前に」ではなく、「その二日前に」なのでしょうか。 3.大抵は頭に護謨製(ゴムせい)の頭巾(ずきん)を被(かぶ)って、海老茶(えびちゃ)や紺(こん)や藍(あい)の色を波間に浮かしていた。 (1)「海老茶や紺や藍の色」とは頭巾の色ではなく、水着の色でしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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  • hakobulu
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回答No.2

1、 (1)「純粋の日本の浴衣」を着ていたのは西洋人ですね。 a.恐らく”ちぐはぐ”な印象を与えると思います。 たとえば、チャイナドレスの女性が振り返ったのを見たらアフリカ系の黒人であったような場合、「え? 」と違和感を覚えるのではないかと思いますが、その感覚に近いでしょう。 状況を文章にする場合、その違和感から来る「多少はアフリカ風にアレンジしていたのではないだろうか」という読者の(無意識的)疑問を否定するために、 「その黒人女性は純粋のチャイナドレスを着ていた。」という表現が使われる可能性は大いにあると思われます。 b.『その西洋人は日本の浴衣を着用していた。 え? 何か違和感を覚える? その気持ちはわかるけど、彼が着ていたのは例えば西洋人風にアレンジされたようなものとかいうことではなく、純粋の日本の浴衣だったんだよ。』 といったようなニュアンスが込められているのでしょう。 c.すぐ後に、「彼は我々の穿(は)く猿股(さるまた)一つの外(ほか)何物も肌に着けていなかった。」 という文があります。 「我々=日本人」で、【我々の穿く】という表現が、先の「純粋」と同じ意図で使われています。 d.この場合は「純和風」という意味ではありません。 (2)「すぽり」は、 浴衣を脱ぐ時の様子を表わしています。 a.一般的には『きっちり納まっていた箇所から一気に抜ける』といったような意味になります。 b.まず左腕を浴衣から抜きますが、左肩からは外さず掛けたままにしておきます。 次に右腕も抜くと両腕が自由になります。 その後、両肩から『一気にすべり落とす』ような感じで脱ぎ捨てる、といったようなイメージです。 なぜ、わざわざ「スポリ」と書いたかといえば、一気に脱いだままの状態を示したかったからです。 つまり、浴衣は、 「丁寧に折り畳まれていた」わけでもなく、かといって、 「ぐしゃぐしゃに丸められていた」わけでもない、 という状態を表現するためです。 左腕右腕の順番はお好みで変更可能です。(^^;) c.ボタンのついていないセーターを、先に両腕を抜いておいて頭から一気に引き抜く様子は、「セーターを頭からスポリと脱いだ(引き抜いた)」と表現できます。 途中で突っかかって一気に脱げなかったり、ボタンをひとつづつ外して脱ぐような衣類の場合は「スポリ」は使えません。 杭や野菜の大根など、地中深く埋まっているようなものを一気に引き抜く時にも、 「力を入れて引っ張ると杭がスポリと抜けた。」などと表現します。 抵抗が強くて少しづつより抜けないような場合はスポリとは言いません。 2、{なぜ「この二日前に」ではなく、「その二日前に」なのか} a.goo辞書によれば、 「この」は、「話し手に近いものをさす」 「その」は、「話し手からは離れていて、聞き手に近い関係にある物事をさし示す」 となっています。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%B3%A4%CE&search_history=%A1%B9&kind=jn&kwassist=0&mode=0 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%BD%A4%CE&search_history=%A4%B3%A4%CE&kind=jn&kwassist=0&mode=0&jn.x=33&jn.y=12 「私は○○学校を卒業した。その学校で私は4年の月日を過ごした。」 「私は○○学校を卒業した。この学校で私は4年の月日を過ごした。」 の両文では、 「その」を使った前者は読者の視点、 「この」を使った後者の方は作者の視点、 にそれぞれ重点が掛かっている、ということが言えるでしょう。 b.主人公の視点から言えば「この」であっても不思議ではありません。 ただ、漱石にしてみれば、 それまでの「先生と一緒にいる西洋人を見た時の記述」を、 『読者は完全に自分の元へ引き付けて受け止めているだろう』という前提があったということでしょう。 それで、主人公の視点よりも『読者の視点を優先した』と言えるように思います。 3、 直前の、「いずれも胴と腕と股(もも)は出していなかった。女は殊更(ことさら)肉を隠しがちであった」という箇所を受けた表現です。 「肉を隠しているもの」についての関連と考えるのが妥当でしょう。 おっしゃるように、 『>「海老茶や紺や藍の色」とは頭巾の色ではなく、水着の色』ではないか、と私も思います。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 hakobuluさん、いつもお世話になります。ご回答ありがとうございます。「スポリ」の雰囲気はわかりました。セーター、杭、大根の例もぜんぶ拝見してわかりやすいと思います。日本の浴衣はまだ着たことがありません。着方は着物より簡単だと聞いています。それでも奥深いですね;;;;;(←このマークは好きになりました^^)。こそあどのことでよく悩んでいます。これから、私の文にこそあどの誤用がありましたら、ぜひ教えてください。3の考え方はhakobuluさんと一緒です。嬉しいです。本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

1. >1(1) 申し訳ありませんが、まだ理解できていないと思います。「純粋」とは浴衣そのもののあれこれを言っているのでしょうか。それともその外国人が着ている姿の雰囲気は日本人と変わらないことを言っているのでしょうか。私は前者だと思いました。私が使った「純和風」はなぜ不自然だと思われますか。本場の、偽物でない日本の浴衣の意味を言いたかったのだと思います。 2. >1(2) 「すぽり」は他動詞(たとえば、落ちる=自動詞、落とす=他動詞)にも使えるのでしょうか。失礼しますが、恥ずかしい例を挙げさせていただきます。たとえば、穿いているズボンのベルトが壊れたとします。そのズボンにはベルトが効かないとすぐ下にいきます。「ベルトが壊れたか、なんとズボンがすぽりと落ちてしまった。」は自然な書き方でしょうか;;;;;。 3. ちなみに、お伺いしたいのですが、hakobuluさんはなぜ夏目漱石のことを「漱石」と呼ばれるのでしょうか。

その他の回答 (4)

  • hakobulu
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回答No.5

#3です。ご返事ありがとうございました。 「すぽり」を外れる時に使う場合は、【完全に外れていること】が必要です。 1、 {赤ちゃんのズボンをすぽり脱がして急遽チェックしてみる。} この場合も、すっかり脱がすのであれば「すぽり」でも一応は良いでしょう。 赤ちゃんの足は短いので、「(スボンを)一気に引き抜く」ことは想定可能です。 足から脱がしきれない場合は、この表現は使えません。 ただし、「すぽり脱がして急遽チェックしてみる」ではなく、 『すぽりと脱がして急遽チェックしてみる』です。 また、この状況はどちらかと言えば『すっぽり』のほうが自然かもしれません。 この場合は、『すっぽり脱がして急遽チェックしてみる』と、【と】は無いほうが自然です。 2、 a.まず、「その頭に」ではなく『その頭を』ですね。 また、「すぽり剥がしたい」ではなく『すぽりと剥がしたい』です。 b.{その頭を覆っている布をすぽりと剥がしたい。} う~む、(-_-;)。 これは難しいご質問です。 アラビア語で[hijab]=ヒジャブと言うらしいですが、「どういう形状で剥れるか」ということが良くわからないからです。 一枚の布のような形状になった後、頭から剥れるのであれば「すぽり」ではなく「するり」でしょうね。 しかし、頭の形を少し残しながら「抜くようにして剥がす」のであれば「すぽり」でも良いでしょう。 awayuki_chさんのテクニック次第、ということになるでしょうか。(^^;) c.ただ、このようなシチュエーションでは、擬態語を使わずに【引く】を用いて、 『その頭を覆っている布を引き剥がしたい。』 などとするほうがベターではないかという気がします。 3、 a.2で一度登場しているので、「アラビアの女性」ではなく、「アラビア女性」と表現しても差し支えないと思います。 b.{アラビア女性の頭【を】覆っている布がするりと飛んでしまった。} 「するり」が「飛んでしまった」に掛かっているので不自然です。 「するり」は、あくまで【滑るように外れる】までのニュアンスです。 また、巻きつけていたものや結び目が外れることを「解ける」とも言います。 【ゆるやかに自然に外れる】といったようなニュアンスになると思います。 『急に強い風が立った。その風で、アラビア女性の頭を覆っているベールがするりと解けて、見る間に飛んでいってしまった。』 などと表現することも可能でしょう。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 白昼夢に付き合っていただきありがとうございます。細かいところまでもよくわかりました。アラビア女性の頭を覆っている布は確かに要研究です^^。本当にありがとうございました。

  • mabomk
  • ベストアンサー率40% (1414/3521)
回答No.4

mabomkです。 「不要客気的~~」ではなく「不用客気的~~」は、私も「あっ、しまった」と 気が付いていましたが、その時はもう「送信ボタン」押した後でした。 漢字変換で「ふよう」とやると最初に「不要」(こちらの方が日本語 として使用頻度は高いのかな?)が出てきてしまった、と言い訳を どんどん積み重ねる、、、、こんな時に使用したら最も適当な日本語 ご存じないですか?(爆) 淡雪さん、中国語でもイイです(笑)(泣)

awayuki_ch
質問者

お礼

 mabomkさん、再びありがとうございます。「不要」は確かに日本語では頻出しますね。心は晴れになりました^^。笑いながら泣かせて申し訳ありません。不勉強なので、今度機会がありましたら、「こんな時に使用したら最も適当な日本語」を教えてください。本当にありがとうございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

#2です。ご返事ありがとうございました。 1、 「純粋の日本の」を外して、 「浴衣(ゆかた)を着ていた彼は、それを床几(しょうぎ)の上にすぽりと放(ほう)り出したまま、腕組みをして海の方を向いて立っていた」 と表現してみましょう。 これでも意味は十分通じます。 #1さんがおっしゃるように、浴衣と言えば純粋な日本の衣類ですから「純粋でない日本の浴衣」というものはありません。 同様に、「純和風」でない浴衣、というものもありません。 浴衣といえば純和風に決まっているわけです。 ですから、彼が日本人であれば「純粋の~」という表現は決して使われなかったでしょう。 使う必要がないからです。 つまり、【浴衣の説明をするために】「純粋の日本の」という表現をしたわけではない、ということは明らかなわけです。 では、なぜ西洋人に対しては、わざわざこのように表現したのでしょうか。 awayuki_chさんに漱石の心境を体験してもらうために、別の例で考えてみたいと思います。 状況設定をしますから、awayuki_chさんであればどのように表現するか考えてみてください。 【A】と【B】にはどのような言葉を入れますか? 前提として、ダイヤはどちらも本物です。 ーーーーーーーーーー ○場面1 awayuki_chさんは、テレビでアカデミー賞の授与式を見ています。 主演女優賞を射止めた女優の指には、とても大きなダイヤが輝いていて印象に残りました。 その日の夜、日記を書きました。 「彼女の手には【A】が輝いていた。」 ○場面2 awayuki_chさんは、知り合いの家に遊びに来ています。 とてもお金持ちの家です。 12歳ぐらいの女の子が出てきて挨拶をしました。 手にはとても大きなダイヤを嵌めています。 家へ帰ってから日記を書きました。 「彼女の手には【B】が輝いていた。」 ーーーーーーーーーー 【A】は多分、『とても大きなダイヤ』だと思います。 【B】はどうでしたか? 『【本物の】ダイヤ』と表現したくなりませんでしたか? 女優にとってのダイヤは本物であるのが当たり前ですが、 12歳の女の子が本物のダイヤをしているということには、明らかな違和感を覚えるでしょうし、驚きも伴なうと思います。 これは読者も同じです。 (日記ですから読者というのは不適切ですが、交換日記と考えてください) ですから、単に「ダイヤ」とだけ書くと、 読者としては「イミテーションの間違いじゃないだろうか」などという疑問を抱くのが自然でしょう。 それを打ち消すために、「【本物の】ダイヤ」という表現が自然に使われるのではないかという気がします。 この例の「本物の」は「純粋の日本の」に対応しています。 「ダイヤ」は「浴衣」で、 「12歳の女の子」は「西洋人」です。 「12歳の女の子とダイヤ」「西洋人と浴衣」という奇異な取り合わせを強調するために、敢えて使われている表現ということも言えるでしょう。 「本物の」や「純粋の日本の」は、無くても事実を歪めることにはならない、という点に留意すべきです。 上手に説明できていないかもしれません。 すっきりしないようでしたら、何度でも補足して下さい。 2、 「ベルトが壊れたか、なんとズボンがすぽりと落ちてしまった。」 :全く間違いとは言えないと思いますが、あまり自然な印象は与えないかもしれません。 どちらかと言えば、 『ベルトが壊れたか、なんとズボンが【するり】と落ちてしまった。』 のほうが自然でしょね。 【すぽり】は「密着しながらも滑らかに動く」というニュアンスですから、スボンと脚との関係には不向きかもしれません。 【するり】であれば、「繊維が肌にまとわりつきながら滑り落ちる」というニュアンスを出すことができるでしょう。 以前お借りしたハンカチを洗ってあったのが乾いたのでお返しします。風を引かないように汗を早めに拭いてください。(^^;) 前回、 {一般的には『きっちり納まっていた箇所から一気に抜ける』といったような意味になります。} と言いましたが、 『ちょうど良く一気に納まる』という意味もあるので追加しておきます。 つまり、「すぽりと入る」「すぽりと抜ける」という表現がどちらも可能です。 「摩擦感はあるがそんなにきつくない状態で一気に入る」 「多少の抵抗感はあるがそんなに無理をしなくても一気に抜ける」という感じでしょうか。 「セーターを頭からすぽりと被(かぶ)る。」 「セーターを頭からすぽりと脱ぐ」 はどちらも使えると思います。 ただ、一般的には『するり』という表現の方が上品ですし、 余程の必要性がない限り、殆んどの状況で「すぽり」の替わりに使えるとお考えになったほうが無難でしょう。 3、 何気なく「漱石」と呼び捨てにしてしまうのですが、親しみを感じているからでしょうね。 「夏目漱石」と呼んでもいいのですが、名前だけのほうが親しみを表現できます。 彼の作品を何冊か読んでいるうちに親近感を覚えてしまったのだと思います。 呼び捨てが許されるほど親しい関係である、という(少し傲慢な)心理も無意識的には多分働いていると思います。 また、ご存知かもしれませんが、漱石という名前の由来は孫楚という人物に関する中国の故事です。 「漱石枕流」という熟語で『強情・負け惜しみの強い事』を表わしますが、夏目金之助(漱石の本名)が気に入って筆名にしました。 「漱石」と呼ばれることはおそらく彼の本意でもある、と私は勝手に思っています。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 再びありがとうございます。ダイヤの例を拝見してやっとわかりました。「どちらも本物です」という前提条件に気づかなかったと思います。すっきりいたしました。大変理解しやすく説明していただき本当にありがとうございました。助かりました! 「漱石」と呼ばれる理由もよくわかりました。親しみを感じておられるのですね。これからも夏目漱石の作品を拝読しつづけます。「漱石」という名前の由来はどこかで聞いたことがあるような気がしますが、詳しくはありません。今回をきっかけに中国語の勉強もさせていただきました。いい名前ですね。夏目漱石は中国の魯迅と同じように「硬骨頭」(硬い骨)を持つ方だと中国の本で読んだことがあります。ハンカチを洗っていただきありがとうございます。また使わせるような気がするので、そちらにお預けしたいと思います^^。

awayuki_ch
質問者

補足

「すぽり」と「するり」は他動詞向けと自動詞向けのような感じがします。次の日本語は自然でしょうか。 1.すみません、まず香水を数滴撒いてみます;;;;;。『友達に頼まれ、赤ちゃんの面倒をみる。彼女が出てから三分もせず、急に部屋の中で妙な匂いがした。「しまった!」と思って、赤ちゃんのズボンをすぽり脱がして急遽チェックしてみる。あ、やっぱりあれだ。』 2.「道でアラビアの女性を見た時、いつも神秘感を覚えている。時が止まって私一人だけ動くことができたら、彼女たちの隣に飛び込んでいって、その頭に覆っている布をすぽり剥がしたい。」 3.「急に強い風が立った。アラビアの女性の頭に覆っている布がするりと飛んでしまった。」

  • mabomk
  • ベストアンサー率40% (1414/3521)
回答No.1

淡雪さん、毎度です。(この'毎度です'は関西方面の慣用挨拶句で 心安い人に、'毎度有り難うございます''ご商売はどうでしょうか" '如何お暮らしでしょうか'、を「総ひっくるめ」にしたものです。) 今では、商人同士だけではなく、友達同士や一般人同士でも親しみ を込めて使われています。 閑話休題、 「純粋の日本の浴衣」は一寸判りません、大体「純粋でない」 「日本の浴衣」があるとは思えません、、、 「すぽり」、、、「何気なく」「力入れずに」の雰囲気があります。 「その二日前」、、、「その」が比較的にそんなに重要ではない感じが します、「この」場合「この」では「絶対にこの二日前」みたいな、、、 書いてきて段々判らなくなりました(自爆)、本を読んでいないので これ以上は「コメントを差し控えさせて頂きます」の常套句で逃げます。 「海老茶や紺や藍の色」とは頭巾の色ではなく、水着の色でしょうか、、、、 そうです。昔(明治時代)の水着の色は、多分、海老茶、紺色、藍色 が多かった、小学生時代の「スクール水着」は大抵「紺色」「藍色」でした。

awayuki_ch
質問者

お礼

 まぼmkさん(このようにお呼びしてよろしいでしょうか)、毎度です。もうかりまっか。(あっていますか^^)小学生時代の懐かしいお話を伺うことができて嬉しいです。海老茶色はなかなか面白い表現ですね。まるで新鮮な海老を食べたような気がします。本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

>「純粋の日本の浴衣」は一寸判りません、大体「純粋でない」「日本の浴衣」があるとは思えません、、、 偽物とかは可能でしょうか。

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