夏目漱石『こころ』の理解について

このQ&Aのポイント
  • 日本語を勉強中の中国人が夏目漱石の『こころ』を読んでいる際に理解できない部分があるため、質問します。
  • 質問内容は、(1) 西洋人、先生、私の三人の位置関係がわからない理由と、なぜ「その日本人は砂の上に」なのか、(2) 「行く」ではなく「来る」という動詞の使用、および「通り抜けて、比較的広々した所へ来る」という動作の実行者の特定についてです。
  • 日本語に関する質問や不自然な表現についての指摘も歓迎します。
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『こころ』の「上二」2

 日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上二」の中で理解できないところがあるので、教えていただけないでしょうか。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.彼はやがて自分の傍(わき)を顧みて、そこにこごんでいる日本人に、一言(ひとこと)二言(ふたこと)何(なに)かいった。その日本人は砂の上に落ちた手拭(てぬぐい)を拾い上げているところであったが、それを取り上げるや否や、すぐ頭を包んで、海の方へ歩き出した。 (1)どうも西洋人、先生と私のこの三人の位置関係はわからなくなりました。三人とも掛茶屋にいるのではないでしょうか。それが正しいなら、なぜ「その日本人は砂の上に」になるのでしょうか。掛茶屋の地面は砂で出来ているのでしょうか。 2.そうして遠浅(とおあさ)の磯近(いそちか)くにわいわい騒いでいる多人数(たにんず)の間(あいだ)を通り抜けて、比較的広々した所へ来ると、二人とも泳ぎ出した。 (1)なぜ「行く」ではなく、「来る」という動詞を使うのでしょうか。「私」はその時、いったいどこにいるのでしょうか。「通り抜けて、比較的広々した所へ来る」という動作をする人は先生と西洋人ですか。それとも文中の「私」でしょうか。  また、質問文に不自然な日本語がありましたら、教えていただければ大変ありがたく思います。よろしくお願いいたします。

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  • hakobulu
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回答No.1

1、掛茶屋の地面は砂で出来ているのでしょうか。 :そうです。 最近はそうでないところもあるでしょうが、砂浜の上に葦などで囲っただけの茶屋が殆んどだったはずです。 2、「比較的広々した所へ来る」という動作をする人は先生と西洋人ですか。 :そうです。 「私」ではなく、彼らの視点で表現しているので「来る」と表現しています。 「そうして遠浅(とおあさ)の磯近(いそちか)くにわいわい騒いでいる多人数(たにんず)の間(あいだ)を通り抜けて、比較的広々した所へ【行くと】、二人とも泳ぎ出した。」 という表現のほうが、平叙文としては(私という)視点が一定しているので自然なのですが、 【来ると】と、一時的に彼らの視点で表現することによって、海水が彼らの胸のあたりにちゃぷちゃぷ纏わりついているような情景すら目に浮かんできて、効果的です。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 hakobuluさん、いつもお世話になります。ご回答ありがとうございます。掛茶屋はひたすら中国のお茶屋と同じようなものだと思ってしまったので、勘違いしてしまいました。「来る」、「行く」は視点と関係があるのですね。中国語でもこんな表現方法があります。また面白いことを発見しました。たくさんの文章を読んで、これから「来る」と「行く」のこの面の違いを味わってみたいです。擬態語と擬音語は私にとっていつも難しいです。ようやく眉を開くことができると思いましたが、また新しい擬態語がどんどん来て更に困りました。(←李淸照の『一翦梅』の【才下眉頭,却上心頭】の活用。ちょっと季節外れなのですが、http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/liqingz9.htm)本当にありがとうございました。大変参考になりました。

awayuki_ch
質問者

補足

>海水が彼らの胸のあたりにちゃぷちゃぷ纏わりついているような情景 「ちゃぷちゃぷ」はどんな感じの擬態語でしょうか。辞書を調べても載っていません。「しゃぶしゃぶ」ならわかるのですが(><)。

その他の回答 (3)

  • hakobulu
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回答No.4

#3です。 今年は雪があまり降りません。 助かりますが、異常気象なのは明らかなので不気味ではあります。 再び良い漢詩を教えていただき嬉しく思います。 今日ちょうど海岸に行って一羽の鴎を写真に撮ろうと苦戦してきたところです。 ただ、夕陽を背景に撮ろうとチャンスを窺っているうちに、どこかへ飛んで行ってしまったのです。 まさか、杜甫さんの詩の中に隠れていたとは思わなかったのでビックリしました。(^^;) 本当に偶然です。不思議な気持ちがします。 【ツァン ハイ イー スー】 透明なバイオリンの音のような、とても美しい調べと感じます。 ちゃんと食事してますか。 適度な運動も忘れずに。 可能な限り睡眠を十分におとりください。  

awayuki_ch
質問者

お礼

鴎はかくれんぼうが好きみたいですね^^。神様はhakobuluさんに雪かきを苦労させたくない願いを叶ってくれたようですが、雪に恵まれる願いはまだ叶ってくれません……。神様は忙しいかもしれませんね。 海のそばに簡単に行けて羨ましいです。http://nontan91.exblog.jp/m2006-07-01/私のパソコンの壁紙は上のサイトの『2006-07-25の「海を見ていた午後」』にしています。偶然に見つけたサイトですが、そこの風景によく酔ってしまいます。hakobuluさんは「海を見ていた午後」という写真を見て、どんな言葉を思い出されますか。まず、考えてみてください。私はあとで中国語でお答えします。 今日の最高温度は12度だそうです。地下鉄乗り場のエレベーターが壊れました。久しぶりに自分の足を使って階段を下りました。エレベーターに頼りすぎると、いつか赤ちゃんのような足に戻ると今日の日記で自分に警鐘を鳴らしておきます;;;;;。それと、「ちゃんと食事すること、適度な運動も忘れないこと、可能な限り睡眠を十分にとること」も書きます。ありがとうございます♪。 バイオリンの音はお好きですか。私はなぜかバイオリンの音が苦手です(^^;)。ピアノとギターの音が好きです。人ってそれぞれ違うから、お気になさらないでくださいね。 あ、先ほどの宿題の件ですね。私の答えは「海天一色」です。hakobuluさんのお答えに近いのでしょうか。

  • hakobulu
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回答No.3

#2です。ご返事ありがとうございました。 1、なぜか個別ページのURLが表示されません。 「あめふり」をクリックしてください。(「雨降り」というのもありますが、ひらがなだけの題名のほう) 気付かずに失礼しました。 2、曽野綾子さんの文をご紹介いただきありがとうございました。 なかなか深遠な内容でした。 あらゆる存在が清濁混淆の上に成り立っていることを海は示唆しているようです。 「海」と「太古」の組み合わせはしっくりきますね。 3、「滄海一粟」という表現もいいですね。 中国語の発音を教えていただけませんか。 4、回答は私の楽しみ、趣味なので、残業をしているつもりは全くありません。 どうぞ、お気遣い無く。 でも、趣味にしても夜更かしは確かに良くないですね。 お気持ちはありがたく受け取っておきます。  

参考URL:
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html
awayuki_ch
質問者

お礼

1. 今回は見られました。メロディーも聴けました。本当にか愛い歌ですね。「チャップチャップ」の雰囲気も十分体験できました。ありがとうございます♪ 2. >あらゆる存在が清濁混淆の上に成り立っていることを海は示唆しているようです。 hakobuluさんらしい哲理に富んだ解釈ですね。 3. >中国語の発音を教えていただけませんか。 滄海一粟(cang1 hai3 yi2 su4) 「ツァン ハイ イー スー」に近いかと思います。「滄海一粟」をお気にいっていただきありがとうございます。 雄大の風景の中で一粒のようなイメージを受ける好きな句をもう二つご紹介します。 ・杜甫「飄飄何所似,天地一沙鴎。」 http://www.e-t.ed.jp/edotori390121/5gatu5.htm ・蘇軾「一蓑煙雨任平生。」 ネットで見つけられなかったので簡単にご紹介します。ある晴れた日、蘇軾は何人かの友人と一緒に山へ遊びにいきました。山道を歩いた時、急にどしゃ降りが降りました。同行の友人たちは文句を言ったり、雨宿りの場所を探したりしていましたが、蘇軾一人だけは、雨が竹の葉に打つ音を聞き、鼻歌を歌いながら、雨の中で自由自在に歩いていました。この日常の小さな出来事にもとづいて詞を作られました。左遷された後の詞なので、蘇軾の人生態度も覗えると思います。風雨(挫折)が来た時、その風雨を蓑にし身に纏わりつき、ゆったりと落ち着いて対処し人生の道を歩むってどんな豁達の心境でしょう。「たどり着いたらいつも雨降り」という歌も似ている感じですね。 4. 「残業手当」のたとえは不適切だと思います。不良品として回収させていただきます。本当は【手当】ではなく、【残業】の部分を強調したかったつもりです。申し訳ありません。 最近、shiというものが怖いです。自分のshiではなく、他人のshiが怖いのです。最近、よく病院へお見舞いにいくせいか、毎日自分にとって慣れてきた存在の人は、もしある日shinnだら、これからどうしようという恐怖を時々頭を過ぎります。ですから、自分の体は自分ひとりのものではと思います。不吉な話を聞かせてしまい申し訳ありません。 またお聞きになりたいことがあったら、ご遠慮なくどうぞ♪

awayuki_ch
質問者

補足

二文字抜けていました。ごめんなさい。訂正します。 >ですから、自分の体は自分ひとりのものではと思います。 ですから、自分の体は自分ひとりのものではないと思います。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.2

#1です。ご返事ありがとうございました。 「ちゃぷ ちゃぷ(TYAPU TYAPU)」は、 ある程度溜まっている水が、わずかに揺れて何かに当たる時の音です。 先生達の動きに連れて周囲に少し波が起き、体に緩く当たっている様子を書いたつもりです。 当たりかたが強くなると「バシャ バシャ」などとなります。 参考URLでは、子供が水溜りに長靴の足を入れたときに出る音を、 「チャップ チャップ」と表現していると思います。 しゃぶしゃぶは殆んど食べませんね。 肉より魚の方が好きなんです。  URLありがとうございました。 いいですね漢詩は。 いつも受ける一貫したイメージは『清流』です。  

参考URL:
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html
awayuki_ch
質問者

お礼

 再びありがとうございます。「ちゃぷちゃぷ」のイメージはよく捉まえるようになりました。大変参考になりました。『こころ』に海が頻出ですね。最近、曽野綾子が書かれた海についての段落を読みました。「字を書いては消しているよう」や、「太古の姿に還る」などの表現が気に入りました。好きな文に出合えたこの頃の些細な歓びをhakobuluさんにもわけてあげたいです。 『海は光と共に遠のいて行きつつあった。  海は、字を書いては消しているように史子は思った。何の字かわからなかった。死者の名でもあり、そうでもないようにも思えた。  死者たちは、名を持っているようでいて、実は名がないのだった。生きている人間も、やはり同じだった。名前には、時折り生臭い罪業の匂いがする。海の香がそれをきよめ、ついでに名前を消した。それで海は太古の姿に還る。』  地球が形成した時から、海は形成しているのであろうと思っています。いままで本当に長い月日がたちましたね。そんな太古の素顔のままの広い海を前に、「滄海一粟」の存在のこの私がいます。心が洗われたような気がします。George Winstonが演奏されるピアノ版のCanonが大好きで、思い出や時の流れを感じさせてくれる曲です。最近Canonを聴いたら、曽野綾子が書かれた字を書いては消しているような海、太古の素顔のままの広い海が感じております。次のページでCanonを聴けます♪ http://blog.tianya.cn/blogger/post_show.asp?idWriter=0&Key=0&BlogID=408011&PostID=8118969  また、以前もお願いしたことがあるのですが、もう一度お願い申し上げます。残業手当は払いませんので、これから残業しないでください。どうかお願いしますm(_ _)m。

awayuki_ch
質問者

補足

>参考URLでは、子供が水溜りに長靴の足を入れたときに出る音を、「チャップ チャップ」と表現していると思います。 URLをクリックしましたが、たくさんの歌が出てきてしまって、どれを聴くのかよくわかりません。「チャップ チャップ」はどの歌の歌詞に出たのでしょうか。ちなみに、私も犬とのではなく、猫と食べ物を争うほうが好きなんです^^。

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