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「ている」の「歴史的なことがら・経歴・経験などを記録として述べる言い方」という使い方について

unemerdedechienの回答

回答No.13

#2です。ちょっとこれ↓を御覧なさい。 子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如、子曰、可也、未若貧時樂道、富而好禮者也、子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與、子曰、賜也、始可與言詩已矣、告諸往而知來者也、 子貢が曰わく、貧しくして諂(へつら)うこと無く、富みて驕(おご)ること無きは、何如(いかん)。子の曰わく、可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好む者には若(し)かざるなり。子貢が曰わく、詩に云う、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如しとは、其れ斯れを謂うか。子の曰わく、賜(し)や、始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。諸(こ)れに往(おう)を告げて来を知る者なり。 子貢がいった、「貧乏であってもへつらわず、金持ちであってもいばらないというのは、いかがでしょうか。」先生は答えられた、「よろしい。だが、貧乏であっても道を楽しみ、金持ちであっても礼儀を好むというのには及ばない。」子貢がいった、「詩経に『切るが如く、磋るが如く、琢つが如く、磨くが如く、』と[いやがうえにも立派にすること]うたっているのは、ちょうどこのことでしょうね。」先生はいわれた「賜よ、それでこそ一緒に詩の話ができるね。前のことを話して聞かせるとまだ話さない後のことまで分かるのだから。」 「子貢曰」と「子曰」の読み方が異なっています。まず、「曰」という字の読み方が違う。前者はイハクで後者はノタマハクです。そもそも両者は「ク語法」と呼ばれる文語表現で、イフおよびノタマフという動詞を名詞化するものです。そしてノタマフはイフの尊敬語です。 子曰の子は言うまでもなく孔子様ですから、絶大なる敬意の対象となるので、訓読するとき、すなわち日本語化するときには原文にはない敬語表現が必要になります。 で、もう一つの違いも敬語に関わるものです。「が」は平叙もしくは卑下を含意し、それと対蹠的に「の」は敬意がこもる言い方なのです。これは現代語ではほとんどまったく区別されないのですが、なんとなく痕跡めいたものは残っているような気もします。 しかし「シノノタマハク」なんてのは耳に染み付いますけどねえ。でも「シ、イハク」と読む人もいます。それはきっと原文にない敬語を付けるのは余分だ、という考えだろうと推測できるし、そうなら一貫性があってそれなりに頷ける考え方です。「シガイハク」とも「シノイハク」とも言いたくないという理屈、わかりますね。無論「シガノタマハク」なんてのは問題外だってことも。 同じく、「子貢ノイハク」なんて言われたらそうとう耳障りなことでしょうな。そんなこと言う奴はいないはずだけど。 でようやく問題の「本が曰く」ですが、これは正しくは「本に曰く」となります。「論語に曰く」だの「バイブルに曰く」だの「憲法前文に曰く」だの「露伴の『風流仏』に曰く」だの、人間が影に隠れている事物が曰くに先行するなら、使用する助詞は「に」に古くから決まっていて今に至るも変化ははござらん。日本書紀に頻出する「一書曰」は「イッショニイハク」です。(たまに「アルフミニイハク」と読む人もいる。) >口を酸っぱくさせて申し訳ありません。 べつにあなたの一人のことを申したわけではないのでお詫びには及びません。 >過去形、現在形などの定義がないなら、外国人は日本語が勉強できないですね。 待ってください。定義もなにも、過去形も現在形も日本語にはありませんよ。ないんですったら。だからそんな言葉を使って国文法を教わった覚えは全くありません。文法も進歩しているから改正された部分も少なくないでしょうが、こんな基本的なところが動くはずはないと思います。 日本語を母語や第三の言語との対応において理解しようとするかぎり、今ぶつかっている壁を乗り越えるのは難しいでしょう。 日本人が英語をはじめとする外国語の習得を極端に苦手にするのは、日本語の時間把握が特異なせいもずいぶんあると思います。と言うか、日本人には英語の過去とか未来完了とか、ほんっとぜんぜん理解できないんですよ逆に。かいもく理解できないまま、日本語を考えるときに現在進行形だの過去形だのと英文法のために作られた用語を使うんだから笑止であります。なに、かく言う私も外国語は大の苦手ですけどね。

awayuki_ch
質問者

お礼

 お礼の字数オーバーになるので、補足欄も一緒に使わせていただきます。一昨日夜遅くにもかかわらず、ご親切に回答して頂きまして誠に有難う御座いました。私の質問は全部急がないものなので、これから遅い時間まで付き合わないように強くお願いいたします。お体にも気をつけてください。  孔子まで登場して頂いて感謝しております。日本の方は中学校から漢文の勉強をなさるそうですね。中国人にとっても大変難しい内容です。本当に感心されております。  「人が曰く」と「人の曰く」の違いは大変参考になりました。中日の言葉を対照してみたら、なかなか面白いものです。 中国語*日本語 人曰 |人が曰く 人の曰く 本曰 |本に曰く  挙げられた例から日本語らしい特徴が二つ窺えました。 1.敬語  とても厳しいようですね。昔からすでに意識されているようです。 2.「が」、「に」、「の」などの助詞(?文法がぜんぜんだめなので、「助詞」と呼ばないかもしれません。)  私にとって、こういうような成分は「のり」のようなイメージを受けております。二つの破片をノリを使うことによってつなぐのです。  「曰く」という日本語は現代日本語の口語で聞いたのです。現代中国語ではほとんど古人の言葉、古い本の言葉を引用する時しか使わないので、「曰く」という表現の新鮮さを覚えておりました。中国語は「が」、「の」、「は」などのノリのような成分がないので、中国人が日本語を勉強するときに、「が」、「の」、「は」などの壁によくぶつかるのです。  日本語の古文の文法を勉強しないと、日本語の本質がずっとわからないかもしれません。日本語の古文の文法もちゃんと勉強するつもりですが、古文の文法についての本を読むと、頭がものすごく痛くなりました。日本語がいやになるのも怖いかもしれません。結局、三日坊主の根性になってあの本はまだ本棚で寝ています。そんな自分はとても情けないと思います。でも、本当に読む気にはなりません。いつか心機一転でまた読むかもしれません……。ちなみに、今回読んでいる本は日本語の系統的な文法の本ではなく、日本人編集者による日本語表現文型のまとめの本です。

awayuki_ch
質問者

補足

 過去形と現代形の件ですが、以前も相談にのっていただいたことがありますね。あの時のコピーはきちんと預けております。いつかお考え方が理解できる日が訪れてくると信じております。以前も申し上げたように、「た」は中国語の「了」に近いように感じました。中日の言葉の共通点が多く、両方とも英語の文法ルールほど厳しくないように感じております。別に英文法と一つ一つ対応して勉強するつもりはありませんが、過去、現在、未来、進行などのことを表す時に、一般的には日本語はどのように表現するのかという外国人の日本語勉強者の立場に立っていただければ大変ありがたく思います。  実は、過去のことであっても、中国語でも「水面の波紋が広がってゆく」という余韻を出す表現方法をするのです。中日の言葉の共通点が多いと思います。でも、いくら共通点が多いと言っても、やはり違うところも相当たくさんあります。最近気づいたのですが、日本語の語尾の表現方法は難しいです。いまいろいろな文章を読んで味わいたいです。  何度も本当に有難う御座いました。勉強すればするほど、自分の無知を感じており、わからないものもどんどん増えてきたような気がします。ゆっくりと前へ進もうと思います。もう少し時間がほしいです。心より厚くお礼申し上げます。これからもよろしくお願いいたします。

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