• ベストアンサー

「ている」の「歴史的なことがら・経歴・経験などを記録として述べる言い方」という使い方について

hakobuluの回答

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.9

#4です。ご返事ありがとうございました。 1、>どんな時に「動かし難いものとして認識できる事実」の「している」を使うのか、どんな時に、「した」だけを使うのか :【静的な事実(または経験)の確認】と【動的な動作完了時の再現】という違いと考えてみてはどうでしょうか。 a.「劉翔は、2006/07/11に、 110mハードルで 12秒88 の世界記録を樹立している。(A)」 という例について考えてみましょう。 「劉翔は、2006/07/11に、 110mハードルで 12秒88 の世界記録を樹立した。(B)」 という表現にしても不自然ではありません。 ただ、意図するニュアンスが違ってきます。 (B)は、「記録を樹立した」という、過去のある時点での動的内容を表現(再現)しようとしています。 (A)よりはゴールテープを切る瞬間を想像しやすいように思います。 (A)は、「記録を樹立したという事実」あるいは「記録を樹立したという経験があること」を確認しようとしていて、静的印象を受けます。 b.「モーツァルト【は】12歳のときに、オペラを作曲している。」は、 『オペラを作曲したという経験をしている』 『オペラを作曲したという歴史的事実がある』 ということを確認する意図があるでしょう。 「モーツァルト【は】12歳のときに、オペラを作曲した。」という表現からは、 彼がピアノの前に座って最後の音符を記入し終わった当時の動的瞬間を素直に想像することも可能でしょう。 【作曲したという事実があったこと】に言及しているのではなく、作曲という動作が再現されているように思われます。   2、四字熟語で「面目躍如(めんもくやくじょ)」です。 「オフロードを全く苦にしない仕上げは、BMWの面目躍如たる技術の現われである」 「アシモフの面目躍如たる傑作短篇集! 」 「烈々たる気迫のこもった糾弾演説をされ満場の大喝采を浴びて演説を終えられ、かつての労働運動の闘士としての面目躍如たる姿を目の当たりにした」 など、「面目躍如たる」という言い回しが一般的と言えるでしょう。 3、>その前に、必ず、「月が出た」という「が」を使った文があるはずだと思えました。 a.前回、「読者も○○の存在を既知のものとして受け止めているシチュエーションが必要」と述べたのは、そういう意味です。 ただ、必ずしも「が~」という文が明示されている必要はないでしょう。 「その月は大きい」の場合は、「その」という指示代名詞があるので、「月が出た」などの文が先に明示されていないと確かに不自然ですが。 b.「アポロ4号からアポロ6号までは無人でのテスト飛行であった。 アポロ9号とアポロ10号では月着陸船の試験が行なわれた。 そのような段階を踏んだ後、」→ 「アポロ11号【は】1969年に月に着陸している。」 などという表現は可能です。 つまり、「【唐突に】主題として提示する」のでなければ良い、ということになるでしょう。 例文としては前後の文を全て載せるわけではないでしょうから。不自然ということにはならないと思います。 「アポロ11号【が】1969年に月に着陸している。」 という例文であっても、単独文として唐突であるという点では同じことになるでしょう。 4、>「編集者が日本人」だけで「本」を修飾するのは、やはり無理でしょうか。 :『「編集者が日本人」の本に書いた』よりも、 『編集者が「日本人の本」に書いた』と解釈(誤解)される確率が高いでしょうね。 「~が日本人」という使い方は間違いではないのですが、 「(日本)人の~」という結びつきの方が一般的だからでしょう。 「彼がアメリカ人の女性と会う。」という文の場合も、 『「彼がアメリカ人」の女性と会う。』と解釈されることは少ないでしょう。 『彼が、「アメリカ人の女性」と会う。』と取られるのが普通だと思われます。 5、少し調べてみたのですが、「曰く」「が曰く」「の曰く」 どれでも使えそうですね。 ・彼曰く○○ →最も詠嘆調の宣言、 ・彼の曰く○○→○○の内容に重点が置かれた表現、 ・彼が曰く○○→○○の内容もさることながら、彼という主格に重点を置いた表現、 という印象を与えると思います。 本を主語にするのはユニークな擬人法で全く問題はありませんが、 「本が曰く」とすると擬人化の度合を強調しすぎた印象を与えるように思うので、 「本の曰く」として、述部の内容に重点を置いたほうが良いのではないかと思ったわけです。  

awayuki_ch
質問者

お礼

4. >「彼がアメリカ人の女性と会う。」という文の場合も、『「彼がアメリカ人」の女性と会う。』と解釈されることは少ないでしょう。『彼が、「アメリカ人の女性」と会う。』と取られるのが普通だと思われます。『「彼がアメリカ人」の女性と会う。』と解釈されることは少ないでしょう。 もし「私は彼氏がアメリカ人である女性と会う」なら、どのように書くのでしょうか。「私は彼氏がアメリカ人の女性と会う」はだめでしょうか。            *    また字数オーバーになってしまってごめんなさい。ご回答ありがとうございました。「確認」という意図はまだよく理解できていないと思います。「面目躍如」は四字熟語なのですね。でも、接続はまだよく理解できていないかもしれません。5は見事に解決できました。大変参考になりました。最近、中国の研究をしておられますか^^。それでは、またhakobuluさんのご回答を楽しみにしております♪

awayuki_ch
質問者

補足

1. >【静的な事実(または経験)の確認】と【動的な動作完了時の再現】という違いと考えてみてはどうでしょうか。 この説明のほかのところは理解できましたが、「確認」というところがまだよくわかりません。なぜ確認する必要があるのでしょうか。「動かし難いものとして認識できる事実」なら、確認する必要がないのではないでしょうか。 No.6さんへの補足にも書いたように、私は「~である」と「~だ」との雰囲気の違いを思い出しました。論文を書く時に、「~である」はより理性的な書き方でしょう。たとえば、富士山に関する論文。「富士山は日本の一番高い山である」と「富士山は日本の一番高い山だ」。おそらく、「富士山は日本の一番高い山である」のような書き方は望ましいほうでしょう。「ている」のこの使い方は「富士山は日本の一番高い山である」という文の語尾の「~である」の雰囲気に近いでしょうか。富士山という現場から遠く離れているところに身を置いて、心を静かにしてその富士山という存在、その現場を客観的で冷静的に眺めながら淡々と述べるという感じでしょうか。それに対して、「~だ」は話者の判断なども混入されている感じで、極端的な感覚にしたら、「~だ」は「富士山は日本の一番高い山なんだよ!!!知らないのか!!!」のような熱血系の叫びになってしまうでしょう。ですから、「ている」のこのような使い方は「~である」の雰囲気に近く、「~だ」の雰囲気に似ていない感じがします。なんとなく、いまのところ、こんな感じでした。 勝手な推測ですが、例文1と2のような書き方は文献資料、人物伝記、科学発見の紹介、歴史事件の紹介などの分野でよく見られる表現でしょうか。 >(A)は、「記録を樹立したという事実」あるいは「記録を樹立したという経験があること」を確認しようとしていて、静的印象を受けます。 「確認しよう」というところはやはり難しいです。「静的印象を受ける」はいまなんとなく感じております。ちなみに、劉翔はよ~く知っていますよ。いとこのあだ名です^^。大学で同級生に「劉翔」と呼ばれているそうです。 > 『オペラを作曲したという経験をしている』 『オペラを作曲したという歴史的事実がある』 ということを確認する意図があるでしょう。 なかなか「確認する」という意図が理解できませんでした。でも、「静的」、「動的」はなんとなくわかったような気がします。 2. >「烈々たる気迫のこもった糾弾演説をされ満場の大喝采を浴びて演説を終えられ、かつての労働運動の闘士としての面目躍如たる姿を目の当たりにした」 ああ、この例は大変難しいです(><)。人物関係がよくわかりません。誰が誰にどんなことをした、それからどんなことをされたのでしょうか。「糾弾演説をされた」のは誰でしょうか。「大喝采を浴びて」のは誰でしょうか。「演説を終えられ」のは誰でしょうか。「目の当たりにした」の意味もよくわかりません。「大喝采」の読み方も教えてください。 >「1.アポロ11号【が】1969年に月に着陸して、アメリカの面目躍如となった。」 No.4で書かれた例の「アメリカの面目躍如となった」という部分はまだよくわかりません。「アメリカの面目躍如となった」の区切り方を教えてください。できれば、「面目躍如たる+名詞」という構造の例文ではなく、上の文の「面目躍如」と同じ構造の「面目躍如」の例文を挙げてください。 3. >つまり、「【唐突に】主題として提示する」のでなければ良い、ということになるでしょう。 はい、助かりました。よくわかりました。 >「アポロ11号【が】1969年に月に着陸している。」という例文であっても、単独文として唐突であるという点では同じことになるでしょう。 No.8さんへの補足もご覧ください。へりくつですが、hakobuluさんのご意見も伺いたいと思います。 私はただ一種の現象だと考えました。現象だから、「が」です。おいしいと思われますか。「アポロ11号が」は本当は「アポロ9号」、「アポロ10号」などではなく、「アポロ11号なんだ」のように考えていないと思います。「海が青い」文も本当は「空ではなく、海なんだ」と考えていないと思います。自然に恵まれている性質のように「が」を使ったわけです。しかし、それらの現象のことと違って、「私が海が好きです」なら、Aではなく、Bではなく、「この私【が】海が好きなんだ」という意味が強調されていると思います。 「○○が△△」と「○○は△△」の理論はよく理解できていると思います。でも、私の中で、『(自然)現象に対して「が」をまず考えましょう』という大学時代から持っているルールもあります。この考え方で「が」を決めるのが心配です。やはり捨てるべきでしょうか。

関連するQ&A

  • 主語

    「私はあなたが嫌いだ」 「私は古いものがほしい」 「私が新しいものが嫌いな人だ」 「私は歩くのが速い」 適当に4つ文を並べてみましたが、主語はどのように決められるのでしょうか? とりあえず、文をいろいろ出しただけなので、例文としては出来が悪いかもしれませんが、聞きたいのは主語確定の方法です ちゃんとしたルールがあるのでしょうか? 日本語とは文意をとらなければ主語が確定しない言語なのでしょうか? ということは理屈的には、文意の分からない文章、つまり、今までに考えたこともない事柄についての文を読むとき、ネイティブの日本人さえ、主語が分からない(=文構造がとれない)ことがあるのではないでしょうか? これは、意思疎通、情報伝達を行う手段としては致命的な欠陥だと思うのですが、どうでしょうか? この文章を読んでもらえば分かるように、自分は日本語に精通している者ではないため、それを踏まえた、一般人に理解できるような説明をお願いします。

  • 助詞の「は」について

    日本語の質問です。 「は」という助詞が有りますよね? これは主に主語に付きますが、主語じゃないものに対しても付けることは出来ますよね? (例) 彼はその本の内容をしっているが、一方あの本の内容は知らない。 上の例文で、「あの本の内容」は主語ではありませんが、助詞の「は」が付いているので 一応確認しておこうと思いました。 宜しくお願いします。

  • 「分かる」という動詞は、他動詞?自動詞?

    日本語の「分かる」という動詞は、他動詞なのか自動詞なのか、質問したいです。 なぜこのような質問をしているかと言うと、 ある本において、このような内容を目にしたからです。 内容・・・「田中先生はロシア語が分かる。」      この例文の主語は、「ロシア語」であり、「田中先生」ではない。      なぜなら、「分かる」という動詞は他動詞なので、主格補語の「ロシア語が」が主語になるのだ。      もし動詞が「理解する」であれば、自動詞であるので、話は別。 というものです。 しかし、私は、「分かる」は自動詞であり、上記の例文の主語は「田中先生」ではないのかと考えます。 なぜ、「分かる」という動詞は他動詞だといえるのか・・・? 教えてください。 また、日本語の「他動詞」「自動詞」を瞬時に見分けられるようなウェブサイトなどがあれば、 そちらも教えて頂きたいです。

  • how 形容詞+名詞は主語になれますか?

    how 形容詞+名詞は主語になれますか? 次の二つの文がわからないです>< この文の語順はフォーマルでもこうなんですか? How many ants have eaten the bees? 次のものは日本語訳がついていますけど、敢えてふせますw How old a child drew that picture? 注意: 最初の例は、次の文との対句で例文があげられています How many ants have the bees eaten? よろしくおねがいします!

  • 主語+動詞+什么(+名詞)?動詞の場所がわかりませ

    中国語を勉強し始めて1ヶ月の初心者です。 初歩的な質問かもしれませんがお願いします。 テキストの例文でこのようなものがありました。 你们去什么地方? あなたたちはどこに行きますか 主語+動詞+什么(+名詞)の順だと認識したのですが、 次のような例文もあり、こんがらがりました。 小李什么时候去? 李さんはいつ行きますか 你什么时候来? あなたはいつ来ますか これらの文は、主語+什么(+名詞)+動詞になっています。 この違いは、どのように理解すればいいのでしょうか。 中国語に詳しい方、どうぞよろしくお願いします。

  • なぜここの「たら」は不自然なのでしょうか。

     私は日本語を勉強している中国人です。次の文の中の「たら」の使い方について質問させていただきます。 「窓外の風景をすでに眺め始める私は、後ろを振り向いたら、ある女子学生の照れくさい顔が目に入った。」  上記の文は私の作文の中の一文です。作文は次のスレッドをご参考になさってください。(質問文の段落を除き、作文の第三段落の三つ目の文です。) http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3960962.html  この一文に不自然なところが多いと思いますが、ここで特に検討したいのは、「たら」のことです。なぜ私の文の中の「たら」は不自然なのでしょうか。ネイテイブの方々の添削文の中で、全部「と」と直してくださいました。  文法の本で調べてみたところ、「たら」の項目で次のような例文を見かけました。全部自然な日本語の例文になっているのでしょうか。 ●山道を歩いていたら、林の中からさるの親子が出てきた。 ●スーパーで買い物をしていたら、マリさんも来た。  どなたか説明していただけないでしょうか。また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それも指摘していただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 次の日本語は自然でしょうか

     日本語を勉強している中国人です。中国人の作者が書いた日本語の参考書を読んでいます。本に出てきたいくつかの例文に少し気になっていますので、質問させてください。次の日本語は自然な日本語なのでしょうか。 1.「一日三回ご飯を食べます。」  私は「一日に三回ご飯を食べます」が正しいと思いますが、「に」を外したほうが自然なのでしょうか。 2.「あの人は毎日のようにお酒を飲みます。」  「毎日のように」と「毎日」のニュアンスはどう違いますか。この文にある「ように」の使い方が良く分かりません。  また、作文が上手くなりたいのですが、質問文に不自然な部分があれば、ご指摘いただけないでしょうか。よろしくお願いします。

  • ここの「のに」の使い方が自然でしょうか

     日本語を勉強中の中国人です。次の例文の中の「のに」の使い方が自然でしょうか。  「弟はおいしい柿を食べたいからと、柿の種をまいた。実ができるまで何年もかかるのに、本当に気が長い話だ。」  また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 原文に沿った訳を教えてください

     日本の神話という本を読み始めたら、次の文に行き当たりました。 then something resembling reed shoots sprouted up. From these were born seven generations of gods. そのとき葦の若芽のような何かが芽生えた。そこから、神々の7世代が生まれた、と日本語訳を考えましたが、From以下の文で、Fromの訳し方とその場合の主語(どれが主語になるかもよくわかりません)をきっちりと押さえた直訳はどのようなものになりますか。受身になっているのもよくわかりません。

  • 命令文について

    『命令文には主語、時制は無いが本当は隠されている。そのことを例を使って証明せよ。』という問題が出されました。命令文は目の前の人に言うから主語が省略されていると思うのですが、例文や時制が解りません。どなたか教えて頂けないでしょうか。