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第二次大戦、日本は本当に勝てると信じていたのですか?

第二次大戦が始まった時の状況と当時の指導者達の戦争に対する見通しを教えて下さい。 先の大戦が始まった時、日本とアメリカの経済格差が GNPで10倍、鉄鋼生産量で20倍であったと 聞きました。 自分でDATAを当たったわけではなく、このサイトから得た聞きかじりの知識です。 細かい数字はどうあれ、日本とアメリカの経済格差は大幅な開きがあったと思われます。 この様な状況で当時の指導者達は本当に日本の勝利を確信して開戦したのでしょうか? 先の大戦では多くの若者を中心として市民の犠牲者が出ました。 開戦するのに相応の理由をしり、自分自身納得したいです。 私は1理系の人間です。高校時代は日本史は履修したのですが、怠け者でテスト前に一夜付けですませた口です。 今更そんなこと自分で資料を当たれ!!! と怒られそうですね。 とすればどのような資料を当たればよいか教えて下さい。 宜しくお願いします。

みんなの回答

noname#204885
noname#204885
回答No.11

既にたくさんの人が回答されているのですけれど・・・、 田原総一朗が書いた「日本はなぜ負ける戦争をしたのか」(アスキー)を読んだ限りでは、内閣・軍部中枢には明確な主戦論者は誰もいなかったにもかかわらず、松岡洋右のような例外的な主戦派や軍部若手、更に一部メディア・文壇の突き上げに動かされ、明確な決断を下せないまま、殆どなし崩し的に戦争する方向に判断が傾いたと言う風に書かれています。 宣戦布告の責任者は東条英機ですが、本人も個人の見解は対米戦争に批判的あったと言われています。誰からも積極的な発言が全く出ないままに、内閣をまかせられて下駄を預けられ、「ここまで来たらやるしかないのではないか」と言う暗黙の合意に身をまかせざるを得ない形になったと言うのが実情ではなかったかと。 私自身は他の博識の回答者の方々に比べて知識的には全く及ばないのですが、戦争末期に、もともと反戦論者だった東条がなぜあれほど最後まで遂行することにこだわったのか、その胸の内をおし測ると、開戦時の為政者たちのあまりの無責任さに怒り心頭に発して「もともとおまえらが押し付けてきたんだから、始めたからには最後までやりとおさんかあ~!」と思っていたのではないかなあと思っています。(やや東条を美化しすぎているかもしれませんが、日本社会の風土ではいかにも起こりえることなので、どうもそう感じてしまうのです。現代の会社社会でも良くあることだとも思います。) 「日本はなぜ負ける戦争をしたのか」は、田原節が嫌いな人にはどうかと思いますが、個人的には面白かったので一度読まれてはどうかと思います。(史実にどこまで肉薄しているかはまた別問題ですが。)

wanko05200
質問者

お礼

回答有難うございました。 考えるヒントを頂き感謝しています。 明確な決断を下せないまま、殆どなし崩し的に戦争する方向に>>> その程度のことで多くの若者や市民の命が犠牲になったのですね。 開戦時の為政者たちのあまりの無責任さ>>>> どんな職場でも責任を取ろうとしない指導者がいますが、国民の命や財産を預かる指導者にはそうあってほしくないと思います。 「日本はなぜ負ける戦争をしたのか」>>>> チャンスがあったらぜひ読んでみます。紹介有難うございました。

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  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.10

 終戦前年に兵役年齢となり、たかが一等兵であった父でさえ(ですから開戦時は今の高校生程度の年齢)、勝てる戦争だとは思わなかったそうです。  アメリカの漫画では、冷蔵庫や自動車が一般家庭にも普及していた頃で、「これだけ、国力の差があれば、勝てるわけがない。」と思っていたそうです。  一般市民で勝てると思っていた人は、神国日本だからとか、神風が吹くとか言っていたそうです。  田原総一郎著「日本の戦争―なぜ、戦いに踏み切ったか?」を読んでみて下さい。勝てない戦争に突入していくような日本の社会がどうして出来上がり、戦争を始めたかが良くわかります。

wanko05200
質問者

お礼

回答有難うございました。 勝てる戦争だとは思わなかったそうです。>>> 私はどんなに悪くても5分5分以上の勝算がないと勝負したくないタイプの人間です。 勝てないと分かっていて勝負する人の気持ちってどんなもんか疑問に思いました。 神国日本だからとか、神風が吹く>>>> 戦争という最も具体的な結果が出る行為に神とか宗教とかの精神論では全くモチベーションがあがりません。あくまで私の場合はです。 古来戦意高揚に神とか宗教などがあったのはもちろん知っています。私の場合は客観的なDATAが無いと高揚しないタイプの人間のようです。  田原総一郎著「日本の戦争―なぜ、戦いに踏み切ったか?」を読んでみて下さい。>>>> 推薦有難うございます。この著者のことを良くは知らないのですが、比較的中立な立場から論述されているように?感じます。感覚的に。 機会があったら呼んでみたいと思います。 有難うございました。

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  • kantansi
  • ベストアンサー率26% (658/2438)
回答No.9

No.3です。先に添付したサイトのHomeのURLを添付したのでご参照下さい。プロフィールに記載されていますが、昭和一桁生まれで、海上自衛隊勤務の後、民間のパイロットをされた方が開設しているHPです。   

参考URL:
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/
wanko05200
質問者

お礼

追加の説明有難うございました。

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  • yuhkoh
  • ベストアンサー率48% (350/723)
回答No.8

 戦争に勝つというのは「戦闘に勝利する」ことではありません。それは勝つための一要因です。重要なのは「自分たちの政治的主張を認めさせる」ことです。  ヨーロッパではドイツが好況なので、ここで短期決戦に持ち込めばアメリカ世論も揺らいで和平交渉が有利に進むのではという、瀬戸際外交です。「一矢報いる」「出たこと勝負」という日本的美学・発想が通用しなかったのでしょう。  ハル・ノートを突きつけられたから云々も、あくまでもアメリカ側の試案(叩き台)であり最終通告でもなかったものなので、交渉次第では落としどころもあったのですが…  結局、戦略無き外交、国際社会における日本の立場をしっかり認識していなかったのでしょう。戦争への反省というのは「感情論的悲劇」を語るのではなく、敗因を分析して「次は失敗しない」と学ぶことなんでしょうね。 以下引用・・・・・・・・ 『軍事板常見問題』より http://mltr.e-city.tv/index02.html 「WW2 アジア太平洋関連」から http://mltr.e-city.tv/faq08c.html#political-affair 「開戦関連」のうち http://mltr.e-city.tv/faq08h15.html#00781 【質問】日本は、なぜ不合理としか思えないアメリカとの戦争を選択したのか? http://mltr.e-city.tv/faq08h15.html#07379 【回答】それが最も生き残れる確立が高いと信じたから。  以下、ナイ教授の文章を引用。  <日本の視点からすれば、日本が戦争に向かうことは完全に非合理というわけではなかった。というのも、日本の見るところでは、それは最も悪くない選択肢だったのである、  もしドイツがイギリスを破り、奇襲攻撃を受けてアメリカの世論が揺らげば、交渉による和平の道もありえた。  根拠薄弱な日本の指導者のムードを、塚田攻陸軍参謀次長は次のように表現している。 「全般に、開戦の場合の見通しは明るくない。平和的解決の道はないかと、皆が考えている。『心配するな、たとえ戦争が長引いても全ての責任を取る』と言える者は、どこにもいない。  他方、現状維持は不可能である。したがって、不可避的に、開戦やむなしという結論に達するのである」  もとより、日本には中国と東南アジアでの侵略を改めると言う選択肢はあった。  だが、それは拡張主義的、好戦的な見解を取る軍部の指導者たちには考えられないことであった。  かくして1941年12月7日に日本は真珠湾を攻撃したのである>  ※真珠湾攻撃は日本時間では12月8日 まぁ…日本らしいと言えば日本らしいかも知れない。  詳しくは、ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」(有斐閣:2005.4)第4章を参照されたし。 【質問】日本の軍部に、対英米戦に勝利する見通しはあったのか? http://mltr.e-city.tv/faq08h15.html#02384 【回答】確固たる見通しがあったわけではなかった、と山田朗は述べる。 <参謀本部も開戦を前にして、1941年9月6日の御前会議説明資料においても、   対英米戦争は長期大持久戦に移行すへく、   戦争の集結を予想することは甚だ困難にして、   特に米国の屈伏を求むるは先つ不可能と判断せらるるも、   我南方作戦の成果大なるか、英国の屈伏などに起因する   米国輿論の大転換に依り、戦争終末の到来必すしも   絶無にあらさるへし(参謀本部編「杉山メモ」上、p。322) などと、自力でアメリカを降伏させることが不可能なことを認めた上で、イギリスの脱落に伴うアメリカ国内の非戦論高揚に期待していた。 (中略)  日本海軍は艦隊決戦(航空主兵論者は、航空戦力のみによる艦隊迎撃)、陸軍は歩兵部隊の機動による攻勢作戦という「決戦」の<型>に拘る余り、現実の戦争の中から戦い方を構想するのではなく、戦争が思い通りの<型>に当て嵌まるのを待っていたと言える。  いつしか自らのシナリオ通りの戦争に持ち込めると思いながら、当面の戦線の維持と急場凌ぎに終始したのである(後略)(山田朗『軍備拡張の近代史』、吉川弘文館、1997/6/1、p。221-、抜粋要約)  また、次のような話もある。  <東京裁判のときに連合国側の新聞記者達が東条英樹に、どう計算しても日本の勝利という結果は出てこないのだが、日本は真珠湾攻撃を仕掛けてきたのだからどのような勝利の目算をしていたのか教えて欲しいといったところ、東条英樹は「人間一度は清水の舞台から飛び降りることもある」と答えた。  つまり、当時の軍部にとって勝利の計算は全くできていなかったのであり、それは無謀というより自殺に近い戦争であったともいえる。  アメリカ人やヨーロッパ人にとっては、勝算なき戦いとか、「一矢を報いる」といった日本人的美学は通用せず、あくまでも負ける闘いはせず戦争は勝つ計算のもとに行うといった、合理主義がその根底にある。  これは現代の日本人やアメリカ人のものの考え方のなかにも現れることがある。  アメリカ人と話していて、どうしても理解してもらえない言葉に「出たとこ勝負」がある。綿密な計算をして事に臨んでもしばしば例外的なことが起こるのだから、最初から細かいことに拘らない方がよいという日本人の考え方である。 (京都産業大学教授 ・須藤眞志『「錯覚」この恐るべきもの』)>  上層部でさえそうであったから、まして第一線部隊では以下のような有り様だった。 <うちのじいちゃん曰く「勝てる勝てないなんて考えてる余裕なんかなかった」そうだ  開戦時に某駆逐艦に乗ってたんだが 「うわぁアメリカにイギリス、オランダと戦争かよ・・・ああどうしようどうしよう・・・ どうやったら勝てるんだろ・・・頑張るしかないか・・・でも・・・くぁwせdrftgyふじこlp;@」 とまあ、後から聞いたらどう見てもパニック状態だ  でやっぱり、昭和19年ごろになると 「これはもう駄目かも・・・いやこんな事考えちゃいかん、考えたら負ける」 って風にさすがに変化してたらしいが。(生活板)>

参考URL:
​http://mltr.e-city.tv/index02.html
wanko05200
質問者

お礼

回答有難うございました。 おかげでいくつか自分で考えるヒントをつかめました。 政治的主張を認めさせる」ことです>>>> 短期決戦の奇襲攻撃で政治的主張を認めさせられなかったので、その段階で負けは決定していたのですね。 古来小勢力が大勢力を倒せるチャンスは奇襲による短期戦しかありません。その程度は私でも分かります。 持久戦にもつれ込んで小勢力の日本がアメリカに勝てるチャンスなんて すでにどこにもなかったのですね。政治的主張を認めさせることなんてとても無理だったんですね。 敗因を分析して「次は失敗しない」と学ぶことなんでしょうね。>>> 今の指導者たちはぜひそうあってほしいと思います。 奇襲攻撃を受けてアメリカの世論が揺らげば、交渉による和平の道もありえた。>>> 奇襲だけで日本の思う様にはアメリカ世論が動かなかったわけだから、普通に考えればその時点で日本の負けですよね。持久戦に持ち込む意味なんかなかったように感じます。 「人間一度は清水の舞台から飛び降りることもある」>>>> 個人としてそのような判断が許されても、多くの命・財産を預かる指導者には使ってほしくない決意です。当時は日本全体が一つの個人となっていたようですが… 勝算なき戦いとか、「一矢を報いる」といった日本人的美学>>> 精神論で戦争に突入した面があったのでしょうか?私は幼少のころから武道にたしなみ、個人的には日本人的美学は好きです。ただ決して他の人に強要したいとは思いません。 矛盾しているのですが。理系のさがでしょうか。勝算なき喧嘩などやる気にもなれません。結果の出ない(DATAの取れない)実験やれっていわれてるようなものですから。 どんなに悪くても5分5分の計算が立たないといやですね。軟弱ものなので… 資料も有難うございました。

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  • cdsdasds
  • ベストアンサー率52% (114/217)
回答No.7

なんというか、「バスに乗り遅れるな」というのが当時の流行語であり、かつ、実際に当時の状況を的確に示しているように思います。 明治以来日本は東アジアを植民地化することにより、欧米諸国の仲間入りをすることを望みある程度実現したわけです。 ところが、日露戦争のころから戦争の結果と対価が見合わなくなってきます。権益はある程度得るのですが、戦費がかかりすぎ、財政が安定しないわけです。 そのため、手に入れた中国東北部等の権益の拡大をおこない、可能であれば他の極東・アジア地域の権益も手に入れたいと思っていました(例えば、第一次世界大戦中の1918年「チェコ人捕虜の保護」を目的に革命間もないソビエト(今のロシア)のシベリアに連合国が共同で出兵しますが、出兵名目がなくなったため他国が1年で撤退しているのに対して日本は6年以上にわたって出兵を続け、沿海州共和国、極東共和国の建設を行おうとしました)。 特に第一次世界大戦と第2次世界大戦の間の時期には、欧米諸国による植民地分割の終了とそれに反発するドイツやイタリアでの全体主義の台頭が著しく、日本もドイツイタリアとともに欧米諸国の分割に食い込んでこの機に相当の領土的権益を得ようという考え方が特に陸軍を中心とする軍部にあり、それを支援する官僚や政治家、国民もいたのです。 没頭の「バスに乗り遅れるな」というのはこのときのスローガンなのです。このような、十分な国家戦略の立案もないただのブームの中、日本は中国東北部の鉄道(満鉄)とその沿線にもっていた権益を拡大させ満州国という日本の軍部が事実上支配する植民地国家を建設し、それを結局のところ国際連盟や諸外国から非難され、経済制裁を受ける及んで欧米諸国と開戦を選択することになるのです。 正直なところ、当時既に開戦されていた第二次世界大戦で日本の同盟国ドイツはその絶頂を極めていたので、ドイツが勝つのではないかという期待があったことは事実だと思います。 しかし、意思決定の根幹で責任ある国家戦略の策定ができず、過激に戦火を広げる現場の軍人の意向をなし崩し的に認めていっていたら、いつの間にか、戦いに行くことになっていたという感じが強いです。 開戦を実質的に決定したのは東條ですが、東條が首相になる際には殊勝にすれば軽々しく戦争は起こすまいと天皇周辺の政治家が考えていたという事実もあり、国家的にアメリカ、イギリスと戦うビジョンを策定していたわけではなかったのです。 なんというか、日本では人事が硬直しがちで、軍人として明らかに資質がなかったり、戦闘指揮能力が無能な指揮官が軍の中枢におり、開戦後もその構造は変わっていませんでした。 悲惨な結果となったのは、硬直した人事体系の中で、大言壮語が一人歩きするような場面がしばしばあり、適切なタイミングで停戦することができなかったことが大きいと思います。 今もそうですが、戦場に行かないものが最も勇ましいことをいい、国民や天皇の意に反するような人ほど、国民とか天皇の名を出します(東條はほとんど前線に赴くことなくエリート軍人として参謀本部で編成や憲兵等の仕事をしています。端的に行って事務屋です)。 資料としてあるいは全体の状況を知る上で役立つ本として 「御前会議」 五味川 純平 文藝春秋者 683円 をお勧めします。 右でも左でもなく、当時の最高意思決定機関であった御前会議の資料をもとに当時の状況をわかりやすく示しています。

wanko05200
質問者

お礼

回答有難うございました。 知識の幅が広がり感謝しております。 日露戦争のころから戦争の結果と対価が見合わなくなってきます>>> 多くの若い命と市民の命が奪われた上に対価が見合わないとは戦争は割りにあわないですね。 「バスに乗り遅れるな」>>> 私のように凡人には許されても、多くの命と財産を預かる指導者には軽々しくこうあってほしくないですね。 国家的にアメリカ、イギリスと戦うビジョンを策定していたわけではなかったのです。>>> ビジョンもしめされず当時の若者たちは死んでいったのですか。なんというか良い言葉が見つかりませんが、犬死と変わらないようにもみえてしまいます(人の命を軽々しくこのように表現すべきではありませんが、適当な言葉がありませんでした) 日本では人事が硬直しがちで>>> そうだったんですか~ 今の日本がこうあらないことを望むのみです。 適切なタイミングで停戦することができなかったことが大きいと思います。>>> 喧嘩は引き時が重要なことくらい私でも分かります。当時は喧嘩の引き時(喧嘩の仕方)もしらない方方がリーダーだったのですね。信じられません。 「御前会議」 五味川 純平 文藝春秋者 683円>>> この手の問題は性格上左右どちらかに傾いて記述されがちですが。 私は右でも左でもない平凡な1市民です。 中立な立場で書かれている書ということでチャンスがあったら読ませていただきます。 有難うございました。

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回答No.6

戦争をしなければ300万が餓死します。 戦争をすれば300万が戦死します。 国体を維持するにはどちらを選ぶかです。 東條英機は開戦の前夜泣いたと言われています。 世の中、負けるとわかっていてもやらねばならない時があるということです。

wanko05200
質問者

お礼

回答有り難うございました。 戦争をしなければ300万が餓死します。 戦争をすれば300万が戦死します。>>> 戦争すれば300万が戦死することは分かっていても、戦争しなければ300万人餓死するか・しないか分からない様に感じるのですが… 国体を維持>>> 勉強不足で良く意味が分かりませんでした。個人の生命が守られる事より数段も重要な物なのですね。 負けるとわかっていてもやらねばならない時があるということです>>> 私は軟弱者で絶対負けると分かっているけんかはしたくありませんが… 私のように考えるのが少数派? 有り難うございました。

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  • gatt_mk
  • ベストアンサー率29% (356/1220)
回答No.5

私の知る限りは当時の状況で日本の開戦を喜んだのはのはイギリス(チャーチル)アメリカ(ルーズベルト)でしょう。 イギリスはアメリカを何とか第二次世界大戦に参戦させ、ヨーロッパへの参戦を期待したのですが、アメリカの指導者達は国内の開戦反対の声に押され、参戦に踏み切れませんでした。そこでアメリカの指導者は日本からの真珠湾攻撃を口実に参戦するために、無理難題を日本にふっかけ、あえて攻撃を甘んじて受け(暗号解読で事前に奇襲は筒抜けでしたが)、「相手側の卑怯な奇襲攻撃に反撃する」という名目で、アメリカは国内世論を押さえ参戦することができました。日本が参戦を選択したのは、戦争をせずに他国の支配で生きるか、自らの尊厳をかけて死を受け入れる覚悟で参戦するかの二者択一だったからでしょう。 日本が勝てるかどうかという観点からは、客観的に見て難しいという意見の方が大勢だったでしょう。今公開されている映画「硫黄島からの手紙」の主人公(栗林中将)もそうした手紙を残していますから。 日本、イギリス、アメリカともに一般国民は単なる犠牲者でしょう。

wanko05200
質問者

お礼

回答有り難うございました。 日本の開戦を喜んだのはのはイギリス(チャーチル)アメリカ(ルーズベルト)でしょう。>>> だったんですか。知りませんでした。 自らの尊厳をかけて死を受け入れる覚悟で参戦するかの二者択一だったからでしょう。>>> 自分の尊厳を守るために私自身は死ねるかも?知れませんが、当時の日本人が全員国の尊厳こそが個人や愛する家族の生命より大切だと思っていたのか? 新たな疑問が生じました。 平凡な市民の手記なども勉強してみます。 一般国民は単なる犠牲者でしょう>>> どんな戦争も一般市民は犠牲者にしかなり得ないんですね… 有り難うございました。

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  • HPLC
  • ベストアンサー率22% (280/1224)
回答No.4

日本海軍の軍令部長永野修身は、開戦の時、次のように述べました。 「政府の陳述によれば、米国の主張に屈すれば亡国は必至とのことだが、戦うもまた亡国であるかも知れぬ。だが、戦わずしての亡国は、魂を喪失する民族永遠の亡国である。たとえいったん亡国となるも、最後の一兵まで戦い抜けば、われらの児孫はこの精神を受け継いで、必ず再起三起するであろう。」 また下のURLは結構参考になるかもです。 要するに米国による開戦への誘導があったとする説です。 恐らくこんな事を言うと今はバッシングの嵐になるのでしょうが・・。 ちなみに今日の日本人の戦争に対する批判的な態度は、敗戦後の戦勝国による教育の影響が大きいものと思われます。

参考URL:
http://s2.kcn-tv.ne.jp/users/seigasai/daitouai.htm
wanko05200
質問者

お礼

回答有り難うございました。 最後の一兵まで戦い抜けば…精神を>>> 個人的には国全体の命運を左右する問題に精神という抽象的な言葉で説明されることは、あまり好きでは有りません。あくまで個人的にはですが。 私は葉隠れの精神が好きですが、あくまでも個人止まりにしたいと思っています。精神ってあまり他人に強要したくないような… 米国による開戦への誘導があったとする説です>>> とすると外交的に敗北した文官こそ責任が問われるのですね。 有り難うございました。

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  • kantansi
  • ベストアンサー率26% (658/2438)
回答No.3

添付サイトをご参照下さい。質問者さんが書いておられるとおり、当時の日米の経済格差はとてつもなく大きい物でした。 当時の日本の指導者が、そんなことも知らずに米国と開戦するほど愚かだった筈はありません。 皆勝算が無いことは分かっていたのですが、添付サイトに記載されている通り、無理やり開戦に追い込まれたのです。 独立国としての尊厳を失うか、それとも負けを覚悟での開戦かの選択しかなかったのです。 もちろん私が真実を知ってるわけではないですし、一般的には、斯様な考え方は少数派と思われていることも付け加えておきます。 http://homepage3.nifty.com/yoshihito/genin-1b.htm

wanko05200
質問者

お礼

回答有り難うございました。 資料読ませて頂きました。 途中から始まっている資料の様でしたが… 出典はなんだったのでしょうか? 新しい知識を得ることが出来ました。 有り難うございました。

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  • precog
  • ベストアンサー率22% (966/4314)
回答No.2

資料を、とか言われると大変なので、聞きかじりの知識から、、、 誰も確信などもたないで開戦してると思いますよ。ただ、勝てる可能性がゼロとは思ってなかったんでしょうね。開戦しないよりマシだと考えたのでしょう。 当時のアメリカ大使館では「日本を追い込んではならない」等という進言が本国に対して出されてたらしいです。つまり、アメリカは外交圧力を掛けていて、日本が追い込まれて開戦という要素が考えられますね。 当時、盟友のドイツも経済的な懲罰により、追い込まれた状況で開戦した訳ですが、電撃作戦により圧倒的な強さを見せていました。つまり、経済力があってもそれを使って反攻する猶予を与えなければ良い、と考えることも出来たわけです。イギリスはこれを逆手にとって「戦力を温存する戦略」に出て粘りに粘ってアメリカ参戦までもたせた訳ですが。 テクニカルなところを調べていくと、色々見えてきますけどね。NHKのドキュメンタリーやら、サブローサカイの本とか面白いですよ。なぜ、ゼロ戦が惨敗のオンパレードになったのかとか、大和が大和ホテルと呼ばれてたのかとか、、 まぁでも戦争はお偉いさんの遊びですから。

wanko05200
質問者

お礼

回答有り難うございました。 誰も確信などもたないで開戦してると思いますよ。>>> え~。嘘~。 だとすると、唖然ですね。結果はどうあれ、勝てると確信して戦争って始める物と思っているので… そんな確信のもてない指導者に自分や家族の命を預けられないと思うのは、私を含めて少数派でしょうか? 「日本を追い込んではならない」>>> 現在に翻訳すれば、「北をあまりに追い込んではならない」に通ずるのでしょうか NHKのドキュメンタリーやら、サブローサカイの本とか面白いですよ。>>> チャンスが有ったら目を通して勉強してみます。 戦争はお偉いさんの遊びですから>>> 遊びで多くの若者や市民が死ぬんじゃたまらないですね。今の指導者達が危険な遊び心を出さないようにしっかり見張っていなければなりませんね。 有り難うございました。

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