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本来の宗教のあり方

世界では昔から様々な宗教ができてきましたよね? 私はどの宗教にも属していませんが、個人的に"神様"のような存在はあると思っています。崇拝することはありませんが、自分の価値観の一部として大きな影響力を持っています。他人に自分の宗教観を勧めることもありません。 私は、宗教とはそもそも個々で持つものであり(ある種の価値観のようなもの)、ある団体として崇拝、維持するべきものではないと考えています。団体としての宗教は紛争や政治に大きな影響力を与え、人々を混乱させます。 果たして宗教を団体で維持することの意味とは何でしょうか?今では形骸化した宗教ばかりな気がします・・・。 加えて私と同じような考えを持つ哲学者、宗教学者をご存知でしたら教えてください、よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#155689
noname#155689
回答No.3

> 私は、宗教とはそもそも個々で持つものであり > ある団体として崇拝、維持するべきものではないと考えています。 世界にはいろいろな宗教があります。 中でメジャーなのが世界四大宗教と呼ばれる キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教です。 さて、ここでひとまず信仰の中身の話はさておきまして 宗教の社会的な機能・役割について簡単にまとめたいと思います。 この中でイスラム教とヒンドゥー教の機能は「規範(法)」です。 (ANo.2さんの表現を借りれば「憲法」です。) 規範という以上、それは基本的に集団に対して機能するのが役割です。 大雑把に言ってしまえば、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教は 戦乱の世の中から生まれたもので 戦乱によってバラバラになった同じ民族の心を繋ぎとめたり 治安回復やアイデンティティの維持のために発展したものです。 キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教は 同じルーツを持つ宗教ですが(よってこの3宗教の神は同じ) この中ではキリスト教がやや異質で というのもキリスト教は「救済(救い)」としても機能します。 今、私たちが宗教というとき、その機能は基本的に「救済」ですよね。 仏教は元々「救済」のみの機能を持つ、めずらしい宗教です。 > 個人的に"神様"のような存在はあると思っています。 ちなみに仏教は元々、神のような超越的存在を考えません。 (神を否定するのではなく、神のことには触れない、という感じです。) ただし、仏教は古代インドの宗教(バラモン教など)から発生したもので 古代インドの超越的世界観(輪廻とかアートマンとかブラフマンとか)とは 無縁ではありません。 後にいろいろな宗派が生まれ、神のような超越的存在も想定されるようになります。 あ~、長くなりました。 1冊、本を紹介します。 ■「世界がわかる宗教社会学入門」橋爪大三郎:著 http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%8C%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%E5%AE%97%E6%95%99%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80-%E6%A9%8B%E7%88%AA-%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E/dp/4480422277/sr=1-2/qid=1165899454/ref=sr_1_2/249-0922643-2425134?ie=UTF8&s=books ちょっと偏りがある参考書ですが ttt_backgroundさんの疑問に対してかなりのレベルで応えてくれると思います。 さて、やっと本題。 > 果たして宗教を団体で維持することの意味とは何でしょうか? あくまで、私の考えですが 現代世界の単位として、まず「国」がありますね。 そして、これらの国は「資本主義」だとか「社会主義」といった 主義という単位にまとめることも出来ます。 しかし、現代は「社会主義」が崩壊寸前。 これにより資本主義がカウンターバランスを失い いずれ暴走するのではないかといった危惧があると思います。 まあ、簡単に言えば「金」と「効率」しか信じられない世の中にならないように 何か別の位相の「信じられるもの・信じあえるもの」が必要だと思います。 宗教がそれだとはいいませんが、宗教もひとつの候補だと思います。 最後にもうひとつ、上下刊の本を紹介します。 ■いきなりはじめる浄土真宗―インターネット持仏堂〈1〉 http://www.amazon.co.jp/%E3%81%84%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%82%8B%E6%B5%84%E5%9C%9F%E7%9C%9F%E5%AE%97%E2%80%95%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E6%8C%81%E4%BB%8F%E5%A0%82%E3%80%881%E3%80%89-%E5%86%85%E7%94%B0-%E6%A8%B9/dp/4894167778/sr=1-7/qid=1165900101/ref=sr_1_7/249-0922643-2425134?ie=UTF8&s=books ■はじめたばかりの浄土真宗―インターネット持仏堂〈2〉 http://www.amazon.co.jp/%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%9F%E3%81%B0%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%B5%84%E5%9C%9F%E7%9C%9F%E5%AE%97%E2%80%95%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E6%8C%81%E4%BB%8F%E5%A0%82%E3%80%882%E3%80%89-%E5%86%85%E7%94%B0-%E6%A8%B9/dp/4894167786/ref=pd_bxgy_b_text_b/249-0922643-2425134 > 加えて私と同じような考えを持つ哲学者、宗教学者 ではありませんが、もし私の回答に何か共感するものがありましたら 是非読んでみてください。

ttt_background
質問者

お礼

大変丁寧な回答をしていただき、感謝の念につきません◎ なるほど、宗教の歴史も知る必要があるわけですね。大いに納得できる回答です◎宗教に何を求めるか、によっては一概に既存の宗教がダメだ。と切り捨てることはしてはいけませんね・・・反省します。 しかし今のように様々な宗教団体が、利用し、利用されている状況には危機感を感じえません。 >信じられるもの・信じあえるもの そうですね、ともすればお金一辺倒、宗教一辺倒になってしまいそうな気がします。何か世界のバランスが崩れてきているのではないか?そう考えてしまいます。 ご紹介いただいた本を参考にしつつ、これからも考えを深めていきたいと思います◎ありがとうございました☆

その他の回答 (8)

回答No.9

宗教と哲学との違いは、 宗教の場合には、生活習慣にまで踏み込んでくる点にあると思います。 ttt_backgroundさんは、哲学として信念をおもちということだと思います。 宗教が信者の生活へ関与する範囲、仕方で カルトかカルトではないかが決まると思います。 カルトでない宗教は・・ ◎ 精神性を追求することで、煩悩から離脱する視点を模索する カルトの特徴として・・・ 煩悩を利用して?増幅して? 本組織的に各個人の人間の尊厳を宗教の権威やステータスの下に屈服させることで、 従順にする傾向が必ず、 どこかの点で潜んでる・・ 誘い込みのときは、謙虚で理想的で概して非の打ち所の無い人格が、 上記のその個人の尊厳と宗教組織の権威との打ち負かしあいのところで、 露骨に表れるのではないか・・?? 私自身はどこの宗教にも属してませんが、 15年ほど前から、あからさまになってきているカルトの信者さんたちと 社会で出くわすことも増え、宣教に来られることも多い・・・ その時に感じる共通点です ちなみに・・ 元々は、学会員の人は 政治権力による既得権益とは対立する立場で活動されてた印象がありますが、 アメリカのブッシュ政権と結びついたとき、 日本で岸勢力の傘下に入ることで、 ロックフェラー資本力の援助を受け、、 体質がすっかり変わったのを思います。。 財産や人徳のある信者さんには、学会や党へ経済支援や選挙の票あつめを、 恨みのエネルギーで生きてきた人には、 スキャンダル事件や 政治や選挙での謀略?スパイ?みたいなことをしてるとは 耳にすることです。。 財界人、政治家が立派な理念を持っていても、 彼に編集し終えた情報を与えるのは、秘書、事務方ですから、、 結果、彼を傀儡させる過程をこの15年で感じたものです。。 彼女?彼たちのソツの無さ、 自分の目的を排斥しようとする人物を嗅ぎつける鋭敏さと攻撃性で、 裏返して、彼、彼女たちの目論見を後から逆算できるとおもいます。 そもそも、、煩悩の要素である世俗欲と信仰が連動すると言うことが、 信仰においての異常さに思えます。 反対に、この宗教団体が、 真に煩悩からの開放された視点を与え、昇華した信仰に基づくものかどうかは、 その宗教組織が ステータスや権威で 信者らから持つものを略奪していないか? お金持ちからはお金を、 人徳者、有名人からは人脈を、 背徳者からは、裏仕事を・・・ 要求し、 それを受けることで、 宗教的に彼、彼女を容認し、他信者よりワンステップ上の ステータスや権威を与え、 満足を得させる。。 つまり、カルトは宗教とは言えず、 人心、世論を惑わす組織である傾向が濃厚?? かつての学会と今日の政権を傀儡させてる学会と、 宗教としては、 全く、別組織となってるのを思います。。

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.8

>>果たして宗教を団体で維持することの意味とは何でしょうか? ざっとあげると、 1)野狐禅になりやすい。  宗教は目にみえず、証明もできない世界を相手にします。「私は修行がかなり進んだ」と思っても、1人でやっていると判定基準が独善になってしまいまがちです。「レベルがアップした」と思ったことが、実際には逆に悪くなっていることもあります。団体を作っていると、そういうことをチェックしやすいですね。 2)学ぶ意欲を継続しやすい  浪人生が予備校に行くように、1人で学ぶと怠けやすいです。団体を作ると、ライバルがいるとか、まわりが頑張っているとかで、修行・学習が継続し易いです。 3)生活防衛  過去において、宗教弾圧がよくありましたが、個人よりも団体を構成していれば、その圧力に耐えることが出来る場合があるかも?です。また生活面で相互扶助すればメリットが多いですよね。 なお、キリスト教は、博愛精神で、仲良しクラブって雰囲気ですが、仏教は「仏をめざして悟りの階梯を登るために努力・精進しましょう」という「学習団体」の雰囲気だったりで、ちょっと違いがありますね。(実態がどうであれ、本来はね) >>今では形骸化した宗教ばかりな気がします・・・。 メジャーな宗教は、2000年とか2600年以上前に成立したりで古いわけです。社会環境や人々の生活のやり方も違いますし、人々の悩みも大きく異なっています。いくら開祖が素晴らしい教えや法を説いたとしても、そして根本は変わらないとしても、各論になるとやっぱり「正味期限切れ」ってこともあるでしょう。また、長年の「伝言ゲーム」で開祖の意図が曲がって伝わってますし、開祖のような霊能力のある後継者が居なかったりで形骸化はしかたないのかもしれませんね。

noname#50219
noname#50219
回答No.7

本来ならば、宗教は必要なかったと思います。 しかし、止むに止まれぬ境遇から、宗教が生まれてきたのだとも思います。止むに止まれぬ状況とは、リーダーがいないという状況ではないでしょうか。誰を先頭にしてよいかわからない、リーダーのいない群れから、神様や精霊と言った人ならざるものが仮想され、それをリーダーにして、群れの生きる指針としたのではないかと思います。 先導者の居ない迷った群れを、まとめるために宗教が生まれたのではないでしょうか。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.6

>私は、宗教とはそもそも個々で持つものであり(ある種の価値観の >ようなもの)、ある団体として崇拝、維持するべきものではないと >考えています。 >団体としての宗教は紛争や政治に大きな影響力を与え、人々を混乱 >させます。 日本の宗教の歴史もそうだと思います。 もともとは自然崇拝だったのに、いつのまにか人間が神になり、 権力闘争として宗教が使われてしまった。 それで第二次世界大戦で敗戦したあと、天皇は日本の象徴となり 政治に不介入と定められた。 宗教が政治に介入してしまうと、歪むと思います。 >団体としての宗教は紛争や政治に大きな影響力を与え、人々を混乱させます。 北朝鮮のあれは宗教だと思います。 >果たして宗教を団体で維持することの意味とは何でしょうか? ずばり金だと思います。 >加えて私と同じような考えを持つ哲学者、宗教学者 ニーチェ? 「神を殺したのは人間だ」とかいったと思います。 それにプラスするなら And the people bowed and prayed To the neon god they made グノーシスの教師、モノイモスはこう述べています。 【神とか、創造とか、これに類似したことを探し求めるのは止めなさい。 あなたがた自身を出発点にして、彼(究極的存在)を求めなさい。 あなたがたのなかにあって、すべてを思う通りになし、 「わが神よ、わが心よ、わが思いよ、わが魂よ、わが身体よ」と言う者は誰であるかを知りなさい。 悲しみ、喜び、愛、憎しみの原因を知りなさい。 あなたがたがこのようなことを注意深く吟味するならば、あなたがた自身の中に、彼を見いだすであろう。】

  • ojisan7
  • ベストアンサー率47% (489/1029)
回答No.5

>宗教とはそもそも個々で持つものであり(ある種の価値観のようなもの)、ある団体として崇拝、維持するべきものではないと考えています。 「宗教」の定義にもよりますが、宗教の本質は教団という組織を結成するところにあります。そこには必ずカリスマ的なリーダーを頂点とするヒエラルキーが存在します。そのような組織ができると、その組織は、当然、政治的、社会的に大きな影響力を持つようになります。宗教の構成員である個々の信者は、個人の信仰の深さがどうであれ、教団組織の決定に従わなければなりません。また、その決定に従うことに何の疑問も感じなくなってしまうのです。祟りに対する恐怖心、指導者の脅迫などによりマインドコントロールされるのです。 教団という組織を離れて、信仰を持つことはできますが、これは、「宗教」ではありません。しかし、本来、組織に属さず信仰する(信ずる)というのが信仰の望ましい姿ではないでしょうか。 >加えて私と同じような考えを持つ哲学者、宗教学者をご存知でしたら教えてください 西洋のほとんどの哲学者がそうではないでしょうか。組織をつくらずに自らの頭で、思索する哲学者ですね。

ttt_background
質問者

お礼

私の質問に表現の足りない部分があったようで・・・申し訳ありません。。 回答者様のおっしゃる通り、私が言いたいことは"団体による信仰の形骸化が進んでいる"ということです◎しかし個人のみの信仰は"哲学"という部類に属するのかもしれませんね。自分の生き方を自分なりに考える、まさに哲学者ですね^^ 貴重なご意見でした、ありがとうございます◎

noname#155689
noname#155689
回答No.4

ANo.3です。 自分の回答を再読して もしかしたら思い切りズレた回答したか?と不安になったので もう一度、いいでしょうか。 > 果たして宗教を団体で維持することの意味とは何でしょうか? 下の回答にも書きましたが、戦乱の時代など 統治のシステムが不安定だったときに 宗教は規範(法)として意味をもったのは間違いのないことだと思います。 でも、現代は宗教に頼らずに集団を法治しています。 それでも宗教は団体を維持する必要があるの? そろそろ宗教を個々人の下に返してあげれば?ってことですよね。 とはいえ、私たち日本人は 宗教に頼らず倫理規範を維持していると言ってもイイと思いますが キリスト教やヒンドゥー教の教徒が多い国では 今も宗教が生活と切り離せない関係にあると思います。 その辺りが難しいですよね。 まあ、外国のことはよく分からないのでひとまず置いておき 日本で宗教を団体で維持することを止めるとどうなるか? 宗教団体職員が失職する以外、何も変わらないのかも知れません。 つまり「宗教を団体で維持することの意味は宗教団体を維持すること」 ではないかと思う次第です。 でも、これまた難しいのは公明党のように宗教団体との関連が強い場合。 つまり > 日本で宗教を団体で維持することを止めるとどうなるか? 政治的混乱が起こる→社会が混乱する、というのはどうでしょう。 答えになっていませんが、結構複雑な問題だろうな、と直感します。

ttt_background
質問者

お礼

>宗教を団体で維持することの意味は宗教団体を維持すること 再びありがとうございます◎コレです!まさにコレですね!! 宗教団体が選挙の票集めに使われるようなら、そんな宗教はなくなってしまえばいいんです。結局は自らが望む社会にしたい、という極めて利己的な行動であると思います(極端に考えすぎでしょうか?^^;) もちろん金銭的な癒着もあるでしょうが・・・。 ありがとうございました◎

noname#21974
noname#21974
回答No.2

なるほど・・・ >宗教を団体で維持することの意味とは何でしょうか? 宗教活動がしやすいということに尽きるでしょう。 宗教は個人個人の生きるうえでの“憲法”のようなものです。つまり当人にしてみれば絶対的な基準です。基準は“いい・わるい”で成り立ちます。とうぜん、自分の“絶対的いい基準”に反するものは“間違いなくわるいこと”になるわけですから、“正義(絶対的いい基準)”の名の下に争いが起こります。これは“正義 対 正義”ですからタチが悪い。 このことは、団体でも個人でも同じことで、団体の場合には戦争に発展します。 さて、宗教に本来のあり方があるかどうかはともかくとして、当方は 「どのような“法(おしえ)”も、皆すべて真実の相である」 という『法華経』を信仰しております。 この法(おしえ)に通じる考え方以外の宗教(おもに一神教)は、争いが起こって然るべきです。 また、すべての宗教が前世や死後の世界、霊的なことを説くわけではありません。 って、とこです! 形骸化した宗教もあるかもしれませんね。他宗教のことはよくわかりませんが。 それではゴキゲンヨウ!!! (^^)v

ttt_background
質問者

お礼

合理的だから宗教団体を作る、ということでよろしいのでしょうか? 確かにその通りですよね・・・おっしゃる通り、宗教が憲法のような役割を持っている国も多々ありますし、それで治安が守られている一面もあると思います。 法華経ですか!なるほど、そのような教えがあるのですね☆ 大変参考になります◎ やはり個人的な考えとしては一神教よりは多神教の方が寛容なイメージがあります^^ 回答ありがとうございました◎

noname#177238
noname#177238
回答No.1

宗教とは、霊の世界をある優れた霊能力者が描写し、それに人工的な教義を付け加えたものです。 例えば、キリスト教では、「輪廻転生」の概念がありませんが、当初きりストは、「輪廻転生」の概念も説いていたそうです。霊が、死んでも、また別な肉体に入って、生まれ変るということですね。 しかし、ニケーア公会議で、政治上、宗教運営上望ましくないので、「最後の審判」という概念を持ち出して、「輪廻転生」を否定したのです。 まず、霊の世界が本体であって、時の優れた霊能力者がそれを描写したものに、人工的な教義(またはドグマ)を備えたものが宗教です。 江原啓之さんのサポーターズクラブで、質問者からの解答を動画配信で解答するというサービスがあるのですが、霊の世界と宗教の関係についての質問が江原さんに寄せられ、明快に江原さんがお答えされていました。 また、福島大学経済学部教授飯田史彦氏の「生きがいの創造」(決定版)や「ブレイクスルー思考」という本があり、これも死後の世界、生まれ変りの研究が如何に人生の生き方に影響を与え、また「生きがい」を与えるかについての論考をされています。 また、ブライアン・ワイス博士の「前世療法」(PHP文庫)などもお勧めです。 要するに、死後の世界の霊界の世界が本体で、宗教はそれを出来る限り描写し、人工的な教義や思索を付け加えたものが宗教です。 あと、確かに霊の世界について学ぶと、真の生き方とは何かという思考に結びつくと思います。そして、一つの解答を得た人が、傲慢なために、俺の持っている価値観はこんなに凄いんだという、自己万能感を持つもの同士が、いがみ合い、戦いを起こし、挙句の果てに、戦争になるのだと思います。

ttt_background
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 キリスト教にも輪廻転生の概念があったんですね!初耳で驚いています◎やはり宗教というものは"団体"を構成した時点で政治や社会によって捻じ曲げられていくんですね。しかし信者たちはそれに気づいていない・・・そもそも布教活動自体が全ての問題なのかもしれませんね・・ 大変参考になる回答でした^^

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