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松尾芭蕉
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- Pinhole-09
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硬い方ですが、芭蕉は「奥の細道」を書き上げるのには大分苦労したようです。 中の有名な句に「象潟や 雨に西施が ねぶの花」がありますが、初めに詠んだのは「象潟の 雨や西施か ねぶの花」で推敲の末に前記になりました。 少し平凡かと眉に皺を寄せて考えた芭蕉を思うと、おかしくなります。 芭蕉は技巧を凝らす方なので、そうなるのですが。 「五月雨を 集めて涼し 最上川」→「五月雨を 集めて早し 最上川」 「涼風や ほの三日月の 羽黒山」→「涼しさや ほの三日月の 最上山」 俳聖もそれなりの苦労があるようです。 「奥の細道」は紀行文ですが、創作部分も多いようです。
- hinode11
- ベストアンサー率55% (2062/3741)
#2です。 こんなのもありました。↓ 日本三景・・・松島♪ http://plaza.rakuten.co.jp/tolasan0826/diary/200609150000/ 全国高校生ポスターコンクール http://www3.famille.ne.jp/~poster-m/3rd_highschool/3highschool3.html 深川散策-芭蕉記念館 http://members.jcom.home.ne.jp/2132574701/fukagawa.htm 黛まどか 奥の細道 道しるべ http://www.nikkansports.com/madoka/tohoku/menu.html
お礼
わざわざ、追加ありがとうございました^^
- fathar-m
- ベストアンサー率12% (4/33)
芭蕉は伊賀上野出身で、伊賀といえば忍者です。 実際、芭蕉はかつて、藤堂氏に使える武士であり、ここから「芭蕉忍者説」という珍説があります。 奥の細道等、さまざまな紀行は、スパイ活動の一環ではなかったか?というのです。 幕府から依頼をうけて、奥州諸藩(特に仙台伊達藩)を、探っていたというのですが・・・
お礼
忍者だという説はよく知られているようですね~。 参考になりました、ありがとうございました^^
おもしろいほうです。 松尾芭蕉は、忍者だった説。 曽良が、まめに記録をとっていたので、ふたりの行程と、踏破した時間がわかります。 常人では、かなり難しい短時間での移動距離だそうです。(1日平均50キロ弱) 諸国に出没するのに、一番怪しまれない、伊賀の出身であるということも、論拠のひとつです。 ところで、芭蕉の旅費は、俳句の添削料、句会のあがり、俳諧集に弟子の句を載せる掲載料で、まかなわれていましたが、京都では、おいはぎがあきれるくらいの一文無しであった。と、あります。
お礼
あ~そんなのもあるんですか~。 参考になりました、ありがとうございました^^
- hinode11
- ベストアンサー率55% (2062/3741)
こんにちは。 こんなのはどうでしょう。↓ 芭蕉、當麻に逗留 http://www.city.katsuragi.nara.jp/kankou/kanko/basyo/main.html 子供に救われた芭蕉 http://www.tatematsu-wahei.co.jp/nikki/htmlData/00/00_06.html 松尾芭蕉の旅 おくのほそ道 http://www.bashouan.com/Database/Kikou/Okunohosomichi_01.htm
お礼
資料参考になりました、ありがとうございました^^
すでにご存じでしたら、ごめんなさい。 日本三景の一つである松島に来たとき、あまりのすばらしさに感動して一句も詠めなかったのです。 (同行していた曽良は句を詠んでいたのですが)
お礼
参考になりました、ありがとうございました^^
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なるほど~そんなのもあるんですか~。 参考になりました、ありがとうございました^^