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西湖の堤は何で人気があるのでしょうか

 江戸時代に造られた庭園には必ずといってよいほど庭の中央の池に「西湖の堤」という堤が設けられています。聞けば宋の時代の蘇軾という人が読んだ詩に因んでいるそうです。  中国には他にも様々な風景や有名な詩人がいると思うのですが。なぜ、「西湖の堤」や蘇軾という人が大人気なのでしょうか?  誰かその辺の事情に詳しい方がいらっしゃいましたらご教授願いませんでしょうか。

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  • Pinhole-09
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回答No.1

造園には素人ですが、漢詩には多少の知識がありますので、ひとこと書きます。 蘇軾は詩人として唐宋八大家の一人で、江戸文人に人気がありました。 越の国の西湖で詠んだ漢詩に 「飲湖上初晴後雨」 があり、その後半を次記します。  欲把西湖比西子    (西子は越の国の西施のこと)  淡粧濃抹總相宜 西湖は西施のように美しい、薄い化粧でも、濃い化粧でもどちらも非常に宜しい。    という意味です。 西施はご存知と思いますが、中国超美女の一人で、芭蕉が奥の細道旅行の象潟で詠んだ 「象潟や 雨に西施が ねぶの花」 の句で有名です。  なおねぶは合歓(ねむ)のことです。  西施は文人には人気があり、西湖の美景にあやかりたいと思ったのでしょう。

2199
質問者

お礼

 浅学の私にはピンとこない部分もあるのですが、蘇軾という人は江戸文人の心を捉える独特の魅力があったのでしょうね。なんかとても羨ましい気がします。  ご回答ありがとうございました。

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