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日米安保について

あまりこういう問題に詳しくないのですが、 日本固有の領土である竹島に韓国が軍事基地を作っているのに、なぜ米軍は排除してくれないのでしょうか? また、自衛隊はなぜ自衛しないのでしょうか? 安全保障条約って、日本が攻められたら守ります。って内容じゃないんですか? 何のために締結しているのでしょう?

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  • Ganymede
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回答No.7

竹島問題の発端(1946年1月29日、SCAPIN667号)まで遡らないと、答はつかめないと思います。 つまり、竹島問題は日韓の問題ではなく、実は日本(敗戦国)と米国(戦勝国)の問題でした。韓国はそれに便乗したのであり、その後米国が手を引いてしまって、日韓の問題となったのです。 それでは、ざっと歴史を振り返ってみましょう。 (1) 1905年以前……竹島は問題にならなかった 日韓それぞれ古文書まで持ち出して「固有の領土」と主張しているが、徒労だと思う。漁師が立ち寄ったり民間人などが権利を設定した程度では、領土と言えない。有り体に言って、日韓いずれの領土でもなかったのだ。都合の悪いことに、国家機関が領土と認識していなかったことを示す文書まで出てくる始末である。 (2) 1905年……竹島は大した問題にならなかった 1905年1月28日、日本政府は閣議決定でこの島を竹島と命名し、日本領にした。この背景には、日本帝国主義や韓国併合があった。なぜなら、日露戦争中という時期が時期だからである。1月1日、旅順が陥落し、「ロシアを排除した後は朝鮮半島は日本のもの」という目処(めど)が立ちつつあった。すでに日清戦争を経て清は排除されていた。 『世界大百科事典』(平凡社)によれば、韓国併合を推し進めた3つの協約のうち、第1次が04年8月22日、第2次が05年11月17日で、韓国(大韓帝国)の外交権や国政の権能を次々と奪っていった。第1次で、日本政府派遣の顧問(財政・外交)を韓国政府に置くことが決められ、外交上の重要案件などは日本と協議しない限り処理できなくなった。第2次では、韓国の外交権を完全に奪った。そのタイミングで、日本は竹島を編入したのである。 まとめると、次のようになる。 ○ この年、日本は竹島を強奪したというほどではない。背景には日本帝国主義や韓国併合推進があったが、それを前面に押し出して編入したのではない。 ○ 当時は帝国主義(欧米・日本など)の時代であり、それら諸国の慣習が国際法だった。 ○ 日本の圧力下にあった韓国政府は、公式には抗議しなかった。韓国の民間には反対論もあった。 ○ この編入は「先占」という国際法の法理に沿ったもので、前述のような背景や圧力があっても、当時の国際慣習では合法だった。 (3) 1905年~日本敗戦……竹島は問題にならなかった ただし、第1次大戦(1914~18)の前後で国際慣習が変わったことには、注意する必要がある。国際連盟ができ(1920年)、不戦条約で自衛以外の戦争が違法化され(1928年)、植民地獲得競争の時代は終わった。ただし、以前からの植民地はそのままであった。 1910年の韓国併合は国際的に承認されたが、32年の満州国建国は主要国から承認されなかったのである。 (4) 1946年1月29日……SCAPIN667号。竹島問題の始まり 1910年から45年まで、朝鮮半島は日本だった。「敗戦後、日本はドイツみたいに分割されずに済んだ」と言う人がいるが、日本も分割されたのである。ただ、ヤルタ協定・ポツダム宣言の方針により、おおむね「本来の日本」と「それ以外」とに分割されたので、「日本は分割されなかった」と都合のいいことを言っているに過ぎない。 あくまで制裁であるから、連合国は「本来の日本」と「それ以外」との切れ目に厳密性を期さなかったようだ。多少ずれても、それも含めて戦勝国による敗戦国の処分だった。ポツダム宣言8条により、日本はこれに従う義務があった。ここら辺を勘違いして、「日本は自ら本来の形(固有の領土)に戻った」と思っている人がいる。しかし、線引きしたのは連合国であって、要するに敗戦の帰結(結果)である。 竹島問題もこの「ずれ」の一つといえる。だから私は、日韓の問題というより日米の問題だったと書いたのである。 ポツダム宣言第8条(1945年7月26日) http://www.geocities.jp/nakanolib/joyaku/js200726.htm 連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)第677号(1946年1月29日) http://www.hoppou.go.jp/library/document/data/19460129.html 3  この指令の目的から日本と言ふ場合は次の定義による。  日本の範囲に含まれる地域として (中略)  日本の範囲から除かれる地域として  (a)欝陵島、竹島、済州島。 (中略) 5  この指令にある日本の定義は、特に指定する場合以外、今後当司令部から発せられるすべての指令、覚書又は命令に適用せられる。 6  この指令中の条項は何れも、ポツダム宣言の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。(引用終わり) これにより、竹島は日本の範囲から除かれた。 (5) サンフランシスコ条約……反対解釈 SCAPIN677号には、最終決定と解釈してはならないと書いてある。それでは、連合国の最終決定は? 遅くとも講和発効前に、講和条約または他の取り決めとして示されなければならない。ところが、サンフランシスコ条約には竹島のことが書いてないのである。 日本国との平和条約(51年9月8日調印、52年4月28日発効) http://www.geocities.jp/nakanolib/joyaku/js27-5.htm 第二条(a)に日本の放棄する島が列挙され、竹島は挙がってない。したがって、日本にとどまると解釈する人がいる。しかし、「第二条(a)の島ならば放棄する」と「第二条(a)の島でないならば放棄しない」とは、同値ではない。法学では「反対解釈」といい多用されるが、あいまいさを残す。また、当時の米政府高官が「竹島は日本領」の内意を伝えていたという記録公開文書もあるが、内意では弱い。 なぜ、新たな覚書も出さず、講和条約にも明記しなかったのか? SCAPIN677号で日本から除かれた島のうち、のちに返還されたものは、覚書や協定などを伴っていた。それらがなければ戻って来ない。例えば、北緯30度以南・29度以北の7つの島は、677号で出て行って、サンフランシスコ条約には書いてない。しかし、51年12月5日の GHQ覚書により戻ってきた。誰でも気付くことだが、竹島についても同様の覚書が必要だったのである。しかし GHQはそれを与えなかった。 竹島に対する連合国の最終決定は示されなかった。SCAPIN667号で出て行ったきり、その帰属は宙に浮いた。 (6) 李承晩ライン……海洋法秩序の混乱に乗じた いや、浮く暇もなかった。条文の曖昧さに付け入り、(GHQ から日本政府への)権力移動時の間隙を衝いて、52年1月18日、韓国が「李承晩ライン」を設定したのである。ライン内に竹島を含んでいた。 サンフランシスコ条約の発効前という時期から見て、まだ竹島は連合国に属していたはずだ。韓国は日本から竹島を取ったというより、連合国から取ったことになる(領有権と施政権を分けるにしても、施政権を取られることは支配が及ばなくなることである)。 いずれにせよ、その後日本は国際司法裁判所(ICJ)へ訴えようとしたが、韓国は応じなかった。開始に両国が同意しないと、この種の裁判は始まらない決まりになっている。国際法という代物は、土台そういう仕組みなのだ。 「韓国が法廷に出ないのは、出れば負けるからだ」と言う人がいる。しかし、「裁判さえすれば日本必勝」という思い込みは、単純すぎないか? 韓国は竹島を支配している以上、勝つ確率が 100%でない限り、法廷に出て来るまい。だが、政治や外交の世界で 100%の事柄はない。他方、日本は率が低かろうが高かろうが、裁判くらいしか手がない。「ダメでもともと」だ。日本が裁判したがるのは、竹島を支配してないからである。韓国は逃げるも何も、竹島に居座って動きゃしない。つまり、「裁判したがる・したがらない」と「裁判で勝てそう」とは相関がない。 韓国は戦後の海洋法秩序の混乱を利用したのでもあった。昔の海洋法は「領海」と「公海自由の原則」で比較的安定していたが、1945年9月のトルーマン宣言で動揺し始めた(大陸棚、保存水域)。多くの国がこれをまね、てんでに権利を主張した。52年1月の「李承晩ライン」宣言もこの風潮に乗っていたため、日本漁船を苛烈に取り締まったにもかかわらず、韓国は国際的な指弾を浴びなかったようだ。 このように混乱した海洋法秩序は、国連海洋法条約で再建されることになるのだが、まとまるまで長い年月がかかった。58年にひとまず4条約が採択されたが、安定せずに再検討を迫られた。82年に現行条約の採択に漕ぎ着けたが、60カ国の批准が効力発生の要件だったため、発効までに12年もかかった。こうした過渡期、日本は李承晩ラインの非を鳴らし続けたが、ようやく撤廃されたのは65年のことだった(日韓条約・日韓漁業協定の締結)。 (7) 日韓条約……問題棚上げ 戦後、1965年まで日韓には正式な国交がなかった。それを結ぶための予備交渉は51年から始まったが、しばしば中断して合計十数年もかかったのである。それほど交渉しながら、結局竹島の帰属は決まらなかった。問題を棚上げして条約は結ばれた。日本に竹島を取り返す力がないことは、残酷なまでに明白となった。 日本も韓国も、しょせんアメリカ親分の子分である。日韓条約も、アメリカの指導でようやく締結にたどり着いたと言われている。そのとき親分は、竹島は日本領と言ってくれなかった。そして最近も、米政府高官は「領域をめぐる問題には介入しない」と述べている。 米政府、不介入を強調 竹島問題 http://www.asahi.com/special/060419/TKY200604200302.html 何のことはない、サンフランシスコ条約の昔から、米国の二枚舌外交に日韓は翻弄されてきたのだ。親分は、子分のどちらにも良い顔をしたいのである。 結局、同条約締結は拙速で、日本はその犠牲を払ったのだった。条文のいくつかは玉虫色であり、そのことが竹島問題や北方領土問題の一因ともなっている。しかし、それに気付いていたとしても、日本は早く国際社会への復帰を認めてもらいたかったし、冷戦の激化ゆえ米国も早く日本を取り込みたかった。日本は機を逃さず「単独講和」して、のちの繁栄につながった。痛恨の島々喪失と引き換えに。 【まとめ】 このような歴史があるので、米軍も自衛隊も動かないのです。子分同士(日韓)が喧嘩しても、親分(米)の不興を買うだけということです。第一、日韓が軍事衝突したら、在日米軍と在韓米軍はどうするのですか? 日米安保条約があるように、米韓相互防衛条約もあります。 もう一つ言うと、韓国が李承晩ラインを設定した52年1月18日は、朝鮮戦争中でした。韓国および米国は、北朝鮮および中国人民義勇軍と決死の戦いをしていました。日本はと言うと、米軍の後方基地になって、銃弾などを作って納めて大儲けしていました(朝鮮特需)。そんな状況の時に、米国が韓国を叱って日本の肩を持ってくれると思いますか? 日韓同士の直接の戦争はなかったわけですが、竹島問題には、日露戦争・第二次大戦・朝鮮戦争などいくつもの戦争が影を落しています。その後、米国は竹島問題から手を引き、日韓の話し合いはまとまらないまま、今に至るというのが現状です。

rokko-oroshi
質問者

お礼

非常にわかりやすい説明、ありがとうございました。 元をたどれば親分のところの問題なんですね。 いろんな不備をうまく突かれてるという気がします。 外交下手で片付けられない問題ですね。

その他の回答 (6)

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回答No.6

アメリカは日本だけでなく、韓国とも安保条約を結んでいます。 よって 領土問題などで片方のみ援助するワケにはいかないだけです。 又、当時の日本では 「侵略されても勝手に殺されろ」の社会党が勢力を誇っていたので それに対する反撃は認められませんでした。 そして タイミングを逸した後 (竹島で日本人を誘拐して)日本人の命を盾に外交交渉された結果 紛争地域として 中途半端な状態を認めてしまったのが・・・

rokko-oroshi
質問者

お礼

日本人を誘拐して盾にされたことがあるのですか? ひどいですね。

  • yuhkoh
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回答No.5

>>日本が攻められたら守ります。って内容じゃないんですか? いいえ、違います。 日本が武力攻撃を受けることが、アメリカの国益を損なうからこそ同盟を結んでいるのです。そして日本は、アメリカと同盟を結ぶことで低い防衛費で高い防衛能力を得られるなどの利益が得られます。 互いの利益・利害が一致するからこそ同盟であって、どちらか一方的に得、あるいは損をする関係ではありません。 さて、日米安保や日本における領土問題については以下のHPをまず参照されてはいかがですか。 『軍事板常見問題』より http://mltr.e-city.tv/index02.html 「日本/自衛隊(JSDF)」から http://mltr.e-city.tv/faq05a02.html 「日米安保&集団安全保障関連」 http://mltr.e-city.tv/faq05a02.html#collective-security 「領土問題」 http://mltr.e-city.tv/faq05a02.html#territory-problem 基本として領土問題は日韓の問題であり、それはアメリカは介入すべき問題ではありません。当然に日本に限ったことではなく、アメリカと同盟を結んでいる国すべて領土問題は当事国同士の問題です。ただし、領土問題が存在することと、武力攻撃がされることは別問題です(イラクとクウェートが領土問題で揉めている間はアメリカは不介入でしたが、イラクが武力攻撃をしたら話は別でしたね)。 次に“自衛隊はなぜ”の部分もようするに第三者国にとってみては2国間の領土問題は“自国の国益につながらない”以上は興味のない問題です。  ここで日本が武力攻撃で竹島を奪回しても、国際的に支持が得られるのか、また東アジア、特に中国や北韓(北朝鮮)など、軍事・政治などさまざまな面で不安定な要素を抱えているこの時期に行うのはベターなのか、また国内世論や経済上の問題などを天秤に掛けてどうかなどがあります。日本としても北韓が片づくまでは竹島問題は目をつぶっているとの指摘もあります。  アメリカにしては竹島に韓国が不法残留していても、アメリカの国益を損なう問題ではありません。  日本にしても、あくまでも日韓両国の問題であってアメリカの介入を求めているわけではありません。  日米安保では旧ソ連や中国といった共産勢力が太平洋へと軍事能力を拡大させないためにも、日本がアメリカの最前線拠点となっているから同盟を結んでいます。日本もアメリカとの同盟により安定した経済発展と交易、そして防衛費の増加を押さえることができます。そのための同盟です。

rokko-oroshi
質問者

お礼

なるほど、アメリカの都合が大きく影響するのですね。大変よくわかりました。 ありがとうございました。

  • thisaway
  • ベストアンサー率29% (35/120)
回答No.4

日米安保のガイドラインでは、米軍は国境紛争には関与しないことになってますので、 竹島だけでなく、尖閣諸島に中国軍が上陸しても米軍は動きません。

rokko-oroshi
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 そうすると、米軍はどんな時に何をしてくれるのでしょう? 安全保障ってそもそも何を保障するのでしょう? アメリカの都合で基地をおかしてるだけなのでしょうか?

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.3

>日本固有の領土である竹島に韓国が軍事基地を作っているのに >なぜ米軍は排除してくれないのでしょうか? アメリカは韓国とも同盟しているので、在日米軍が竹島を占拠しようとしたら、在韓米軍がそれを守らなくてはならないという矛盾が生じます。 よって、アメリカは日韓の領土問題については、中立とならざるをえないわけです。 >また、自衛隊はなぜ自衛しないのでしょうか? 竹島は自衛隊が成立する前に韓国に占拠されました。 自衛隊の前身の警察予備隊はあったと思いますが、当時の日本の軍事力は下手すると韓国よりも劣っていたかもしれません。 その後も日本は平和憲法に縛られて、竹島問題を実力行使で解決することが不可能となりました。 その後、日本と韓国が国交回復する際、竹島問題は両国にとって喉にささったトゲのように扱われます。 韓国も国内世論上、日本に譲歩することが難しいため、  「いっそのこと、ダイナマイトで爆破してしまおうか」 という冗談が、内々の席でも出たそうです。 とりあえず、ノムヒョン政権が続く間は、解決しそうにないですね。

rokko-oroshi
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 なるほど、引くに引けないってとこですね。

  • baboyoja
  • ベストアンサー率24% (33/137)
回答No.2

なぜ米軍は排除してくれないのでしょうか? 日本では知られてる人が少ないかと思われますが、最近の理由の一つとし、例を挙げるとすると、小泉さんの靖国問題かとも言えるかと思われます。何が日本であまり知られてないかと良いますと、アメリカの人も日本人を嫌ってる人が多くいるという事です。 例:小泉さんが国会議事堂に入る事を反対としデモがあった事。理由は靖国問題です。結局入りませんでしたが・・他にももちろん色々と理由はあると思います。その中の一つとしての例を挙げさせて頂きました。 面白い記事がありますので暇があれば読んで見て下さい。ネットでは全部読めるかわかりませんが・・・ http://www.nybooks.com/articles/article-preview?article_id=19300

  • rikukoro
  • ベストアンサー率24% (63/258)
回答No.1

韓国にも米軍は駐留しています。 韓国軍は平時は韓国が指揮していますが 戦争の場合、米軍に指揮権が移ります。 つまり同士撃ちになるのです

rokko-oroshi
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 そうなんですか。複雑ですね。

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