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古文について

いつもお世話になっています。 古典の文で分からないところがありましたので教えてください。 (略) 平家これ見て、すはや、源氏の大勢の続くは。何十万騎かあるらん。取りこめられてはかなふまじとて、また船に取り乗つて、潮に引かれ。風に従つて、いづくをさすともなく落ちゆきぬ。 「」のついていない会話文を1つ探し、はじめと終わりの五文字をそれぞれ書きなさい。 という問いで私は 何万騎かあ~かなふまじ としましたが違いました(>_<) どうして「すはや、源~かなふまじ」になるのでしょうか。 最後に、「すはや」の意味は「早く」という意味だと思ったのですが、どうでしょうか。 あと、「落ちゆきぬ」は「落ちていく」でよろしいのでしょうか。 宜しくお願いいたします。

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回答No.2

まず、現代語に訳してみましょうね。 平家はこれを見て、「なんと、源氏の多いことだ。何十万騎あるか知れない。取り囲まれてはかなわんぞ。」 と、舟に乗り潮に引かれ(た)。風の吹くまま、どこを目指すともなく落ちていった。 こんな感じです。 「すはや」ですが、今でも「すは、」(これは!)と言う意味で使いますよ。「や」が付くとさらに強調。 「すは、」→「これは、」 「すはや、」→「これは!!」見たいな感じで。 「落ちて行きぬ」については、 連用形接続の完了の助動詞「ぬ」の終止形。 ですが、映画『風とともに去りぬ』が『風とともに去ってしまった』のだと覚えておけばまちがえないで済みますよ。 あと現代語訳のコツですが、助動詞の接続と意味は丸暗記しておくと便利ですよ。 <例> 動詞の未然形に接続 る、らる、す、さす、しむ、む、むず、ず、じ、まし、まほし、り(サ変の未然、四段の已然)

luckyand007
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  • zap35
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回答No.1

「すは」は感動詞なので、ここからが会話文でしょう。意味は早くではなく「あっ!」とか「これはっ!」ではないですかね。 「落ちてゆきぬ」は完了を表すので「落ちていった」だと思います。

luckyand007
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