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ポートフォリオ評価について教えてください。
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お礼
Ama430さん,早速のご助言ありがとうございました。 ”「人間関係力」は、「総合」の授業でだけ身につけるものではありません。 全ての活動を通じて少しずつ身についていくものでしょう。 ですから、「総合」でだけ身についた力を区別することなどできないはずです。” なるほどと思わせられました。しかし,同時に,このことは,本校の総合的な学習の時間の全体計画そのものの根拠を失わせる危険性をもはらんでいるのではないかと考えさせられました。 つまり,本校のような縦割りの活動によって,「人間関係力」が向上することを確かめる手だてが無いということなのでしょうか。私たち教師の経験則以外に,総合的な学習の時間における「人間関係力」向上の根拠となるものが無いということなのでしょうか・・・。 Ama430さんの結論を得て,心強く思いました。 先の質問にも書いたように,私は指導者たる教職員が,生徒と共に活動し,指導・援助し続けることが重要であると考えています。そのこと自体が,「指導と評価の一体化」なのだと考えています。そして,生徒個々の「人間関係力」を感じ取るのは,他ならぬ教職員その人であって,言わば教職員そのものが評価規準であるといってよいのだと考えています。 だからこそ,教職員は研究と修養をし続けなければならないのだと考えています。 しかし,このことを声高に言えない雰囲気が学校現場にはあります。教育委員会や教育事務所の指導主事の中にも,このような考えを否定するような指導を行う人もいます。 ましてや,先に述べたように,総合的な学習の時間のみの効果が切り分けられないのであれば,指導主事先生方は,「評価」とか「評価規準」とかの文言を使って,余計に学校(研究主任たる私を?)を指導し続けようとするのでしょう。(指導主事の理解力や能力の問題もあるのでは・・・。)前途多難ではあります。今後ともよろしくお願いいたします。 それから,(1)(2)の評価の2面性についてのお話しには興味をもちました。評価をどのようなカテゴリーで分けるかにおいては諸説があるのだと思いますが,このような分け方には初めて接しました。参考文献等あれば,ぜひご教授願いたくお願いします。 Ama430さん,本当にありがとうございました。