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教師の仕事ぶりを生徒が評価する
教師の指導力を生徒が評価して、ソイツの階級や給料を生徒がコントロール出来るようにしたいです。ドーすれば良いですか? アンケートくらいならありますかね。でも、実施するかは任意で、階級や給料への影響もは低そうです。その一方、学業成績は何故か必須で、進学・資格取得・学費・奨学金等に影響します。 学力向上を目指して勉強する事も生徒の仕事ですが、教師を評価してテメーの指導力を示し、それに応じた給料を決めるのも生徒の仕事だと思います。良い授業をして生徒の学力向上に貢献した教師には高い給料を定め、ゴミみたいな授業をする教師は最低限の給料を保証するもダメな分だけ給料は制限されます。それがその教師の位であります。 生徒の学力を教師は評価しますが、逆は珍しいです。何故でしょうか?単純に一方通行で、差別だと思うのですが。 逆の言い方をすると、生徒の学力を評価して成績付けるのは教師の仕事の1つみたいになってますが、この仕事は必要でしょうか?授業と評価の重要度を比べると、「授業>>評価」だと思うのですが。評価なんかに注力して変に業務範囲を広げて職務拡散するより、授業に集中する方が教育の質が上がると思う。教育に評価を取り入れようとする考え方は、体罰を認めようとする考え方に似ている気がする。 生徒を教師が5段階評価して成績が2、「だから何?」「それがドーした?」って感じです。この生徒の成績を5に引き上げようとし勉強のコツなどを伝えようと努力する教師も中には居ますが、大抵は成績2を示して終わりです。だったら、成績2を教師の内部だけで管理して、生徒への告知を控えれば良いのです。 学校教育に成績評価が必要なら、模擬試験業者など外部委託でも出来る事です。 【教師】 ・学術・技芸を教授する人。 ・公認された資格をもって児童・生徒・学生を教育する人。教員。 ・宗教上の教化をつかさどる人。(広辞苑より) 【教育】 教え育てること。望ましい知識・技能・ 規範などの学習を促進する意図的な働きかけの諸活動。(広辞苑より) 【評価】 ・品物の価格を定めること。また評定した価格。 ・善悪・美醜・優劣などの価値を判じ定め ること。特に、高く価値を定めること。(広辞苑より)
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- hey_hey_11
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人を評価することは簡単ではありません。 ましてや、精神的にも学力においても未熟な人に評価はできません。 評価とは、客観性が重要でその人をどのように育てていくのかを計画的に行わなければなりませんので、一時の感情で評価をしてはいけません。 では、生徒の場合はどうかです。テストの結果、授業中の態度,提出物などによって評価されます。 大人は、全く違います。 会社員では、会社への貢献度や計画性,達成度,予定価格,会社方針に沿っているかなどを上司が評価をします。 それらを考えると、生徒が最終学歴を取得している教師に対して給与を決める評価は到底できないし、評価される人は納得しません。 評価は、お互いに納得した上で行います。 学校は、入学した時に承諾しているので、評価に対して不満がある場合は辞めるしかありません。 貴方も、自分より成績が悪い後輩に評価されたらどのように考えますか? 中には、後輩に媚び諂う輩も出てきますが、貴方も教師にさせたいのですか。 そんな、教師を見たいのですか? それと、教え方のみで全てを評価することはできません。 >学校教育に成績評価が必要なら、模擬試験業者など外部委託でも出来る事です。 これは、全くの無責任な行動になります。 教えた者が、生徒の成績をつけることは、自分の成績をつけていると同じことです。 成績について何も言わないのは、立ち位置によるものです。 小学校は、教師が先頭を切って誘導しますが、中学校は横に立ち一緒にやります。 しかし、高校は自ら考え行動させるため、後ろに立ってサポートする立場をとります。 これは、大人として振る舞い考え方を教えていることもあります。 この内容からでは、正直まだ中学生気分で他人にすべてを頼ってできないことは全て他人の責任にしているだけだと思います。 自ら考え正しい行動を積極的に行えば教師もサポート惜しまないと思います。 それと、学校に不満があればこんなところに言うのではなく、保護者に話して教え方が悪い教師について言ってもらうことです。 正直それ以上もそれ以下もできません。 その前に、貴方が学校に対して反抗する態度をとると拒絶され何もされませんが、きちんとやっていれば対応してくれると思います。 幾ら広辞苑で言葉の意味を調べても、基本的な考え方で実際はそういかないのがこの世の中です。
- suzuko
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教員です。 現在、そのようなシステムはありますよ。 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakko-hyoka/ 中学生・高校生ならば、こういったアンケートに記入した覚えがあるはずです。 それが、最終的に「教員の能力評価」にも繋げている自治体は増えています。 >生徒の学力を評価して成績付けるのは教師の仕事の1つみたいになってますが、この仕事は必要でしょうか? 評価を一歩通行の「通達」と捉えてるからでは? 物事の進め方にPDCAサイクルと言うものがあります。 Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善) これは現在の学校現場では、基本的な考え方です。つまり「勉強のコツなどを伝えようと努力する教師」を「標準にする」と言うものです。 ご参考までに。
日曜のひまつぶしに再訪。 あなたの主張は,「成績評価はするな」,「授業の質を向上しろ」ということだろうと読めます。「えこひいきをするな」とか「生徒の人格を軽視するな」じゃないですよね? はなしはとても簡単です。 教育によってどれだけ生徒が向上したかは,当然に調べる必要があります。大学で教員免許をとるための科目を履修すれば,それについて詳しく教わります。「評価」は,基本中の基本なんですね。その結果は,「よくやった」とか「努力がたりない」と本人にもメッセージを伝え,今後の指針にしてもらわなければなりません。 それがなければ,「自分ではわかっている(やれる)つもり」のことが,とても多いのですね。素人の診断・療法ほど恐いものはなく,プロフェッショナルが関与する必要があります。おおむかしは,親が生きるための知識や技能を教えていたでしょう。しかし,社会が進化するにつれて勉強すべき内容も高度になり,いろいろな職業のひとつとして「教師」が生まれました。最初は生徒が払う授業料で生活していましたが(いまでも塾講師や家庭教師はその形態),学校ができ身分保障のある教師が雇用され,親から教育を委託されることとなりました。その経費は,親が税金というかたちで負担しています。 いっぽう,考査結果は,じつは教員の教育じたいも評価しているのですね。これも大学で教わります。試験でクラスのだれにも解けない問題があれば,その項目の教え方がまずかったか,レベルが高すぎた(抽象的すぎた)かと反省し,授業を改善する必要があります。おなじ誤答が頻出したなら,誤解を与えるような授業をしてしまった可能性もあります。まじめな先生なら,毎年の授業内容が少しずつ変わるものです。授業のアイデアを求めて,教育業界誌で他人の実践報告を読んで勉強もします。 「教員自身が向上の努力をしていない」という批判ならばありえますが,それは同業者がみないとわからないだろうと思いますね。 >生徒を教師が5段階評価して成績が2、「だから何?」「それがドーした?」って感じです。この生徒の成績を5に引き上げようとし勉強のコツなどを伝えようと努力する教師も中には居ますが、大抵は成績2を示して終わりです。 「2」をもらい,努力しても自分ではどうにもならなければ,放課後に先生のところに質問にいけばいいでしょう。「だから何?」と「成績2を<示されて>終わり」なんじゃないですか。高校生ならスズメの雛じゃないんでね。黄色い口を開けてピーピー鳴けば,親鳥がエサを押し込んでくれる(親鳥は本能でそう反応する)わけじゃないですよ 笑。
>ドーすれば良いですか? たぶん何か勘違いしていると思いますよ。高校生は未成年で税金も収めていません。あくまで授業料を納めているのは親です。さらにそれだけでは学校運営の資金は足りなくて、助成金(税金)が投入されています。先生の雇い主は高校生でも保護者でもないのです。 どうすればいいか。強いて言えば法改正して高校生が成人の扱いになり、税金も収め、かつ授業料をもっと納めて、学校が国からの助成金を拒否してもよいまでになれば変わると思います。生徒が教師の直接のスポンサーとなったのであれば、生徒の発言力は増すでしょう。それが資本主義の原理です。 しかしそれは無理でしょう。そして翻って観れば、高校生は十分な対価を払っていないのに教えていただいているんですよ。せめて先生たちや、それを支えている社会に感謝した方がいいと思うなあ。
>生徒の学力を教師は評価しますが、逆は珍しいです。何故でしょうか? あはは。教える側のほうが,圧倒的に学力が高いからですよ。 >教師の指導力を生徒が評価して、ソイツの階級や給料を生徒がコントロール出来るようにしたいです。 知能指数130以上で期末試験で90点以上しかとったことがない生徒なら,いくらか教師(ないし人間の本質)を見る眼をもっているでしょう。そうでない場合,「人気投票」になってしまう危険が大きいです。そうなると,給料を高くしたいがために生徒にへつらう(注意すべきときにも笑って見逃す,成績評価がやたら甘い)教師がでてくる可能性があるのです。それでは教育はできません。 ふつう,生徒がなにか言わなくても,同僚や校長は「あの先生はだめだね」とわかっています。しかし,校長や職員会議の決定で首を切れる制度ではないのです。