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本居宣長の研究
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本居宣長は国学者として有名です。国学とは,平安時代日本のよさを発見しよう,日本人本来の感じ方・考え方を尊重しようとして起こってきたものです。 その背景は大きく二つあります。一つは,当時(江戸時代)は,中国の思想である儒学から派生した朱子学が,幕府公認の思想として承認され普及していたこと。この外来の教えに対して,いわばナショナリズムのようにして起こってきたのが国学ということです。 もう一つは,室町時代には,和歌が廃れ始めたということです。一方では和歌に対する学び方が固定的になり,味気ない歌が増え,他方では勝負事・賭け事の一つになっていったのです。こうした和歌の状況に危機感を覚え,日本古来の精神世界を尊重しようとしたのです。 そうした背景から考えれば,国学は中世には「起こりようがない」と言えるのではないでしょうか。朱子学が尊重されておらず,和歌が衰退してきたと感じられない時代では。そういう意味で「中世には存在しない」のではないですか? もっとも,「源氏物語の研究」という面であれば,(宣長ほどではないにしろ)一条兼良などが研究はしています。
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そういうことだったのですね! 謎が解けました。 そして、もっともっと知りたくなってきました。 ご丁寧な説明、ありがとうございました!!