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本居宣長は何がいいたかったのか?
本居宣長は国学者と思っていましたが、調べてみると医師で身を立てていた学究というイメージが強いように思います。 彼は当初実証主義的な姿勢で医学も古医方という実証的医学を学んでいたのが賀茂真淵にあい国文学、神話神道研究に転向し、どちらかといえば実証主義とはいえない分野において名をなしました。 彼は紀州藩に鍼医師として召し出されて、この頃「一君万民」の皇国主義を説くようになり水戸の会沢正志斎から「臣道あって君道なし」と批判されています。 なにかその時々で一貫しない学問姿勢のように思えるのですが彼は一体なにをいいたかったのでしょうか?
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>彼は当初実証主義的な姿勢で医学も古医方という実証的医学を学んでいたのが賀茂真淵にあい国文学、神話神道研究に転向し‥‥ 「転向」という表現はともあれ、松坂(松阪)の宿で、真淵に啓蒙を受けたことが宣長の人生の転機となったのだとおもいます。 人生には大なり小なり「転機」があるものです。 さしあたり、宣長の実像を掴もうとするのであるなら、小林秀雄『本居宣長』を踏破されることをお勧めします。 もちろん、小林が苦手なら手を出さない方が賢明かも。
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お礼
ご指摘有り難うございます。 私は宣長が医学それも実証的な古医方を選択し収入を得ながら、真淵に会って実証も定かとはいえない神話や伝承の「古事記」にのめり込んだ点が理解し難かったのです。 その為転向と表現したわけですが、確かに人生の転機といえるかもしれません。 しかしその後の推移をみると何か二重人格というか、納得のいかない所があり、会沢正志斎の批判にひかれるものがあります。 小林秀雄の「本居宣長伝」は確かに苦手です。 そこまで宣長を知りたくはありません。 ただ文化人としての宣長には興味があるのですが国学という思想には些か辟易していますので。 「もののあわれ」に留まっておられたらという気がします。 お礼とは違うかもしれませんが、ご指摘には有り難くぞんじます。