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現在の病院から絶対に転院したいのですが…。
父が入院している現在の病院から絶対に転院したい!!と考えています。現在検診段階で、治療には入っていません。治療に入る前に紹介状を書いてもらい、すぐにでも転院したいのですが、医師が転院を渋ることってあるのでしょうか?それが怖くて…。また、紹介状を書いてもらい、新しい診察してもらったとしてもその病院が混んでいればすぐ入院できないということもあるのでしょうか。そういった理由からもセカンドオピニオンを受けてから転院したほうが良いのでしょうか?アドバイス、どうぞよろしくお願いします。
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yuko0522さん、こんばんは。 昨日の約束が本日早朝になり、申し訳なく思っています。 前回の投稿を読み直し、補足しようと思います。 3・「前向きになったきっかけ・言葉」 きっかけは死を覚悟していた為、(自分で調べ病名がわかっていたし、家族の言葉、表情を含む態度から)開き直りながらも、やはり生に対する思いは消えていなかったと思います。 思い起こせばきっかけのひとつに、1人の患者様がいらっしゃいました。 その方は、声の出せない障害をお持ちでした。 私は手話が出来ず筆談でしたが、そのことが情けなく悔しく恥ずかしかったのです。 話す事が手話に相当し、それができれば患者様の要望に少しでも早く対応できるのに・・・精神的にショックでした。 自身の力を過信し傲慢だったと思いました。 障害をお持ちの方は初めてではありませんでしたが、その方とお会いし何度か接するうちに、何故か自身の心が揺れ、私の目指している所は障害に関する世界ではないかと思い始めていました。 その後空いている時間を使用し、ボランティアに登録しそれに関する勉強を始めようと資料を参考に会を選んだところでした。 障害に関する方向に、進路を変えるつもりでいました。 忘れていましたが、もう一度外の世界に戻り、自分の夢を実現させる為、生還しなければ何も始まらないと自分を勇気づけたような気がします。 ☆☆家族は私を勇気づけようと、「治療後に外国旅行に行こう」とパンフレットや本を買い込み、食事も病院食でなく私の食べたい物、好きなものを毎日毎日持ってきてくれていました。 思い起こせば家族の存在(私の場合は夫を含め、相手側の家族でしたが)、言葉を交わさなくとも存在のみ、存在そのものが私を生の道へと導いた、前向きになれた【1番】のきっかけだったに違いないと今になって思います。 自分自身の力だけではなく、相手家族の存在が大きく、表情から苦悩は見え無理をしているなぁと感じながらも【笑顔】で病気の事ではなく【普段と変わらない何気ない会話】それが嬉しく本当の意味で前向きになり【家族愛】を再確認し、帰る場所があり帰るべきであると、その為にこの治療を乗り越え闘うのだと・・・再認識できました。 ご家族様の温かいお気持ちと、もしお父様にやりたい事がおありなら目標をお与えになり、その事を実現できるように励まされるのも良いかと思います。 ただどのような病気でも、ご本人様には入院自体が辛く普通に見えても心に不安を抱え、それをご家族に見せまいと気を遣われる方もいらっしゃいます。 難病であれば、残していくかもしれない家族を思い、病を含め申し訳なくお考えになる方も少なくありません。 ご家族と過ごされる何気ない一日一日が、貴重で大事な時間であり副作用や入院生活における不自由さから、「わがまま」を言われる事も(私を含め)多々あるでしょう。 それでもご家族の存在に唯一の、一縷の望みをたくし治療に望みご家族と過ごすその場所へ帰るため闘うのだと・・・私はそう思います。 yuko0522さん、貴女の御依頼がなければ、私は本当の意味で当時を振り返る事が無かったように思います。 改めて、今の仕事に対する責任を再確認する事ができました。 言葉では言い表す事ができませんが、 「yuko0522さん、貴女のお蔭でまたひとつ勇気をもらいました。」 「本当にありがとうございました。」 私は闘病後、約20年かかって昨年から障害児教育に関わっています。 再び生かされたその時から、紆余曲折はありましたが当時の目標を何とか叶える事ができました。 「最後に」 yuko0522さん、貴女の様なご家族の存在があれば前向きに、いえ前向きにならなくては・・・とお父様が感じるのに十分、十二分にお心が伝わるのではないかと思います。 入院はご本人のみならず、ご家族も辛い思いをされるものです。 どうか、貴女方ご家族様もお体に気をつけてご自愛ください。 ご家族様の幸せと、お父様のご病気の回復をお祈りします。 長文及び失礼の段はお許しください。 makoto-k
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yuko0522さん、こんばんは。 makoto-kです。ご質問にお答えします。 最初に・・・yuko0522さんのお父様の病名と私の病名は違うと思いますし、性別、年代(闘病の)も違い、今は医学も進んでおり、たとえ私と同じ病名であったとしても、昔ほど苦痛を感じないような方法も採られています。(私が以前勤務していた総合病院) 私(♀)は当時、妊娠中で貧血により産科に通院中→大学病院に紹介転院→骨髄穿刺、血液検査後、本当の病名説明はなく入院(血小板減少症との偽告知)→血小板輸血→産婦人科にて堕胎→1週間後から内科無菌室にて化学治療(血小板輸血含む)→10日後に化学治療の効果が望めず、限界まで4日しかないため(私は知りません)点滴追加→効果が出て回復の兆し→4ヶ月の闘病生活(この間に主治医が1カ月交代で3人)から退院(前日に診察を受け、大学病院から引き抜かれた医師に呼ばれて、その医師<初対面>の転院先で通院治療することになる) その医師から初めて病名を告知され「急性骨髄性白血病」(堕胎後、自分の医学書で調べ病名は知っていた)そこから1年半通院しながら化学治療(穿刺、血小板輸血含む)と入院の繰り返しの後、完開(完治とは言わない)化学治療終了→2週間置きの診察(血液検査)、投薬(2週間分)が6ヶ月→6ヵ月後との診察(血液検査)→1年毎の診察(血液検査)自分の最期まで続く予定→現在に至る。 これは約20年前の話であり、今の時代に「主治医が人の話を聞いてくれない(何か聞くととても嫌な顔をします)」不信感でいっぱい。 この部分↑に医療関係者だった人間として、遺憾に感じ投稿しましたが実のところ古い話なので参考になるのかどうか悩みました。 そこを説明する為に、自分の闘病内容をあえて書きました。 ただ時代は違えど1人の人間として、これからいつ何時、病に倒れ医師の診察を受けるかわかりません。 病院は患者様はもとよりご家族様が少しでも気を楽にして、治療に専念できる場所であらねばならないと思います。 その事は身を持って体験し、確信しています。 前置きが長くなりました。本題の御質問の答えに入ります。 1・「客観的に見た冷静な判断・発言」 私の場合上記にもありました様に、産婦人科からの転院、検査内容及び堕胎に疑問を感じていましたので、その時点で(堕胎する事を告げられた時)覚悟ができていました。 覚悟はできていましたが、まだ20代で私自身未熟すぎて、動揺は隠しきれるものではなく落ち込んだりもしましたが、踏まれれば踏まれるほど逆境に立ち向かう強い性格を持っていたため(ここについては後で記載します)身を任せるしかないと思ったのと、堕胎した子供に恥ずかしい姿は見せられないと感じていました。 生還し今度こそ子供を産みたいと思い、目標(将来の仕事に向けて)があり自分自身に負けたくなかったし、夢を叶える為にも死にたくなかったといえます。 一言で言えば「何故私が?まだ死にたくない、死ぬわけにはいかない」だと思います。 ☆判断は一応できていたと思います。 ☆発言に関しては平常時と変わらずのつもりでした。 同じ病棟、同室に家族に当り散らし、ご家族の苦労を目の当たりにしていたのも関係し、いつも笑って他の人と接していました。 骨髄移植を受ける方・骨髄バンクに登録して待っている方・お亡くなりになった方・治療中他の病気を併発した方・違う病気・突然死等・その方達に比べたら、今現在、闘病中でも生きているという事に感謝しようと無理して、自分を納得させようとしていたかもしれません。 辛い自分を見せる勇気がなく、自分を偽っていたのかもしれません。 抗癌剤の影響で副作用の強い何日かは「正直死ぬんじゃないか?」と口も聞けず(嘔吐の為)辛かったのは事実ですが、それを過ぎると同病の方を励まし、その事により自分をも励ましていました。 やはり死ぬ事が怖かったのかもしれないと、今この文面から当時の自分を知りました。 人と話す事により、生きた証が欲しかったのでしょう。 2・「治療に対して前向きになるまでの期間」 ここに関しては上記1と重複する部分が殆どですが、自身で病名を調べ(家族に自宅から医学書を届けてもらい調べました。) 薄々気づいてはいても、事実として受け入れるには辛すぎ、激しく落ち込みました。(表現の仕方が頭ではわからないほどです。) 「空虚というか頭の中がまっしろ、目の前がまっくら」これが1番近いのではないかと思います。 ただ、死を覚悟し「腹をくくった」感で、私の場合そこからは早かったというかなるようにしかならない、突然死より家族や知人に会う時間が(相手にとっては辛いだけですが)あると思い、その間をたとえ闘病という形であれ、大事にしようと思いました。 ☆1週間もかからなかったと思います。嘆いている暇より、死んでしまったら2度と戻らない、今の時間を無駄にしたくなかったといえます。 3・「前向きになったきっかけ・言葉」 ☆言葉に関しては、禁句ならハッキリ言えます。 闘病生活を送っている身としては、「頑張れ」の一言はとても辛い言葉です。 入院だけでも辛い上に十分、いえ十二分に頑張っています。 以前、同じような質問に投稿した事があります。 「頑張れ」の言葉は嬉しい反面、とても辛く感じます。 ☆前向きになったきっかけ・・・前向きというよりは「なるようになれ、今生きているうちに、感じられる全ての人、物を記憶に残そう」 位の気持ちです。 死を覚悟していたので開き直るしかなかったいえます。 今日の夜が終わってしまいそうなので、投稿します。 書き残した部分がありますが、約束の今日が過ぎてはいけませんので私の履歴等が抜けていますが、ご容赦ください。 「うつを早く治す方法などはあるのでしょうか?」 7月16日No4を見てください。私の名前をクリックして入ってください。
yuko0522さん、補足拝見しました。 ご依頼の件、承知致しました。 大変申し訳ありませんが、明日の夜でよろしければ投稿させて頂きたいと思います。 後、私は文章力が無く、頭が悪いのでいつも長文になります。 それでもよろしければ、明日の夜まで質問を締め切らないで待っていて頂きたいと思います。 経験者 by makoto-k
はじめまして。 以前医療関係で、総合病院に勤務していました。 あくまでも推測なのですが、検診の段階ではっきりをした検査結果が出ていないため、病名告知やインフォームドコンセントが行なわれていないのではないでしょうか。 医師がそこの所をきちんと説明せず、ましていやな顔をする、これは私の勤務していた病院では考えられない事であり、不信感を持たれるのは当然かと思います。 もし総合病院等で、役職が上であれば態度を改めてもらうのは難しいかもしれませんが、医師も現段階で病名が定まっておらず(検査結果が出ておらず、病名がはっきりしていない為に嫌な顔=困惑)それゆえにインフォームドコンセントがなされていないのではないでしょうか。 患者様からの同意書、承諾書等、治療に入る為に病院側も患者様の意向を無視して治療を行えるはずはないと思います。 患者様が転院を望まれている以上、医師の気分など関係ありませんが、安静を必要とされているとの事ですから、検査結果を待たれたほうが良いような気がします。 検査の結果で、色々と見えてくる所もあろうかと思います。 その段階でセカンドオピニオンを希望されても、遅くはないと思うのですがいかがでしょうか。 私は癌を克服した経験があります。 紹介状を持ち診察後いきなり入院になり、病名は違うもの、インフォームドコンセントも無く治療しました。 実際は家族に病名と、2週間の命と告知されていたそうです。 検査に日数がかかり、医師の指示により、化学治療も途中で何回か変更、主治医さえ交代しました。 (国立病院で闘病・・・自分で調べて病名がわかりました。) 貴方の求める答えではありませんが、参考になれば幸いです。
補足
アドバイスありがとうございます。 父の現在の心境を少しでも理解するためにmakoto-kさんの闘病中の心境を教えていただきたいと思います。 (1)色々と考えることも多かったと思いますが、常に冷静な判断、発言ができていたと思いますか?(平常時と比べて客観的に見てどうでしたか?) (2)違う病名であったかもしれませんが、治療に対して前向きになるまでどのくらい期間を要しましたか? (3)前向きになったきっかけの事や言葉があったら教えてください
- jakkysh
- ベストアンサー率75% (34/45)
>人の話を聞いてくれない(何か聞くととても嫌な顔をします)、検査の計画をコロコロ変える 医師の立場から言えば診断を確定するにあたり相当悩んで多数の検査を行ったり、論文をみて検討します。その点では検査計画を変えるのはかなり難病と考えているとも考えられます。お父さんの病名が何かをお聞きして(推測でも良いですが)もし、今だ決まっていないならば悩んでいる証拠ではないでしょうか? 嫌な顔をされるのは医師にもプライドや自信などがあるためにおきる表情だと考えてあげても良いのではないかと思います。(人間形成の問題もありますが・・・)言動や表情だけで医師の能力は評価できません。過去の術歴(外科医の場合)や他の患者様などの評判もお聞きし難病でもかなりの治療をなさっている場合など医師としての評価も検討されてはいかがでしょうか? セカンドオピニオンを受ける場合は検査データや治療内容をその病院から提出していただき別病院で判断を仰ぐのですが簡単なことでもないことを認識していただければと思います。受けた医師も相当な責任をもって聞く必要があるため再度の検査を指示することもあります。 >入院中の体で安静が求められる 安静が求められる疾患となると重篤な病気であることが予想されますし、確定診断がでてその病院で良い治療法がないのであれば専門病院に紹介はしていただけると思います。安静中は転院せず診断結果をまっても良いのではないでしょうか? 家族のかたもお父さんの病気に対する学習を心がけ適切な判断を望みます。検査結果について教えて欲しい場合は各種病院のサイトに問い合わせてみることも可能です。いかがでしょうか?
- maniera
- ベストアンサー率36% (64/177)
こんにちは。 質問返しで申し訳ないのですが、なぜ質問者様はお父様を転院させたいのですか? ・告げられた病名が疑わしい ・その病院が信用できない(評判が悪い) 等の理由があるのですか? また、お父様自身はどう考えてらっしゃるのでしょう? 検診(というか治療前の検査、ですよね)段階で、治療はまだ、との事なので、セカンドオピニオンを受けたり転院したりする事には、お父様のお体に差し障りがある状態ではないようですが、本人の意思はどうなのでしょう? 皆様がアドバイスされるには少々情報が不足していると思いますので、差し障りのない範囲で具体的な状況等を補足していただければ、いい回答が得られると思いますが・・・
補足
言葉不足で申し訳ありません。 現在の病院の主治医はとにかく人の話を聞いてくれない(何か聞くととても嫌な顔をします)、検査の計画をコロコロ変えるなど不信感でいっぱいになっています。 父はセカンドオピニオン、転院については了承しています。しかし、入院中の体で安静が求められるので家族のみでセカンドオピニオンには行こうと思っています。 安静が求められる中での転院に不安があります。医師はきっと気分が悪くなるに違いありません。もしセカンドオピニオンを受けた病院にも当分受け入れてもらえない、今の病院にも戻れないということになっては困ってしまいます。 どうしたらいいのか本当に迷っています。
お礼
makoto-kさん、お礼が遅くなってしまいごめんなさい。土曜日にやはり末期の大腸がんだと告知されました。まだすい臓がんの疑いもありますが…。 こうして癌を克服された方の貴重なお話を聞くことができてとてもためになりました。勇気付けられました 。検査も一通り終わり、転院が決まりましたので明日父にmakoto-kさんからのメッセージ、プリントアウトして読んでもらいます。がんは先生だけに治してもらうものではない、自分や家族も治すことに一生懸命にならなくてはいけませんよね。転院は決まりましたが、ただ手術が大掛かりになってしまう様なのでまだ私自身は迷っています。果たして大手術を受けて辛い思いをして少しでも延命するべきか、苦痛はできるだけ避けて残された時間を自分らしく大切に生きるか…。本人には末期ということはまだ伝えてません。まだまだ問題は山積みですが父らしく闘病していけるようにサポートしていきたいと思います。makoto-kさんのおかげで本当に勇気付けられました。どうもありがとうございました。