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「アイデンティティ」という言葉の意味

ヤフーの辞書で「アイデンティティ」を調べたら ある人・物が他の人・物と異なってもっている独自性。同一性。 とありました。 「独自性」「同一性」が矛盾するようにも思うのですが、どういうことでしょうか。普段は「個性」のような意味合いでこの言葉を使っていますが、もしかして、違うのでしょうか? どなたかわかりやすい解説をお願いします!

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.6

 私は、   自己と他者との関係においては「独自性」、   自己と自己の関係においては「同一性」  となる性質のことと理解しています。  同じものを別々の側面から捉えているわけです。  例えば、現在の自分と10年前の自分は同じ自分といえるかどうか、 ちょっと本気で考えてみると実はかなり難しい問題です。  身体の細胞はすべて死滅し、当時肉体を構成していたものはかけらも残っていません。精神的にも人間は成長し人格も変化していくものですし、記憶は日々積み重ねられていきます。記憶がすり替わってしまうということもしばしばあるでしょう。つまり肉体的にも精神的にも確たるものは何もないわけです。  では何をもって自分が自分だといえるのか? この「何」の部分がアイデンティティの本義です。  哲学的に考えていくと、「指紋・声紋の改造」「記憶の改ざん」「身分証明の偽造」なども考慮していかなければならないので、出口に行き当たらなくなってしまうのですが、普通は常識を取り入れて、例えば顔かたち、性格、身分証明書、DNA検査などで「この人はこの人だ」というのを判断していますよね。これが同一性(アイデンティティ)です。  そして自分が自分であるということは、自分と他人は違う、ということでもあります。自分と他人が混ざってしまってはまずいですよね。これが独自性としての側面です。欧米では特に個を重んじますから、日本にこの言葉が輸入されてきた時も、この側面が強調されたのではないかと思われます。  まとめると、アイデンティティとは「その人(物)がその人(物)であるために必要なもの」ということです。少し言い方を変えて「それがなくなれば(それまでの)その人(物)ではなくなってしまうもの」と言っても良いでしょう。アイデンティティが「確立」したり「崩壊」したりするのは、このような意味においてです。  ただ日本語の日常的な文脈では、単に「個性」や「本人証明」というだけの捉え方でも構わないとは思いますが。

partita
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >同じものを別々の側面から捉えているわけです。 なるほど! 比較対象が他人のときは「独自性」、自分自身のときは「同一性」ということでしょうか。 それならば、スッキリ解決です。

その他の回答 (5)

noname#107878
noname#107878
回答No.5

 どのご回答も大変造詣の深いもので大変参考になりました。  わたくしはCIの分野の仕事もしていますので、その面からできるだけ分りやすいお答えをします。  アイデンティティーという言葉は大変日本語に訳し難いもののひとつでが、しいて言うなら「あり方」あるいは「らしさ」とでも訳せばいいかと思います。  人は誰でも「自分らしさ」を持っていますし、人だけでなく企業などもまた「会社らしさ」を持っています。こうした「らしさ」がアイデンティティーと考えればかなり近いものがあります。  今日の企業ではどこでもCIという活動を大変重要なものとして考えています。CIとはコーポレイト・アイデンティティー、あるいはコーポレイト・アイデンティフィケーションのイニシャルです。  古くからそれぞれの企業は、自社が持つ良い面としての「らしさ」というものを宣伝やPR活動などでアピールして来ましたが、近年その表現をできるだけ統一してより強いものにし、さらに誰でもが覚えやすく記憶に残る姿でアピールしようというのがCIの活動の真髄です。  たとえば覚えやすい社名にする、たとえばイメージを正確に伝えるキャッチを考える、たとえばパッと見てすぐ分るマーク(ロゴマーク)に変える、お客様に応対する際の言葉使いまで統一する、すべの商品やパッケージのイメージを揃える。  もちろん広告塔もテレビCMも雑誌広告でも、封筒や便箋や帳票類に至るまで、すべてのものをこうしたものでイメージを統一する。  こうしたことで、一般社会に「この会社ここにあり、この会社はこういう会社だ!」とストレートに訴え、良いイメージとともに知名度を上げるのです。  日本航空がJALになり、近年はさらにシンプルなデザインのロゴマークに変わりました。SONY、HONDA、TOYOTA、東洋工業もマツダに、まだ幾らでもありますよね。こうしたイメージのシンプル化と統一が広く進んでいますが、ファーストフード店などでは「いらっしゃいませ、○○もお付けしますか」などと言い方まで統一していて、聞けばそれだけで「ああ、あの店ね」と分りますよね。  こうした活動の際に取り上げられるのが「この会社はどういう良さがあるのか、この会社は他の企業に何処が優っているのか、どこに取り得があるのか、ウリは何か、悪いところは何処か」といった「個性の洗い出し」です。  つまりこの「個性の洗い出し」から出て来たものこそがアイデンティティーなのだと言ってもいいと思います。  ここまでは企業のアイデンティティーについての話ですが、もうお分かりでしょう。こんなことはすべて個人にも当てはまることですから。自分自身のいいところ、悪いところ、人より優れているところと劣っているところ、性格、知的水準、社会性、エトセトラ、これらすべてが作り出す、たとえばご質問者様の「らしさ」、これもまたアイデンティティーなのです。

partita
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「らしさ」=「個性」という意味で受け取ってもよいのでしょうか?

  • luune21
  • ベストアンサー率45% (747/1633)
回答No.4

 identityというのはずっと以前からある言葉で、「一致していること」というような意味です。このような意味で「identity card(身分証明書)」などの言葉があるのですね。一般の辞書としてはそんな意味になります。  しかし、この言葉は、今やもっと複雑な意味でも使われます。この語を複雑にした最初の人はE・H・エリクソンという精神分析学者です。その後、彼の考え方が普及し拡張されて、いろんな学問でも使われるようになりました。そして、その分野ごとに訳語が違ってしまったのです。  たとえば、心理学用語としては「同一性」、社会学では「存在証明」、哲学では「主体性」、歴史学では「歴史的連続性」といった感じです。文学では、そのどの訳語もよく使われます。  ちょっとこれでは学問の妨げになってしまいますね。そこで、誰か頭のいい人が、これらの訳語を一本にまとめてくれました。それが「自己同一性」という訳語です。これは「『自分』っていったい何?」と疑い『自分』とはこれだ!」というものが見つかったとき、それを「自己同一性を持つ」といいます。つまりAはAでありBではないことの証明ということです。このばあいの「自己(自分)」とは人だけでなくSONYとか日本とか母、近代、というようなものにも使われます。 「私って何? 私は歌っているときが一番幸せ、一番充実している。まわりの人も私の歌が大変じょうずだとほめてくれる。よく『君の歌はとてもやすらぐ』なんていわれる。そうだ! 『やすらぎの歌』こそ私なんだ」てな感じでしょうか。  したがって、個性とか独自性とかは自己同一性獲得の結果なのです。自己同一性そのものではありません。  さらにこういう言い方はどうでしょうか。  自分が母親であるためには子どもが必要です。子どもがいない女性は母ではありません。子どもは自分の存在証明ではないかもしれませんが、「母」であることの証明になっているんです。これが同一性といわれるものです。個性や独自性とはちょっと違うでしょう?(これはR・D・レイン『自己と他者』からの引用です) <余談>  日本人は本来、鍵や身分証明書という考え方にはなじみの薄い民族でした。この習慣が濃かったら光源氏は誰とも結ばれていなかったかもしれません。しかし、現代では、鍵も身分証明書も必要になりました。そこで、日本人はみんな「自分探し」の旅にでることになったわけです。もともともっていた同一性を得る能力をなくしてしまったからです。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/index=books-jp&field-author=E.H.%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%82%
  • Czerny
  • ベストアンサー率34% (93/271)
回答No.3

こんにちは。難しい言葉ですね。 アイデンティティと言うと、アイデンティティ・カード(身分証明書)という言葉が代表的だと思います。その人がその人であるということを証明するには、名前、生年月日、血液型、国籍、住所、顔、身体的特徴等など、多くの要素がありますね。つまり、名前や生年月日のようにその人特有のもの(独自性)と、顔や歯型のような身体的特徴(同一性)が必要です。「個性」もその人がどんな人物であるかということを「証明するもの」の一要素と考えるとわかり易いかもしれません。 それから、アイデンティティには心理学的な意味もあります。#2さんも書かれている「自我同一性」です。心が安定している状態ならば、今日の自分も明日の自分も変わりありませんが、心身錯乱状態などに陥っている時は、その時々で同一人物とは思えないような状態になってしまい、「自我同一性を喪失した状態」になってしまいます。つまり、前者の心が安定した状態がアイデンティティであると言えます。 わかりにくい説明で申し訳ございません。

partita
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 主観的・客観的な視点が必要ですね。 主に使用する場面は後者だと思います。 ご提示いただいた身分証明書の例がちょっと難しい(><) 顔や歯形は独自性にはならないのでしょうか。

  • yoshi170
  • ベストアンサー率36% (1071/2934)
回答No.2

同一性とはこういう意味だそうです。goo辞書より。自分自身にブレがないといった感じでしょうか。 同一性【どういつせい】 〔identity〕 (1)物がそれ自身に対し同じであって,一個の物として存在すること。 (2)人間学・心理学で,人が時や場面を越えて一個の人格として存在し,自我の統一をもっていること。自我同一性。自己同一性。

partita
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 >自分自身にブレがない よく少年犯罪で「あんな子ではなかったのに」と言われる少年たちは、アイデンティティーがない、といえるのでしょうか。

  • 920chan
  • ベストアンサー率17% (13/75)
回答No.1

私はいつも「自分が他の誰でもない自分であること」というような意味合いで使っています。 すると、自己の個性である「独自性」も、自分と自分とを一致させる「同一性」も意味が重なってくると思うのですが・・・ 難しい言葉ですよね。 わかりにくかったらごめんなさい。

partita
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なんだか禅問答みたいですね ^^; 「私が私であるために…」のようなフレーズを耳にしたことがありますが、そういうのと関係するのでしょうか。

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