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女性の剃髪について
初めまして。 古代の女性の剃髪について質問します。 平安時代の女性は、出家した時、剃髪とはいっても肩あたりまでは残していた、というのはよく耳にするのですが、 ではそれ以前、奈良時代の女性、特に高貴な女性(皇族等)はどうしていたのでしょうか?完全に丸頭にしていたのでしょうか?? 自分で調べてみたのですが、確かな事が分からなくて困っています。どうかよろしくお願いします。
- sakanamochi
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高位(皇族や大名の未亡人など)の女性は出家しても髪は切りましたが有髪でした。 いわゆるオカッパ頭です。 宗派によっても違うかもしれませんが、庶民の女性は丸頭だったとおもいます。 伝聞によれば京都の西本願寺の改築の際、本堂の棟木を上げるのに通常の綱では切れてしまうので、現在の福井県地方の(当時は加賀国)女性信徒は皆丸坊主になりその髪の毛を集めて髪綱を作り、やっと棟木を上げる事が出来たといいます。 この髪綱の一部は現在も保存されていて、見る事が出来るそうです。 女性の髪は象をもつなぐといいますから。
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- sugartea
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少し曖昧ですが、皇族はそうだったと思います。 奈良時代で出家した皇族といえば、まず孝謙上皇でしょうか。 それで思い出したのですが、漫画ですけど里中満智子先生の作品に孝謙上皇の生涯を描いた「女帝の手記」という作品がありまして、これに出家の場面もあるのですがその時の孝謙上皇の髪型はいわゆる「おかっぱ頭」でした。 この方は考証など正確に書く方ですので、信憑性は高いと思います。
お礼
ご丁寧な回答、どうもありがとうございました。 「女帝の手記」も、機会があったら見てみたいと思います!
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お礼
迅速なご回答、どうもありがとうございました。 西本願寺のお話も、興味深かったです!