• 締切済み

名前の『子』という漢字について

名前に『子』という漢字は昭和まで天皇・皇族のみにつけられると聞きました。そこでなのですが『小野妹子』や『蘇我馬子』など奈良時代以前の男性に『子』が用いられているということは、彼らは皇族にあたる者たちだったのでしょうか。それとも明治時代ごろからの皇室典範などによって定められていたのでしょうか。

みんなの回答

  • mapato
  • ベストアンサー率69% (493/705)
回答No.5

こんにちは。 確かに皇族の女性には「○子」という名前が目立ちますが、既にほかの方も仰っているように「皇族以外は使えなかった」ということはありません。 ただ傾向として皇族・公家や武家と言った上流階級の女性名のかたちと広く考えられていた為、近世以前庶民が「○子」型の名前を名乗ることは少なかったのです。 元々大和時代の男性名に「○子」がつくものが見られるのは「コ」が男性をあらわす音であった為と言われ、これに美称をつけて「ヒコ」(彦)などともなりました(女性の場合は「メ」で美称がつくと「ヒメ」です)。 ですから元々は「男性」をあらわす記号のようなものでしかなかった訳です(のちの「郎」のような感じですね)。 これがいつの間にか女性名に用いられるようになった理由についてはよくわかっていないようですが、大和・奈良時代にも既に数例確認出来るようです。 平安時代になると「薬子の乱」の藤原薬子をはじめ、沢山の女性達が「○子」型の名前となっていきましたが、薬子の例をとってもおわかりのように皇族に限られたものではありませんでした(同時に「コ」に対する「メ」であるところの「姫」も用いられているところが面白いです)。 明治になって「○子」型の名前が庶民に広がったのも「それを禁じていたものがなくなった」ということではなく、以前は貴賎の別として「憚るもの」であった上流階級の名前が、人々の意識の変化によって広く用いられるようになったに過ぎません。 その証拠に「○子」型の名前は東京を中心とする都市部から普及していきましたが、古都京都では明治末まで待たねば広まらなかったそうです。 結局全国的に「○子」型の名前が盛んに用いられるようになったのは大正に入ってからでした。

回答No.4

あ、ちょっと違いますが最近続けてきになったのが先日最高齢で亡くなられた方が「ヨ子(よね)」さん、昨日テレビで見かけた100歳の方が「タ子(たね)」さんでした。 「子」は十二支の「子(ね)」でもあるんですってことに気づいたので・・・。 回答でなくすみません

  • bouhan_kun
  • ベストアンサー率19% (1032/5208)
回答No.3

嘘です。 ただ、身分制度のあった世では、不相応な名前を冠すことは、ご法度でしたし、犯そうとした人もいなかったでしょう。武家でもないのに何とか衛門とかは、よほどの豪商ぐらいしか使わなかったでしょうし、そもそも名前が出世で変わる世の中でしたので。 思想闘争なんて、幕末-明治維新以降の話で、ましてやそういうことをいうとアカのレッテルが貼られる時期はまたそのちょっと先のことです。

回答No.2

北条政子、日野富子、与謝野晶子....むしろ戦後に「○子」というオナの子名前が少なくなっていく中で皇室では慣習で「○子」とつけていることからきた誤解のように思われます。

  • Tori_30
  • ベストアンサー率27% (653/2415)
回答No.1

「蘇我馬子」って確か皇族と繋がりを持ってたんじゃなかったっけ?同じ蘇我系の聖徳太子は皇族ですよね? で、「小野妹子」もまた皇族っぽい。仮に皇族でないにしてもかなりの中央エリートである事には間違いない。 だってあの時代に海を越えて外国に行ってるんですよ。今で言えば宇宙を越えて地球外生命体との親善を図るようなもの。そういう役割の人には最先端の中の最先端である例えば宇宙飛行士のような人、それも血筋的にもトップである人が選ばれるでしょう。それだけの重要事ですから。 確かに「子」っていうのは皇族を表しているのかもしれないですね。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう