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古代の葬儀は演劇だった??

以前 日本の古代(平安時代以前?)の貴人の葬儀では、 臣下や友人が故人のひつぎの前で、その人物が 生前どれだけ偉大であったかを身ぶり手ぶりで演じ、 演劇みたいな儀式をしていたらしい。 というのを耳にしました。 そういう儀式があったのかどうか 知りたいのですが、古代の葬送儀礼について 書かれた本などを教えてください。 あと 歴史はド素人なので、古代祭祀について知りたい場合の概説書、基礎文献なども教えていただけませんか。 どんなところから手をつければよいのか見当が つかないのです。

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  • neil_2112
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回答No.2

律令時代の葬儀では、死者はすぐに埋葬されずに、特別な建物を設けてその中に遺体を収め、その前でいくつかの儀礼が行われました。この期間は「殯」(もがり)と呼ばれますが、そこで行われた行為のうち特徴的なものとして、儀礼的な哭泣と歌舞音曲があげられると思います。 前者は、一言で哭泣儀礼などといわれます。生者が泣くことが死者を慰め鎮魂することにつながる、という感覚から、内容はあまりはっきりしないのですが、「慟哭」や「発哀」「など、いろいろな形での「泣き方」が決められていて、広義の「儀式化された哀悼表現」とでも呼ぶべき体系が整っていたようです。 (今では「泣く」ことにさほど程度の違いがありませんが、漢字本来の語義では「泣」は「声をあげずに涙を流す」ことであるのに対し、「哭」は「大声を上げて悲しむ」という意味になるなど、バリエーションがありました。おそらくかつてはそのような本来の語義に加えて、役職や時期を考慮した規則体系があったのでしょう) ともかく、泣くといっても単に個人の感情を発露したのではなくて、社会的な儀礼として行ったわけですから、現代の目からすると場合によってはいささか過剰・不自然に(つまり演劇的に)泣いた、とはいえると思います。 また、その哭泣儀礼の一環として、「誄」(ルイ、しのびごと)というものがありました。これももともと中国からもたらされたのですが、現代の弔辞にあたるもので、ご質問のように故人の生前の業績や徳行、家系、家族などについて長々と述べたてるものでした。やはり故人の徳を大勢の人々に広く知らしめることで霊魂が鎮まる、という感覚が強くあったのでしょう。 この誄は殯の期間中、大勢の人によって諄々と読み上げられ、その奏上の順番が権力争いの種となるなどしたようです。それだけ儀礼の中で社会的なウェイトが高かったということなのでしょう。どれだけ派手なパフォーマンスが伴ったか、というのは残念ながらわかりませんが、死者に語る形式をとりつつ、実はそれを聞く生者の存在も重要だった、という意味では大変演劇的な儀礼であったことは間違いありません。 それから、この殯の期間中は「歌舞音曲」がつきものだったことも、演劇的といえるかもしれません。遊部(あそびべ)という専門職がこれを行ったのですが、矛や刀を持つなどしてこれで遺骸を突くまねをしたり、修験道で儀式化された反閇(へんばい)のように足踏みをして地面を踏み固めるように踊ることで、死んで間もない恐ろしい死霊の力を鎮め、封じ込めようとしたもの、とされています。 この歌舞音曲も鎮魂・慰霊のための儀礼でしたが、のちの神楽の原型でもあり、宗教芸能の源流にあたるもので、この意味でも演劇につながるものと思います。 参考書籍ですが、研究紀要以外の一般書で古代の葬送に触れているものは以下のものがあります。ただ、古代の葬送儀礼研究は基本的に記紀神話に頼るわけで、史料に乏しく、一般書も少ないのが現状だと思います。 新谷尚紀『生と死の民俗史』木耳社、同じく『日本人の葬儀』紀伊国屋書店 五来重『葬と供養』東方出版

epoxy-resin
質問者

お礼

中国の葬儀では「泣き女」と呼ばれる人を雇って、式のときに泣かせる風習があると聞きました。 死者とそれを見送る人々の儀礼、やはり興味深いです。 ていねいな回答をありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • ionized
  • ベストアンサー率80% (8/10)
回答No.1

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=764973 基礎的な参考文献から法要の概要に至るまで、丁寧に まとめられています。

epoxy-resin
質問者

お礼

かなり参考になりました。 ありがとうございます。

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