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知覚動詞+O+過去分詞について
When I came back from school, I saw the kitchen window broken. これは、知覚動詞+O+過去分詞の構文で、 Oが「~される」のを見た、ということになると思います。 しかしながら、過去分詞が目的格補語になっている場合、 「~されている状態を」~する場合と、 「~されている動作を」~する場合の二つの解釈ができる というように文法書に書いてありました。 つまり上記の例文の場合は、 「私が家に帰ってきた時、台所の窓が壊されているのを(状態を)見た。」 「私が家に帰ってきた時、台所の窓が壊されたのを(動作を一部始終)見た。」 の二つの解釈ができると思います。 そして、この場合の判断はこの文法書には「When I came back from schoolとの関係から 『割られている状態』という意味と解釈するのが普通である」 と書いてありました。 ここで質問なのですが、 どうして、この文法書による 「When I came back from schoolとの関係から~」 の部分の解釈で割られている状態と判断できるのでしょうか? また、この「状態」か「一部始終」かは 文脈からでしか判断できないのでしょうか? よろしくお願いします。
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鋭い質問ですね。こういう構文は 両方の可能性がありますが、確率としては 状態を表す場合の方が多いと思います。これはアスペクトの問題も絡んできます。ご質問の文の場合は breakという動詞にカギがあります。breakという動詞は壊れていくプロセスよりも壊れた結果が重視されます。何と言いましょうか、breakが過去分詞になると 殆どが完了アスペクトになるんですよ。つまり、壊れていくプロセスが完了した結果を表しています。
#2です。 訂正します。 「態」→「相」
とてもいい質問です。このような質問をできる人は本当に頭がいい人です。すばらしい。 (1) When I came back from school, I saw the kitchen window broken. この文は「割られた状態の窓」と解釈します。 これを「割られている動作」の文にするには -ing にします。 (2) When I came back from school, I saw the kitchen window being broken. "When I came back from school" は「学校から帰ってきた時」という[時点]を強く意識させます。時間のベクトル上の一点を意識させるのです。そういう場合、「一回きりの行為を表す動詞」か「過去進行形」を要求するのです。 一方、使役動詞の see somebody do something や see something done の場合は態としては「一部始終を見る」、つまり「時間軸上で幅のある動詞」を所与として与えられている場合、副詞節ではそれに応じた形にしなければなりません。"when I came back from school" はあまりにも時間軸上で「点」を意識させてしまいます。 だから、 (3)While I was standing there, I saw the kitchen window broken. という風にします。これもネイティブに言わせれば不自然かもしれませんが、行為者を明示すればより自然になります。 ...broken by somebody という風にです。
お礼
>とてもいい質問です。 >このような質問をできる人は本当に頭がいい人です。すばらしい。 とんでもありません! 全く理解できなかったので、まだまだ勉強が足りていない証拠です。 「時点」だけにとどまらず、whileを使った表現まで ご提示いただきありがとうございます。 実は、「じゃあ一部始終を見る場合はどうするんだろう?」と考えていたところだったので、 大変助かりました。 今度ネイティブに会うので、ちょっとこの辺のことを解説してもらおうと思っています。 うまく伝わればいいのですが… どうもありがとうございました。
補足
ネイティブの英語教師をしている人に この件について聞いてみました。 まず、when節をつけないで I saw the kichen window broken. の文章で二通り解釈できますよね? と聞いたら、イギリス人講師、アメリカ人講師共に 「『割られた状態』の一通りしか解釈できない」といわれました。 その理由は、「割るという行動」の場合、 「私は台所の窓が割られるのを見た」という受け身の文になり、 非常に不自然で奇妙な文になるから、 通常のネイティブは「割られるという状態」で解釈するとのことでした。 この文だと「割られるという行動」で解釈するのは 文法的にはあっているが実用的には全く意味を成さない ということだと思います。 なので、普通は「割られるという行動を見た」という 文章を表現する場合は、 I saw someone break the kichen window. とするとも言っていました。 確かに動作を強調するなら、 その動作主が目的語に来るべきだなぁ、 と納得してしまいました。 では他の場合 例えばI saw a house built. はどうなのか聞こうと思ったのですが、 機会を逃して聞けませんでした。 また一ヵ月後ぐらいに会う機会があるので、 その時にでも聞いてみます。 このネイティブの方の意見に対して、納得or反対意見がある方がいらっしゃいましたら、 何なりとご意見いただけますでしょうか? 話が少しそれてしまい申し訳ありません。
- yoohoo_7
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>どうして、この文法書による 「When I came back from schoolとの関係から~」 の部分の解釈で割られている状態と判断できるのでしょうか? 「割られている状態」だと推測されますが、断定はできません。 (a)When I came back from school, I saw the kitchen window broken. の (b)the kichen window broken は、(a)にはそのようには書いてはありませんが、 (c)the kichen window was broken という意味です。目的語と目的格補語とはそのような意味上の関係にあります。 (c)は、一般的に、次の(d)、(e)の2つの意味を表します。 (d)台所の窓は割られた。 (e)台所の窓は割られていた。 どちらの意味を表すかは文脈によります。したがってまた、(b)の表す意味も、上記の通り((d)または(e))となります。 ただ、(a)のようにwhen I came back from school が付くと事情は少し異なり、(a)の場合は、次の(f)、(g)の2つの理由から、(e)の意味である可能性が高いと思われます。 (f)「帰ってきたとき」は長さのない瞬間(または、殆ど瞬間に近いたいへん短い時間)なので、その時間は、おそらくかなり長い時間がかかるであろう「割られる/割られた」という動作の全体を見るには短すぎると感じられるため。 (g)実際に、帰ってみたら窓が割れていたということは普段の日常生活でときどき起こるが、帰った丁度そのときに「窓が割られるという行為の全体(一部始終)が起きる」ということは普段の日常生活で滅多に起こらないため。 (f)、(g)から、(a)は「状態」という意味だろうと推測されます。しかし、「一部始終」という意味を表さないと断定はできません。「一部始終」という意味を表すことは充分に可能です。 実際には、(a)の文の前後の文の内容も考慮して(a)の文の意味を判断することになります。
お礼
丁寧なご回答ありがとうございます。 whenがその一時点を示す副詞ということと、 日常生活で起こりえる可能性という面からすると、 確かに「状態」である可能性が高いということは納得できます。 まさにこの本には(g)という結論を導くための手順が 抜けていたので、ちょっと戸惑っていました。 ただ、それでもやはりこの間の説明をなしに いきなり「状態だ」といわれると理解しづらいですよね。 まあ、この本は英語講師レベル向けの本なので、 間の説明はなくても理解できて普通だといわれればそれまでですが… 大変ためになりました。 どうもありがとうございました。
お礼
アスペクトという面からご解説いただきありがとうございました。 アスペクトという言葉は聞いたことはあったのですが、 あまり意味がわからないまま流していたので、 これを機にちょっと勉強してみました。 まださわりの部分ですが、少し理解できた気がします。 breakが瞬間性よりも完了性が強いのであれば、 この文章は確かに「割られた状態」の可能性が高くなりますね。 新しい知識を与えてくださりありがとうございました。