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江戸時代の大阪の武士
江戸時代、豊臣家が滅んでからの大阪城には 誰が住んでいたのだろう…?なんてふと 疑問に思いました。大名でしょうか? 江戸時代の大阪には、武士が極端に少なかった そうですが(ネットで調べたら200人足らず) 本当ですか? だとすると、大阪は封建時代にほとんど封建と いうものを意識しない、自由市場経済の中で 生きていたということになるのではないでしょうか。 東京に行くと、いつも意識するのは「身分をわきまえる」という気風です。 これは、武士が多く、身分の格差を肌で感じることが 多かった時代の気風を、今も多少ながらひきついで いるのかなあと思ったりします。 ひるがえって大阪では、身分の違いというのは 経済力の違いによって生まれていたように思います。 努力と運次第で、身分の逆転もできる。 金持ちは、金を持っているだけだから威張るな。 そんな反骨の精神を感じたりもします。 (京都に行くと、公家というものがあり、 生まれ付いての身分の違いの意識が若干残っている ような気もします) これをまとめて大胆に仮説するなら、 「江戸は身分社会だが大阪は格差社会だった」 というようなことがいえるのではないでしょうか? 直接の質問の内容は、冒頭に挙げた2点ですが、 それ以外の皆さんのご意見も幅広くうけたまわりたいと 思います。 長文おゆるしください。
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お礼
なるほど、大阪が天領であったことは聞いたことが あります。 「天領」が幕府直轄領を意味するのはわかるのですが、 具体的にどのような統治体制であったのかが なかなかイメージできないのですけれど…。 江戸城代というのは、決まった家ではなく、いろいろ な大名が代わる代わる赴任してきていたのでしょうか。 当時の大坂の様子、もっと詳しく知りたくなって きました。