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生きる意味(長文です。)

3ヶ月ほど前から、唐突に『死』ということを考えはじめました。 当然の事ながら、どんなにに偉大な人間でも、結局死にます。 死ぬと、常識的に考えれば生きていた間に見てきたきれいな光景も、 感動的な物も見れなくなるどころか、『見た』という概念すら超えてしまった『死』という世界に入ってしまう以上、 覚えてもいない、忘れたという認識すらできない、こうやって悩んでいることすら将来的にはなんの意味も成さなくなる、 と考えるようになってしまい、なんとなく『ならば人がヒトとして生きる一生の意味とは何だろう』と考えるようになってしまいました。 悲しいことに、僕の頭では、3ヶ月悩んでも答えは出ず、むしろ考えること、 見ること、触れること、聞くことなどあらゆる事に反応してこの悩みが出てしまい、 楽しいことがあっても心の底から楽しく思えなくなってしまいました。 終いには、電車の中で立っている、または座っている人を見るだけで 『何で皆生きているんだろう。いつか死んで何もかも無くなるだけなのに。』 と考えてしまい、頭がクラクラしました。 僕は自分で自分の生命を絶ちたいとは考えていません。 しかし、正直この悩みを抱えたままこの先ずっと生きていくのは辛いです。 一時的な悩みとも思えないです。 できれば新学年が始まる前にこの悩みを少しでも軽減させたいと思い、 質問させていただきました。 長文な上、下手な文章で馬鹿馬鹿しい悩みだとは思いますが、 答えて頂けると幸いです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • djmitsu
  • ベストアンサー率25% (43/170)
回答No.4

確かに死んだら終わりなのかもしれないですね。 死んだら自分には何も残らない。だからどんなにあがいても死んだ人間には何の威厳も尊厳もないのかもしれない。 でも私はこう考えています。人以外の動物を見ていると本能のままに生きている動物って沢山いますよね。そういう動物達は生きるために備わっているいわばプログラムや経験にしたがって生きているわけです。 だとすると生きるとは何か?なんて考える人間は不利のように聞こえますがそうじゃない。人は人にしかできない生き方があると思います。 自分のために尽くしてくれる家族、恋人それを探すために生き、また自分が一生涯愛することのできるパートナーや友人を探すために生きる。人間ほど傍を思いやる生き物はいませんし人間ほど他人を愛する生き物もいないでしょう。これは時に辛いことかもしれない。ですが幸せなことです。 そして、そのような仲間を持った人が死んだらどうでしょう。何が残りますか?確かに私も最初に言ったとおり自分には何も残らないのかもしれない。死んだら意識も何もかもなくなってしまうから。 しかし、自分には何も残らなくても自分が愛した人。愛された人。少なくともその人たちには「自分」という存在が残っているのではないでしょうか? いつか出会う本当に大切な人その人達に出会うための人生であり、人生を全うするのが今自分にできることではないかと思っています。 自分が死んだとき、果たして何人の人が悲しんでくれるのかな・・・沢山の人に悲しんでほしい。そして自分も沢山の人との別れを悲しめる人間になりたい。そう思います。

production
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 とても感動しました! 僕も、将来は沢山の人を思いやることの出来るようになり、別れを悲しめるようになりたいです。

その他の回答 (8)

  • G131
  • ベストアンサー率26% (195/746)
回答No.9

思想としての死と実体としての死を分けて考えないと駄目です。 あなたが言っていることは、生きている間は思想として、死んだときは実体として捉えているから訳がわかんなくなっているんです。 思想的にも実体的にも究極的に物事を考えたら全てが「無」ですよ。宇宙が消滅したら何が残りますか(いずれ滅びるらしい)。 まあこれは極端ですが全てが無に帰すという意味では「存在していた」ことは確かに無意味です。 でも、ここで勘違いしちゃいけないのは「存在していた」ことであって「存在している」ことじゃないです。 あなたの言葉で言えば「生きている意味」ではなく「生きていた意味」が最終的に無意味なんです。 つまりね「生きていた」=「実体」、「生きている」=「思想」なんです。 だから、親孝行したい、と思ってるだけでも「生きている意味」があるんです。

production
質問者

お礼

>生きている間は思想として、死んだときは実体として捉えているから訳がわかんなくなっているんです 確かにそう考えてしまっていたかもしれないです。 考えているうちに、頭がこんがらがってしまいましたが、悩みが楽になったような気がします。 回答ありがとうございました。

  • japo
  • ベストアンサー率33% (13/39)
回答No.8

いったい、死後の世界というのは一切の無なのでしょうか? 死んだら全部おしまい、という考え方に根拠はありますか?

production
質問者

お礼

根拠はないのですが、死を想像した時になにも想像できないので、現状ではなにも存在しない、と考えてしまうんです。 回答ありがとうございました。

noname#80187
noname#80187
回答No.7

>何で皆生きているんだろう。いつか死んで何もかも無くなるだけなのに。 それであっても生きていることが楽しいからです。楽しいというより素晴らしい、素晴らしいというより生きることは悪くないという感じでしょうか、でも、一言で答えるなら素晴らしいです。 とまあ、僕もつい最近まで、そんなことを考えていましたけどね。 僕は、とある宗教に入り、人の感覚はこれほどまでに変るものなのか、人の生きる意識や姿勢というものはこれほどまで変るものなのかと思いました。詳しく知りたければ僕の回答履歴を見てください。 正直、この宗教に入り、入っても修行をせずにいたころ、いくら悩んでも答えはでませんでした。答えを見つけるために本を読んでも理解はできます。ですが、実感として捉えることはできませんでした。「実感」、つまり、それが事実であると思えることです。事実を思えたらな、意識が変ります。意識が変りますから行動も少しづつ変ります。そうして生きることが楽しく、良いものだなと思えるようになりました。 それでも人が生きる意味はなんなんでしょうかね。僕も時々、考えます。ですが、今は今入っている宗教の修行をするのみだと思ってます。それが今の目標です。 日本には宗教の自由がありますから、絶対入りなよなんて言いません。それにこの宗教は入ったからと言って簡単にやっていけるようなものではありません。 宗教とかの話は忘れて、生きる意味とは、感じることができるかどうかだと僕は思っています。頭で理解し、感じることができないのに、そうは間違いないと思うのなら、それは自分自身を洗脳しているだけです。  ですが、私達普通の人はそれを感じることなんてできません。できないけど知りたい。と思いつつ生きていくのではないしょうか。答えになっていませんね。  お互いそれについて悩みながらも生きてきましょう。productionさんが悩みことが苦悩ではなくなりますように。

production
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >生きる意味とは、感じることができるかどうかだと僕は思っています なるほど、と思いました。僕も感じられるようにがんばります。 >答えになっていませんね。 そんなことないです。すごく参考になりました。

  • THEBOOK
  • ベストアンサー率19% (10/51)
回答No.6

 どうせ、死んじゃうのに!  そりゃ、あんまりですよ。いっせーの、せっ! って、みんないっしょにいなくなっちゃうわけじゃないんですから、じぶんがやってきたことは、死んだあとも、跡が残りますって。誰かが見ててくれればね。  ひとりで生きるっていうのがいちばんむずかしくて、つらいことだと思います。誰かのために生きれば、死ぬときになっても、満足できていると思います。  あいつはどうせ死んじゃうんだから、世話なんかしてやんなくたっていいんだよ、なんて思えますか? そんなこといったら、親からもらってるごはんだって、何の意味もないのですよ。  それでもぼくたちはどうせ死んじまう人の世話をするし、じぶんもごはんを食べます。  死んでしまうと何もできないと言うんなら、それこそ生きてるときしかできないことを、生きてるうちにやんなくちゃ、ですよ。

production
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 > 死んでしまうと何もできないと言うんなら、それこそ生きてるときしかできないことを、生きてるうちにやんなくちゃ、ですよ。 確かにそうですね。がんばってみます。

  • patofu
  • ベストアンサー率23% (137/591)
回答No.5

この手の質問にはいろいろ回答が出てくるでしょう。 ・なぜ生きるのかを探すために生きている、とか ・きっと誰かに何かを残すために生きている、とか ・生まれてきたのだからもっと自分のために生きるべき、とか ・死んで何もかもなくなるかも知れないけれど生きている間はいろいろなものが必要なんだ、とか 一度、何もしなかったらいいでしょう。 学校も一年くらい休んでもどうということはありません。 ひがなボーっとするのもいいでしょう。 お腹もすくでしょうが、どうせ食べてもいつかはお腹がすくので食べなくてもいいでしょう。 どうせ朝起きても、夜になったら眠くなるので起きなくてもいいでしょう。 それをした後でも、生きていることを辞めなければ、それが生きる意味です。 この先は、書いてしまったら興がなさすぎるというものなので書きません。 人の一生ということについては書いておきます。 人の一生はその人が生きてきた全てではありません。その中の一部分でしか語られません。 その一部とは死後に周りの人間が決めてくれます。あなたは気にしなくてもいいでしょう。 気にしたいのなら、裏表なく、他人の期待通り、または想像通りに生きましょう。 自分の死後に、自分の一生を飾り立てるために日々をすごす、これも一つの生きる意味ですが。

production
質問者

お礼

>死後に周りの人間が決めてくれます。あなたは気にしなくてもいいでしょう。 なるほど、少し気が楽になりました。 ありがとうございました。

  • ipa222
  • ベストアンサー率20% (903/4455)
回答No.3

人間というものにとらわれた発想だからでしょう。 犬や鳥や昆虫や草花を見てみればわかりますよ。 悩むと言うことそのものが無意味なのですから。 生と死を分けて考えることも無意味です。 地球は、もともと生も死もない世界から、進化の過程で、男女や生死を獲得しました。 男女があったほうが、多様な子供(遺伝子)が生まれるし、生死があったほうが、後に遺伝子を残すことができるのです。 死とは、地球の生命体が、進化の過程で獲得した偉大なる発明ともいえるものです。 直立歩行や、肺の獲得などとは比べものにならないくらい、根源的で画期的なものです。 死を獲得した我々生命は、限られた時間で死ぬことで、子孫に地球を譲ることができます。 生死のことで悩むなら、早く彼女をつくって精子を発射し、子供をつくってください。二人以上。子供が成人したら、今度は孫を育てるために生きてください。 孫が手がかからなくなったら、そのときは寿命が近づいたと思ってください。

production
質問者

お礼

なるほど。 生と死は分けて考えるべきものではないのですね。 ありがとうございました。

  • akamanbo
  • ベストアンサー率17% (462/2680)
回答No.2

>生きる意味 別に意味とかないので、答えなど出るわけがありません。 そのように考える「意識」自体、生命活動のオマケみたいなものでしょう。 もともと、意味があるとかないとか以前の大前提として生命活動があるわけですから、後付けでそこに「意味」をこじつけようとすることに無理があります。ヒマつぶしにはなるかもしれませんが。

production
質問者

お礼

>後付けでそこに「意味」をこじつけようとすることに無理があります。 確かにそうかもしれないですけど、何かしら意味が欲しいと思ってしまうんです… 参考になりました。ありがとうございます。

  • junra
  • ベストアンサー率19% (569/2863)
回答No.1

学生さんですか、哲学です、悩んで悩んでその中から光を見出す難しいことです。一度仏教の本を読んでみてはいかがですか? 坊主になれということでは無いですが、仏教の経典には今悩んでることの答えはあります、最初は難しいですけど読んでいくうちにあなたの中に真理や答えが必然と出てくると思います。 悟りを開くことは難しいですが何かしらのヒントは隠れてます。 ガンバって大いに悩んでください、それが後の自分の形成に役立ちます。

production
質問者

お礼

仏教の本ですか。今度読んでみようと思います。 ありがとうございました。

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