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仏壇の処理

無宗教の私がこの度、家を建て替えます。 新築に仏間も作る気がありません。 仏壇や位牌など(浄土真宗・西本願寺)の処理に困っています。 現在の家族は母(創価学会)妻と私(無宗教)娘3人(多分跡継ぎはしない)です。 私たちが死んだ後、娘達に仏壇などの負担を無くしたく私達の代で処分したく思います。 祖母や祖父が朝晩、お勤めをしている姿を覚えている為、処分するのに 抵抗はあるのも事実です。 お寺さんに相談したのですが、仏壇や位牌(過去帳)を預かれないと 言われました。 私の代わりに祖先を供養して貰う(何回忌など)事は出来ないのでしょうか? 知人から「えいたい経」と言う話は聞きましたが、○○家の祖先全体を 見てもらう事は出来ないのですか? 何か良いご意見があればお願いします。

みんなの回答

  • sugietu
  • ベストアンサー率36% (34/92)
回答No.7

 形だけでも、どこかのお寺の檀家になれば「永代供養」はできるはずです。  あとは各お寺との交渉次第ではないでしょうか? 「仏壇や位牌(過去帳)」については、お寺は預かることができなというのは、その通りだと思います。  

  • sugietu
  • ベストアンサー率36% (34/92)
回答No.6

できないこともないと思います。  ただ、創価学会は日蓮正宗から破門されましたので、創価学会という宗教団体に席を置いたままでは、無理ですね。  創価学会を脱会し、他の仏教のお寺にお願いすれば、不可能ではないはずです。「永代供養」です。  しかし、創価学会を脱会させるのは、ご存知かと思いますが、簡単にできることではありません。

qqqbadboyqqq
質問者

お礼

創価学会の脱会云々は関係ないと思います。 脱会はそんな難しくないはずです。 有難う御座いました。

  • sgm
  • ベストアンサー率60% (375/618)
回答No.5

ANo.2の者です。 老婆心ながら、もう少しだけ書き込みます。 >故人が信心していたお寺さん(宗教)で月参りや年忌法要を任せるのは >出来ないと言うことですね。 >やはり、仏教の考えは私には理解出来ないです。 ‥‥との事ですが、これは別に仏教だから云々という話ではなく、おそらく日本国中、どの宗教、宗派でも同じではないでしょうか。 確かに、例えばフランスのパリを中心とした地域などでは、故人の葬儀が終わり埋葬が済むと、以後、墓参をしたり追悼の儀式をするという事は全くありません。そういう例はあります。これはパリがかつての都市計画の中で、市内に分散していた墓地を地下の一箇所に集めてしまったことに発端があるのですが、一方では非常に都市化がすすみ個人主義が過度に進みすぎた結果でもあります。宗教とはひとつの役割として、歴史風土を背景とした地域や社会の共同体に参加するための大切なきっかけですが、都市化が進むと共同体そのものが崩壊して、個人個人がバラバラに生きることになってしまいます。そういう状況では、確かに宗教は無力になりますし、儀礼も空虚なものとして感じられるでしょう。 しかし、だからといって個人が、過去の共同体参加の名残である先祖祭祀を、他の誰かに丸投げするという考え方は、それこそが全くの形式主義、ご都合主義の考え方です。 信じていない者が、信じている者に向って「私は、あなた達のやっている事に何の価値も感じないが、先祖は信じていたらしいので、あなた達の方で適当に面倒みてくれ」というのは、すこし変ではないでしょうか。 >外国の教会で結婚式を挙げる日本人を非難されていますよね。 >異教徒は当然ですが、無宗教でも結婚式を出来ない教会も多いです。 >私は、この考え方はよく理解出来ます。 このように書かれているのに、一方で仏壇やご位牌の引き取りを拒否したお寺さんの考え方が分からないというのは、矛盾ではないですか? 無宗教で先祖祭祀を続ける気は無いが、これまでの先祖の祭祀はお寺の方で適当にやり続けて欲しいという考え方と、異教徒や無宗教なのにキリスト教の教会で結婚式をしたいという考え方は、全く同じ精神構造ではないでしょうか。

qqqbadboyqqq
質問者

お礼

>信じていない者が、信じている者に向って「私は、あなた達のやっている事に何の価値も感じないが、先祖は信じていたらしいので、あなた達の方で適当に面倒みてくれ」というのは、すこし変ではないでしょうか。 確かに変ですね。 特に「適当に面倒みてくれ」ですが・・・。 そんな風に理解されるのですね。何でも。 故人を浄土真宗に導いた責任はもう無いのでしょうか? 逆に私の方が丸投げされて要る様な気がします。 私が、無宗教や他の宗教の信者になった場合、故人が信心していた宗教で 祖先供養出来ないのは不思議です。 祖先の考えを無視する様に教えはあるのですか? 残された遺族の意思より故人の意思を大切にしたいのです。 それが受け入れられない方が、ご都合主義に思えます。 外国の教会の話にしても勘違いですよ。よく意味を感じてください。 この話を私に置き換えると無宗教の私が故人の法要はダメだと言う事です。 教会(私の場合お寺)に入り儀式をする事はダメだと言う事です。 そして、何でもすぐ「適当に」と書かれますが、万が一「適当に」と 頼んだら適当にするのですか? 適当に頼むくらいなら何も頼みません。 そう言う「適当に」と言葉が出ること事態、信じれません。 有難う御座いました。

  • sgm
  • ベストアンサー率60% (375/618)
回答No.4

ANo.2の者です。 >詳しくは解らないのですが、月参りとか何回忌とかありますよね。 >祖先は浄土真宗を信心していた訳ですからそう言う供養はしてあげたい >(しなければいけない)気持ちがあります。 >私がするとただ単なる形式で終わるので、お寺さんで出来るなら >お願いしたいと思っているのですが、ダメなのでしょうか? どんな宗教でも先祖祭祀の儀礼を持っていますが、それらの儀礼はどのような形であれ、故人、施主、聖職者の三者が一体になって行なうものがほとんどです。”故人”はご先祖さま、”施主”は現在の子孫、”聖職者”が僧侶になります。この三者の誰かが欠けても宗教的な先祖祭祀は成り立ちません。 もし無宗教ではあるけれども先祖への感謝の気持ちはあり、形式的な宗教儀礼に違和感があるということであれば、宗教的な方法ではなく、qqqbadboyqqqさんの納得のいく方法で個人的にお祀りすればいいのではないですか。念仏や題目を唱えなくてもご先祖さまの前で心から手をあわせることができればそれでいいのではないでしょうか。ご先祖さまの宗旨にこだわりがあるのであれば、qqqbadboyqqqさん自身が信仰していなくても念仏の一回くらいを唱えても別に問題ではありません。 「単なる形式で終わる」ことに何か非常にこだわりがあるようですが、そんな「単なる形式」すら実行できないご自身を省みられたことはありませんか? 私の知る限り先祖祭祀は、ひとつの家をかまえて社会的に自立した”大人”であれば誰もが等しく負わなければならない義務です。誰かに肩代わりしてもらおうという発想は、どこか大事な柱が一本抜けているように思えてなりません。

qqqbadboyqqq
質問者

お礼

考え方が違うので仕方ないです。 外国の教会で結婚式を挙げる日本人を非難されていますよね。 異教徒は当然ですが、無宗教でも結婚式を出来ない教会も多いです。 私は、この考え方はよく理解出来ます。 >「単なる形式で終わる」ことに何か非常にこだわりがあるようですが 昨年、父の7回忌をしたり、長年親戚の法事などを参加しての感想が 「単なる形式」と感じたのです。 いろいろと詳しくお答え頂き有難う御座いました。

  • teinen
  • ベストアンサー率38% (824/2140)
回答No.3

 無宗教であるならば,仏壇はゴミとして処分して差し支えない筈です。仏罰なんて信じない無宗教なんでしょ。気になるようでしたら,仏壇をお炊き上げしてくれるお寺を探されてはいかがでしょう。京都なら清涼寺が仏壇のお炊き上げをしています。  無宗教なのに,なぜ「供養」されるのですか?  厳密に言えば,浄土真宗に先祖供養はありませんよ。諸仏に供養するということはありますが。  お亡くなりになられた方は,阿弥陀様がおられる極楽浄土に往生され,阿弥陀様から教えを受けておられますから,追善供養など必要ないのです。  けれども,浄土真宗でも,月参りや年忌法要やいろいろな法要をします。これは,仏様と今生きている人々との縁を結ぶ聞法の機会としているからです。過去帳を預かれないとお寺さんがおっしゃるのも最もなことです。  月参りや年忌法要などをお寺さんに任せっきりで,子孫が参詣しないなんてことは,ただ形を整えていることに過ぎないのです。まあ,無宗教であれば,そのような法要すら不要だと思うのですが。  それから,「永代供養」と「永代経」は別物ですよ。永代経は,今生きている人々のためにある法要(聞法の機会)です。先祖供養のためのものではありません。  

qqqbadboyqqq
質問者

お礼

>年忌法要などをお寺さんに任せっきりで,子孫が参詣しないなんてことは,ただ形を整えていることに過ぎないのです。 やはり、そう思われるのですね。 亡くなってある年数が経ったから何回忌をやり、意味の解らないお経を 唱えているだけの方が、形式だけのように思えてならないのです。 私は私で、命日にはお墓に行って感謝の気持ちは伝えています。 故人が信心していたお寺さん(宗教)で月参りや年忌法要を任せるのは出来ないと言うことですね。 やはり、仏教の考えは私には理解出来ないです。 有難う御座いました。

  • sgm
  • ベストアンサー率60% (375/618)
回答No.2

曹洞宗の僧侶です。 無宗教であるといわれるのであれば、特に宗教的な儀礼など必要ないのではないですか。一般には仏壇を処分する時には撥遣という儀式をして”魂抜き”をしますが、無宗教で先祖祭祀を続けるつもりがない方には無意味な儀式でしょう。 仏壇が邪魔ならば、そのまま粗大ゴミで引き取ってもらうか、小さく破砕して可燃ゴミにでも出せばいいのです。過去帳も同様に細かく切り刻んでゴミに出せばいいです。

qqqbadboyqqq
質問者

補足

仏壇の処理について大体解りました。有難う御座います。 詳しくは解らないのですが、月参りとか何回忌とかありますよね。 祖先は浄土真宗を信心していた訳ですからそう言う供養はしてあげたい (しなければいけない)気持ちがあります。 でも、#1さんへの返答にも書きましたが、 私がするとただ単なる形式で終わるので、お寺さんで出来るなら お願いしたいと思っているのですが、ダメなのでしょうか? よろしくお願いします。

  • yosimako
  • ベストアンサー率19% (81/416)
回答No.1

お仏壇の魂を抜く、というのをお寺の住職さんにしてもらったことがあります。そのあとの仏壇は、ただの箱となります。そのときは焼却しました。しかし、仏壇はともかく、先祖を供養する心は失ってはならないと思います。先祖あっての自分、先祖あっての孫子・・・ですから。また、供養するのはお寺ではなく、残された者、今命を受け継いで生きている者、或いはこれから命を受け継いでいく者が行うのではないでしょうか。代わりの者などいないと思います。

qqqbadboyqqq
質問者

お礼

>供養するのはお寺ではなく、残された者、代わりの者などいないと思います。 その考えは、理解出来ますしお寺さんにも同様な事は言われました。 でも、私の考えは故人が信心していた宗教で供養するのが一番と思います。 祖父達が生前、浄土真宗を信じて来たのに何も解らない私より住職にお経をあげる方が良いと考えています。 (お経の意味や浄土真宗を良く知った人が) だから母が亡くなったら創価学会でお願いすると思います。 祖先に対する心は持っているつもりです。 有難う御座いました。

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