• 締切済み

歴史をさかのぼって...「あっ!」とおもいつく陰謀って、どんなのがありましたか?

歴史をさかのぼって...「あっ!」とおもいつく陰謀って、どんなのがありました? タイトル通り「歴史をさかのぼって...「あっ!」とおもいつく陰謀って、どんなのがありましたか?」 わたし歴史には、疎くてよく知りません。むかし、こんなことがあったんだよ。と、なにかご存知なお話を聞かせて頂けませんでしょうか?なんとなく覚えている話は、蘇我馬子が宮廷内で暗殺されたとか...源実朝が鶴岡八幡宮で暗殺されたとか... 暗殺者側、暗殺された側、どちらの視点からでもかまいませんから少しお話を聞かせていただければありがたいです。よろしくお願いします。

  • 歴史
  • 回答数6
  • ありがとう数15

みんなの回答

noname#6897
noname#6897
回答No.6

う~ん。 そうですね。 やっぱり孝明天皇暗殺事件ですね。 この事件は本当に陰謀なので、歴史の本には一切出てきていないが、「天皇破壊史」という本に載っています。 殺した黒幕は岩倉具視と伊藤博文です。 なぜ殺したか。それは自分たちの動きと反対の動きをしていたから。その黒幕の黒幕はフルベッキと長崎グラバー邸のグラバーです。

回答No.5

はじめまして、自分の知っている話を少しだけご紹介させていただきます。 まず、歴史上有名なもので思いつくのは、明治初期の「征韓論」問題だと思い ます。あれが、岩倉具視らの下工作によって、可決から否決に急転したこと によって、明治維新の原動力となった西郷や江藤らを下野させ、その後の相 次ぐ士族の反乱の原因の一つになりました。これは、調べてみると、結構お もしろい事件だと思います。 暗殺のような陰謀をもっと知りたいのなら、戦国時代の「松永久秀」、「宇喜多 直家」の二人を調べると良いと思います。「松永久秀」は、名前は聞いたことが あると思います。織田信長に「人には出来ない、三つの悪行を成した者」と、 言われた人物です。三つの悪行とは、「主家殺し」、「将軍殺し」、「大仏焼き討 ち」です。この人については、たくさん書籍が出ていると思ので、簡単に調べ ることが出来ると思います。 次に「宇喜多直家」ですが、この人は、備後(備前、備中だったかも知れません) の戦国大名です。彼の家は、元々はある大名家に仕えていたのですが、祖父が 家臣同士の権力争いに巻き込まれて暗殺されます。そこで一旦、野に下るので すが、再びその大名家に仕官します。最初は本当に低い役目でしたが、徐々に 頭角をあらわし、力をつけていきます。そして、祖父の仇を討つ、ここまでは 人情話のようでもありますが、彼はここから、豹変します。権勢を高めるため に暗殺を繰り返すようになるのです。そして、やがては主家を追い落とし、自 らが大名になるのです。簡単に説明しましたが、結構ダーティです。色々と悪 さをする人はいますが、彼の陰謀には凄まじさを感じました。 少し、マイナーな話になってしまいましたが、参考にして頂ければ幸いです。

回答No.4

陰謀とはちょっとずれるかもしれませんが、 最近映画で話題になったパールハーバー(真珠湾攻撃)も当てはまるかもしれませんよ。 真珠湾攻撃は、旧日本軍が一方的に攻撃を仕掛けたことになっていますが(映画でもそう描かれています)、本当の攻撃目標は真珠湾に停泊中のアメリカの空母達だったのです。 しかし、攻撃を行った日には空母は一隻も真珠湾にいなかった… 最近テレビや書籍でいろいろ目にする話題です。なぜ?空母だけ真珠湾にいなかったのか?それも一隻残らず。 私の知っている説は、 真珠湾攻撃を事前に察知した米が事前に空母だけ逃がしてしまったとゆう説です。 アメリカはこの時点ですでに情報戦では勝っていたわけです。 なぜ空母だけ?っという疑問が残りますが、政治的、戦略的な判断があったのでしょう。真珠湾攻撃のおかげで、アメリカは堂々と日本を潰しにかかれましたし、国民の感情もコントロールできたわけです。 さいきんアメリカでテロがありましたよね~ あれを見て、日本が戦争に踏み込んでいった理由の一端を感じ取れたような気がします。いまアラブ諸国は当時の日本と同じ気持ちになっているのではないでしょうか?これも一種のアメリカによる陰謀でしょう。

littlekiss
質問者

お礼

yoshiki_reoさん~♪お礼が遅くなりごめんなさい。 yoshiki_reoさん~♪のお話をうかがってから、「東京裁判」のことがわたしの中で引っかかります。つらつら、あれやこれやと読みあさっているうちに「戦争」・「法」・「社会」絡み合う人と人のこころの動きが、目に見えない力となり世の中を動かしています。陰謀なのか策略なのか定かではないけれど、「正義」という名のもとに覆い隠された何かが、たとえて言うなら「光の照らすその背後に影がある。」影が何を意味するのか?光のあたらぬ影に何が潜んでいるのか、見過ごされがちな影の部分にいまとても関心が湧きます。 おもしろい読み物をひとつ参考URLを載せておきます。 また、なにかの機会にお話できること楽しみにしていますねぇ~♪ 回答を寄せて頂きありがとうございました。 http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/seiron.html

  • cse_ri
  • ベストアンサー率29% (74/253)
回答No.3

少しずつですみませんが、続いて[源平争乱編]に行きます。 (奈良・平安時代はあまり詳しくないのでパス) 1.後白河法王 vs 源頼朝  暗殺劇ではありませんが、この二人のバトルもなかなか激しく、調べて  みると結構面白い内容です。  武力を持たない後白河法王は、武家の勢力を互いに競わせ、そのバランス  の中で自分の権勢を保つ政治手法を取ります。  最初は平家を追い出した木曽義仲を重用しますが、木曽義仲の乱暴が度を  越すようになると、源頼朝に接近します。  頼朝は頼朝でこの機会に東国での自分の権益を法王に認めさせます。  その上で軍を出して義仲を討伐し、さらに西進して平家を討伐します。  言うまでも無くこの戦いで主役となったのは源義経ですが、後白河法王は  強大になった頼朝を牽制するため、義経に接近し源氏勢力の分断を計ります。  木曽義仲といい源義経といい、戦争は得意でも政略面では後白河法皇に  いいように操られてしまいます。しかし頼朝だけは操られず、鎌倉に腰を  すえたまま法王と虚々実々の駆け引きを繰り広げます。  義経は頼朝と最後まで和解できず、法王の策略どうりに頼朝に反旗を翻します。  しかし時代の流れは頼朝と共にあり、武士勢力の支持を義経は得ることが  できませんでした。義経は奥州への逃げざるをえなくなり、結局は逃亡先  の奥州で非業の死を遂げてしまいます。  頼朝は頼朝で、義経の背後で糸を引いていた後白河法王を見逃しませんで  した。これを機会に、義経追討を名目として諸国に守護・地頭の配置を  朝廷に認めさせます。こうした駆け引きの中で、後の鎌倉幕府の政治体制  が少しずつ作られていったのです。

littlekiss
質問者

お礼

cse_riさん~♪お手間かけさせてますね。あんがとね―☆ 義経といえば思い浮かぶのが弁慶。弁慶といえば...牛若丸。牛若丸といえば... 八双跳び...八双跳びといえば...舞の海。あひゃぁ-☆(*^^*)>゛゛゛ 冗談はさておき、古代編に引き続きご回答ありがとうございます。 義経...昔話に出てくる牛若丸のイメ―ジが大きいせいか、非業の死を遂げていたときくとなにやら寂しくなりますね。イメ-ジとは別に義経とはいかなる人物であったのかをちがう側面からも見てみたくなりました。義経の胸中を書き綴った書物など何かご存知ないですか?ご存知でしたら、お手数ですがお時間があるときにでも教えて頂ければ嬉しいです。よろしくお願いします。 お時間があれば続編を聞きたいなぁ~♪~鎌倉~戦国時代編~(*^^*)

  • cse_ri
  • ベストアンサー率29% (74/253)
回答No.2

井沢元彦さんの歴史関係の本を読むと、こういう「陰謀話」がよくあるのですが。 とりあえず思いつくところを幾つか挙げてみます。 ・蘇我馬子の天皇暗殺事件  天皇を暗殺した黒幕が歴史の表に出ているのは、彼一人です ・大化の改新。名前はいい響きですが、実質は中臣鎌足と中大兄皇子による  蘇我氏打倒の暗殺&クーデターです。 ・壬申の乱。大海皇子(後の天武天皇)が起こしたクーデターです。  勝者の天武天皇によって歴史が記された(日本書紀のことです)のではっきり  と書かれていませんが、この時にも天皇殺し(天武天皇からみて甥になる)が  あった様子です。  井沢元彦氏によると、そもそも大海皇子が天智天皇の弟であるという日本書紀  の記述もあやしいのではないかと言っています。 とりあえず、古代編はこんなところで。

littlekiss
質問者

お礼

ごめんなさい、お礼を申し上げるのが遅くなりました。ご回答ありがとうございます。「古代編」~から時代時代でみていけば、興味深い出来事が起きていたりするんですね。そのときの時勢であるものがないようにないものがあるように...視点をかえてみるとなにやら...です。 お時間があれば、古代編の続編も聞かせていただきたいものです。よろしく! ありがとうございました。

  • odd-art
  • ベストアンサー率9% (31/325)
回答No.1

 日蓮大聖人は、御母・梅菊(妙蓮)の病篤しとの報せに、文永元年の秋、安房の国へ帰郷された。  大聖人が生家に帰り着かれたとき、御母はまさに臨終を迎えられていたが、大聖人が、一念を込めて、力強く題目を唱えはじめられたところ、死の淵にあった御母は息を吹き返したのである。  大聖人は、その後、なお故郷にとどまり、安房方面一帯の布教に専心せられたが、この地では、大聖人立宗の頃より憎悪の念を懐いてきた地頭・東条景信が、虎視眈々と、大聖人殺害の機会を狙っていたのである。  文永元年(1264年)十一月十一日、大聖人は、信者であった近隣の天津の領主・工藤吉隆の請いに応じ、十人ほどの御供を連れ、布教に出向かれていた先の花房を発って、工藤吉隆の邸へと向かわれた。  一行が小松原にさしかかった時、突如、東条景信が数百人の兵を率いて、大聖人を襲撃してきた。大聖人の一行のうち応戦しうる者はわずか三、四人という状態で、御弟子の鏡忍房は討ち死にし、駆けつけた工藤吉隆も、必死の防戦の末、深手を負って間もなく死去した。また大聖人自身も、東条景信が切りつけた刀によって額に傷を負われ、左手を骨折せられたのである。  これを小松原の法難という。  仏法上の大罪である五逆罪のひとつに「出仏身血(仏の身より血を出だす)」という罪があるが、このとき大聖人の御尊体を傷つけた東条景信は、その後、日ならずして狂死してしまった。

littlekiss
質問者

お礼

お礼を申し上げるのが遅くなってごめんなさい。 連休で旅行にでかけてました。先ほど車で家に帰り着きました。ご回答ありがとうございました。 日蓮大聖人のお話は、初めて聞きました。そうなんだ、そんなことがあったのかと興味わきました。自分なりに、聞かせていただいたお話を手がかりに「東条景信」を取り囲む時代背景なりを観ていこうかと思いました。ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 鎌倉・江戸時代の出来事の執着から脱出する方法があれば教えてください。

    鎌倉時代の3代将軍源実朝と、江戸時代初期の豊臣秀吉の跡継ぎの豊臣秀頼の二人の事が気の毒に思えて、頭にこびりついています。 鎌倉時代:3代将軍源実朝が暗殺された。 江戸時代:大阪城の豊臣秀頼が徳川家康に攻められ殺された。 昔の戦乱では多くの人々が亡くなっているので、 殺された源実朝と豊臣秀頼の二人に対してだけ気の毒に考えるのは、 かたよっていると思うのですが、 殺されたこの二人が気の毒に思えて、 ついつい自分がこの二人の立場だったらどうするか、 二人になりきったつもりで殺されないようにする対処方法を考えてしまいます。 頭にこびりついている時間帯は、長年にわたる勉強や仕事で疲れている時期に、休憩等でふと気が抜けた時です。 勉強・仕事が順調に進んでいるときは、気が抜けてもこの二人のことがほとんど気になりません。 最初に頭にこびりつき始めたのは、高校受験が終わって気が抜けたものの高校の新しい勉強になかなかついていけずに疲れていた高校1年生の時期でした。 3代将軍源実朝については、この暗殺に母親である北条政子もかかわっていたと描いている小説を書店で立ち読みしたことがあります。あくまでも「小説」なので真実かどうかは全くわかりません。 ですが、もともとこの二人のことが頭にこびりついていたので、余計に気の毒に思え頭から離れなくなりました。 仕事・勉強時間中には、取り組むべき事柄に集中できています。 仕事でミスをするくらい悪影響を及ぼしているわけではありません。 ですが、もう10年間以上、疲れて気が抜けた時には頭にこびりつきます。 この執着から脱出する方法があれば教えてください。 自分と無関係の事柄について執着してしまう癖を解説している本があればそちらの紹介もお願いします。

  • やっぱ陰謀でしょ。

    私しは100%陰謀論者の者です。 【質問1】 インターネットの普及がなかったらば今頃は普通にTVニューズからの情報を鵜呑みして 気楽に(おめでたく)生活をおくっていたであろうと思います。 真実に気づかせてくれたインターネットという仕組みに感謝いたします。 さて、この掲示板でも9.11陰謀説について多岐に渡り語られてきたと存じます。 肯定派、否定派と真っ二つに分かれているわけですが、私のような100%陰謀論者から すると、なんでこれだけ客観的な証拠がありながら陰謀論を信じないのか不思議です。 http://video.google.com/videoplay?docid=3031125939592548381# 善悪はどうであれ、動機は明白である。 単純にアメリカという国(駒)を使って戦争させた。そういう勢力が現実にあるということ。 (ここまでは普通のことです、普通に歴史とはそういうことですので) はい。でその勢力が何考えているのかがイマイチわからないので誰か教えてください。 つまり世界を意図的に混乱させます→アメリカ経済崩壊させます→第三次大戦起きます→その他パニック連発 →もう宗教とか国境とかあるから戦争になるんちゃいますかー?ってなります→じゃ世界統一政府を造りましょ! →はいできましたーって近未来なるそうなのです。 こうして世界は一部の支配者と多くの被支配者とに永遠にわかれ、悲しくもそれなりに平和になったとさ。 (これをユダヤ共産主義構想という・・・) 闇の勢力の真の目的とは何でしょうか? ちなみに視点を変えると、地球をひとつにまとめる事で、来るべき外勢力から地球侵略を守る。と大儀に置き換えることも 可能ですね。痛みを伴いすぎる改革ですけどね。 【質問2】 皆さんも2012アセンション問題については一度は何らかの形で触れられていると存じます。 そうです、あのフォトンベルトです。次元上昇です、弥勒の世、三千世界、曙です。 こいつは厄介です。なぜなら霊とか宇宙意識とかUFOがじゃんじゃん登場するからです。 いろいろ書籍やHPやらほんと沢山あって、みんな好き勝手事を(無責任なことを)書きまくっています。 問題なのは表現の違いはあるとしても、共通して皆同じことを言っている事です。 つまり2012あたりから地球は大変な事になっちゃうよって事。(抽象度高) ヨハネの黙示録しかり、大本教の人もしかり、時間を越えたペテン行為だと考えたとしても、なぜそこまでする 必要があるの?つかれません?とかって思います。 この大問題について誰かまとめてわかり易く一本の筋の通った整合性の取れた話として教えていただけませんか? 以上50コメントくらいください。

  • 源実朝は自ら唐船を建造しなければならなかったのか?

    『吾妻鏡』には、源実朝が唐船を建造して渡宋を計画したものの失敗に終わった有名な話が出ていますが、これ以前の日本に当時の中国から大型の商船(唐船)が六浦などに来た、あるいは日本で大型の商船(唐船)を所有していた、という歴史記述はありますでしょうか? あれば文献名、内容を教えてください。 実朝は自分で唐船を建造しないかぎり宋へ行く手段が本当に無かったのだろうか? という疑問です。

  • タイトルご存じの方、いらっしゃいませんか?

    タイトルをご存じの方、いらっしゃいませんか? うろ覚えの内容で申し訳ないのですが・・・ ・源義経(←これも違うかもしれません)が女の設定 ・男と女の体の違いも分からず、戸惑う ・弓使いや策士などの部下が増えていく ・弓使いと最後は結ばれる ・弓使いは失明 本当に申し訳ないのですが、この位しか覚えてません。 小説なのですが、タイトルがさっぱりです。 確か、カッパ・ノベルス系統の出版本だったと思います。 歴史物というよりは、ファンタジー色が強く・・・ 全部で5巻ぐらいだったと思います。 源実朝なども出てきました。 どうしてももう一度読みたいのです。 ご存じの方、宜しくお願い致します。

  • 上杉謙信の鎌倉入りと上洛

    上杉謙信は関東管領職の就任式(?)を鶴岡八幡宮で行ったようですがこれは宿敵北条氏康領のど真ん中ですね。公式行事を行うのですから堂々と入府したはず、氏康の妨害等はなかったのでしょうか。精密な地図のない当時、上杉側の主要人物が関東までの交通事情を知らしめることは戦術上大いに不利では?また上杉側は謙信が暗殺されるケースなどは考慮しなかったのでしょうか? 同様に謙信は上洛して将軍義輝に謁見していますがこの場合も隣国朝倉領を通過しているはず、同様の妨害は考えられなかったのでしょうか?

  • 鎌倉幕府創設の功労者一族の没落・衰退・隆盛理由は?

    私は日本歴史の中でも源平盛衰記の時代が特に興味深いです。 そんな中、源頼朝の挙兵から~鎌倉幕府創設~実朝暗殺以降の執権政治(5代時頼)の頃までの 主な功労者一族の中で、勢力争いや不祥事にて没落や衰退・反乱反抗・隆盛と運命を分けました。 では、何一族・どのような理由で・・・「和田・比企・安達・三浦・畠山・佐々木・大江・千葉・梶原・熊谷」家運の盛衰が起こったのでしょうか? よろしくお教えお願い申し上げます。 Q:ご存知の事例、一族のケース&理由をお教え願えませんでしょうか?

  • 外国の方に鎌倉を案内するつもりです。 助言を下さい。

    おはようございます。 お忙しい中失礼します。 2009年10月26日(月)、鎌倉を外国人に見せに行く予定です。当方鎌倉には詳しくありません。 小学校の修学旅行以来20数年振りです。 本当は10月25日(日)にしたかったのですが、会社の都合でその日は出勤となりました(涙)。 コースとしては 円覚寺-->建長寺-->(半僧坊)-->(円応寺)-->鶴岡八幡宮-->(源頼朝の墓)-->長谷寺-->高徳院 を回る予定です。 時間帯は9:30~15:00か16:00を予定しています。 正直、半僧坊は省くかもしれません・・・。円応寺、源頼朝の墓は恐らく観光すると思います。 質問1.ボランティアのガイドは雇って回るのが良いのでしょうか?それともポケットガイド持ちつつ、各寺の人にその場で尋ねて、色々聞いて回るのが良いでしょうか? 質問2.他に寄った方が良い観光スポットがあれば教えて下さい。 質問3.お昼は恐らく鶴岡八幡宮辺りだと思うので、お勧めの料理屋があれば教えて下さい。天ぷらでも鉄板焼きでも、何でも良いです。美味しければ・・・ 寿司はどうだろう?食べるとは思うけど、あまり歓迎されない気がする。”生”ですから・・・ 質問4.多分長谷寺か高徳院でお茶すると思います。で、美味しいスイーツ(ケーキとか?)の店を教えて下さい。 質問5.鎌倉国宝館等美術館が休みなのは残念です。おまけに天気も芳しくなさそうだし・・・ でも、平日だからこその楽しみ方があればご教授願います。この質問は答えるのが難しそうなので、”あれば”、でお願いします。 急に決まった話なので、あまり調べもせず書き込みをしました。 答えて頂ければ幸いです。 何卒よろしくお願いします。

  • 古代中国の歴史上の人名について

    昔、テレビか学校のアニメかよく覚えてないのですが 古代の中国の歴史のアニメを見ました。 きっと物語ではなくて歴史の実話だと思うんですが、 古代の中国に残虐な王様がいて悪魔のような人物でした 周囲の国から攻め滅ぼされたとき今までの恨みから死んだ後も頭蓋骨を杯にされたりしていました。 その残虐な王様の家臣(主人公)は他の国では 認められなかったのにこの王様に認められて 出世した人物でした。 その家臣は王様の頭蓋骨を杯にした敵国の王に 復讐するために暗殺者として命を狙います。 一度捕まるんですがその忠誠心に関心した敵国の 王が見逃してくれました。 その後もスミを飲んで声を変えたりいろんなことを して王に近づくんですが最後は捕まって殺されます。 この話について知ってる方がいらっしゃったら 主人公や王の名前や時代について教えてください。 お願いします。

  • 日本の歴史に詳しいですか?

    歴史に詳しい方、教えてください!! 何百年も昔の話になりますが、どうしてお寺って権力が弱くなったのですか? 私の考えは、 武家政治だったため、寺が武家にやられた。 お寺、というか僧侶が宗教とか作る →農民が信仰する →当時の政府(幕府?)に反発する(一揆など) →幕府(武家)が寺を攻撃 →時間の経過とともに武器も強いものになるため農民側(寺側)が勝てなくなった かなぁ??と思ったんですが、間違っていますか? 理由がわかる方、教えてください!! よろしくお願いします(>_<)

  • 聖徳天皇説。

    聖徳太子は、一度天皇に即位しているのではないでしょうか? 推古天皇の陰謀?により、息子竹田皇子を即位させようとしたが、死去。 第一候補者、聖徳太子は政界からはじかれていたが、適任者がいなかった為、急遽政界復帰。 600年からめまぐるしい独裁とも取れる政界改造を行う。また、新羅討伐隊を結成し、朝鮮半島に軍隊を派遣しようとした。(二度とも失敗に終わるが、、、) 摂政ごときが、こんなこと独断で実行できますか?何故蘇我氏は、若者の無謀ともとれる決断に黙って従っていたのか?愛人の推古帝が最高位なら、こんな若者簡単にひねりつぶせるはずなのに。 最終的に聖徳太子は天皇位を剥奪されます。天皇だった事実も闇に葬られてしまいます。 日本書紀では、太子は愛人と自殺したと書かれています。現人神が自殺なんて、あってはならないことです。当時書記を読まれた方は、太子に幻滅したでしょうね。でも、本当にそうなのかな?古代史 特有の暗殺じゃないですかね。 日本の歴史では、改革派の権力者達は、暗殺され、情けないレッテルを貼られることが多い。 太子もそのうちの一人だったのではないでしょうか? 否定、肯定、両意見 待っています。