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動物にも感情ってあるの?。

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  • ruehas
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回答No.4

こんにちは。 長い回答でたいへん申し訳ないのですが、ある程度の問題はきちんとした事実に基づいて解釈される必要があると考え、少々失礼な言い回しもあるかとは存じますが、予め、大目にご容赦下さいますようお願い申し上げます。 哺乳動物全般には人間と同じ「情動」があります。ですが、爬虫類以下の動物の脳には、少なくとも、哺乳類と同じメカニズムで情動を発生させる機能はありません。 「感情」とは、「偏桃体に発生した情動に伴う反応の身体表出が内臓感覚として大脳皮質に知覚され、認知・分類の可能になった状態」をいいます。 「偏桃体」は「大脳辺縁系」に属し、感覚情報の入力に価値判断を下すことによって「情動」を発生させる「全ての感情の出発点」です。「大脳辺縁系」は、それまでの爬虫類の脳を土台にして、哺乳類以降に発達した比較的新しい中枢です。更にその上に、一番新しい大脳皮質がのっかりました。 大脳皮質が最も発達しているのは我々人類ですが、現在では、情動を発生させるのは大脳皮質ではなく、偏桃体を中心にした大脳辺縁系であることが確かめられています。そして、哺乳類ではこの大脳辺縁系が十分に発達しています。ですから、犬や猫には我々人間と同じ「情動」がありますが、ワニにはないと思います。ワニはいつも怖い顔をしていますが、あれは生まれつきで、別に怒っているわけではありません。 あまりくどくはしたくないのですが、動物の情動は人間と違うとか、感情が大脳皮質による反応だと考えおられる方も多いようですので、簡単にご説明します。 現在では、その考え方は両方とも間違っています。 まず、情動とは、我々動物が環境の変化に対応して適切な行動を選択するためにあります。情動は、感覚器官が捉えた身体内外の情報に対し、偏桃体が価値判断を下すことによって発生します。そして、情動が発生することにより、それに伴った行動が選択されます。つまり、我々動物はこれによって感覚器官が捉えた環境の変化に応じた適切な行動を選択しているわけです。ですから、爬虫類であるワニは、ほとんどの場合、本能行動しかできません。 本能行動とは、複数の「無条件反射」が組み合わされたものです。例えば、空腹という無条件刺激と、目の前に食べ物があるという無条件刺激が同時に発生することによって節食行動が選択されます。これがどういうことかと申しますと、目の前に食べ物がなければ、ワニは節食行動を選択することができません、つまりお手上げということですね。 これに対しまして、哺乳動物には食欲という欲求が阻止されたことに対して情動が発生しますので、その情動に基づいた「情動行動」を選択することが可能になります。例えば、お腹が好いているのに目の前に食べ物がなかったならば探索行動を選択するとか、赤ちゃんであるならばお乳を欲しがって泣くといったような具合です。つまり、情動というのは、本能行動では手に追えない問題を解決するためにあります。ですから、大脳皮質の発達していない赤ちゃんでも、自分で自分の道を切り開くことができるわけです。大脳皮質と違い、大脳辺縁系は産まれた時点でほぼ使用可能な状態になっています。そして、情動を発生させるための判断基準は、生後環境における個体ごとの体験によって、成長と共に学習されてゆきます。 大脳辺縁系がなくともワニが暮らしてゆけるのは、それで生きてゆくために必要な本能行動が全て実現できるからです。我々哺乳動物は、その爬虫類の脳を基盤にして情動を司る大脳辺縁系を発達させました。つまり、情動というのは本能行動を効率よく実現するために、進化の過程で獲得された新たな機能であるということです。そして、大脳皮質も同様に、より高度な情報処理を行なうことにより、動物が生きてゆくために必要な本能行動の実現をサポートしています。 このように、我々動物は情動が発生しなければ、本能行動以外の「一切の行動」を選択することはできません。まさかとお思いになるかも知れませんが「一切」ということは、情動が発生しなければ、大脳皮質によって司られる「理性行動・計画行動」も全く実現できないということです。 長くなりますので結論を急ぎますと、本能行動以外の行動選択に判断を下すことができるのは、脳内では唯一「偏桃体」だけであり、大脳皮質が如何に高度な計画行動を要求しようとも、偏桃体がそれに対して判断を下し、情動を発生させなければ、それが実行に移されることはないということです。 我々はふだんから理性を以って情動行動を抑制しているように考えがちですが、それは単に大脳皮質の提案に対して偏桃体が賛成してくれているだけのことに過ぎません。もちろん、「情動を失うという精神疾患」では、大脳皮質による純粋に論理的な行動というもの事例があります。ですが、まずまともな社会生活は送れないそうです。 このように、情動がなければ我々は本能行動以外の行動を選択することができません。従いまして、犬や猫に情動がないということになりますと、一般に観測される事実とは大幅に矛盾することになります。そして、他の哺乳動物が情動を発生させるメカニズムは、我々人間のものと全く同じです。 情動を発生させるのは大脳辺縁系なのですが、「情動反応」を知覚し、喜怒哀楽といった感情のパターンとして認知・分類するのは大脳皮質の役割です。ですから、他の動物は発生した情動を自覚することが難しく、それを「特定の感情」として扱うことはまずできないのではないかと思います。 ここで、では犬猫には自覚ができないのだから、それは「情動」であっても「感情」ではないではないか、ということになりますが、そんなことはありません。 例えば、何処かのワンちゃんが怖い顔をして懸命に吠えているのであれば、それは「情動行動」です。そして、犬の言葉は分かりませんが、我々は「あの犬は怒っている」という判断が可能です。そこに、餌を取られたことに対して怒っているといった状況証拠が加わるならば、それはほぼ確実に「怒り」と判断して構わないと思います。 「感情」とは、「情動が認知・分類の可能な状態になったもの」をいいます。犬は自分が怒っていることを自覚してはいませんが、我々に分類が可能である以上、それは「情動反応の身体表出」、即ち「感情」と考えて良いわけですね。 「情動行動」というのは、基本的には「無意識行動」です。ですが、情動の「知覚」「認知」「学習」といった部分には大脳皮質が関わっていますので、人間の場合は、それがたいへん複雑な反応になっています。逆にいえば、他の動物の方が感情は単純で分かりやすいということかも知れません。どうして分かりやすいかといいますれば、それは我々人間にとって分かり辛いというだけで、群で生活をする動物にとっては、感情というものがコミュニケーションの重要な手段になるからだと思います。 >そもそも、感情とは本能的欲求から派生しているものだと思うんですが、家族が死んで悲しくなったり、人間みたいに精神に異常をきたしたりするんでしょうか?。 そもそも、情動行動というのは「学習行動」です。 「本能的欲求」に基づいて情動が発生するということはありません。厳密にいいますならば、情動というのは欲求が満たされたり、阻止されたりすることによって発生します。食欲が満たされるならば「快情動」が発生し、阻止されたならば「不快情動」が発生します。これは、性欲に対しても全く同様です。ですから、情動というのは特定の本能的欲求に対応して発生するものではないということですね。 情動を発生させる機能そのものは生得的なものですし、喜怒哀楽といった感情のパターンも多くの哺乳動物に共通の本能行動です。ですが、何に対して、どのような情動を発生させるかという「偏桃体の判断の基準」は、これは生後の体験・学習によって獲得されたものであり、それによって選択される情動行動は全てが「学習行動」ということになります。 情動行動が本能行動であり、それによって家族の死に対して情動が発生するということであるならば、他の動物にもそれは可能です。ですが、情動行動は学習行動なのですから、「家族」や「死」といった概念が理解できないのであれば、それに対してどのような情動を発生さたら良いのかということを学習することができないということになります。 ですから、多くの動物にとって、このようなことに対して情動を発生させるのは、極めて難しいことだと思います。更に手を抜いた説明でたいへん申し訳ないのですが、母猿が身を呈して子供を守ったとか、イルカが仲間を助けるとか、これに関しては世界中から様々な報告が山のように寄せられているようですが、どうしたことか、依然、これといった決め手になるようなものはないらしいです。 ということは、これを逆に考えるならば、高度な学習が可能であるならば、人間以外の動物でも家族の痛みに対して情動を発生させることはできるわけであり、それは単に複雑さの問題でしかないということになるのではないでしょうか。 何故、人間は言語を理解することができるのかといいますれば、それには言語中枢という、他の動物とは明らかな解剖学的違いがあるからです。では、どうして人間は他人の痛みを理解することができるのかということになりますと、それは、大脳皮質がより複雑な処理を行なうことができるからというだけで、解剖学的な違いは特定することができません。 人間には他人の痛みを理解することができます。ですが、経験・学習の乏しい幼児ではまだできませんよね。まして、「死」などといった概念となりますれば、言語を持たない他の動物にとっては複雑過ぎるはずです。人間は理解し過ぎるために精神を病んでしまいますが、あちらこちらで報告されている動物たちの心の痛みとは、逆に、ストレートで純粋であることが大きな原因になってくるのではないかと思います。 結局、人間が家族の痛みに対して情動を発生させることができるのは、脳が複雑な情報を処理することがきるからだという、ありきたりな回答になってしまいます。ですが、飽くまで私の考えは、人間の持っている感情は、決して特別ものではないということです。何故ならば、哺乳動物が獲得した情動のメカニズムや役割は、みな一緒であるからですね。 少々歯痒い結論で申し訳ないのですが、まだはっきりと解明されていないことがたくさんありますので、ご勘弁下さい。 それから、たいへん失礼ですが、#2さんのご回答には、はっきりと訂正をさせて頂きます。 >ただ、ヒトの大脳のある箇所に電気刺激を与えるとある感情が起こる、別の場所は悲しくもないのに悲しくなる、腹を立てる、など、感情が(当然ながら)大脳の働きにより大部分支えられていることがわかっています。 >動物も、哺乳類はヒトとよく似た構造の大脳をもち、たとえばネコの実験ですがある部分に電気刺激を与えると怒ったようなそぶりをしたり、威嚇したり、といった反応を示しました。 大脳皮質の特定の部位を刺激することによって対応する情動が発生するなどということは、まず考えられません。電気刺激によって何かの「記憶」が想起され、それに対して情動反応が起こったという話であるならばまだ分かるのですが、もしかしたら、ペンフィールドの「記憶想起実験」と勘違いしておられるのではありませんか。何れにしても、それによって感情の大部分が大脳皮質によって支えられていることが確かめられたなどと、幾ら何でもデタラメ過ぎるのではないでしょうか。 それから、ネコによる実験は、「中脳中心灰白質」に対する刺激実験だと思います。このため、中脳中心灰白質は偏桃体からの信号を元に「恐怖行動」や「攻撃行動」を選択する中枢ではないかと考えられています。 #2さんの知識の元が「視床下部の刺激実験」であった可能性もありますが、こちらは既に古過ぎて、事例としては使えませんね。何れにしても、大脳皮質は全く関係ありません。

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