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緑十字船「阿波丸」と潜水艦「クィーンフィッシュ」

10pphの回答

  • 10pph
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回答No.3

何故、民間船を狙うかというと、これは通商破壊戦という戦術です。 石油や原材料となる物資とか人を乗せた商船を沈没させる事によって、敵国の生産活動や経済活動を停滞させ、国力を低下させる事によって、戦争継続を諦めさせ降伏させる戦略でもあります。 ですから、貨物船やタンカーは格好の攻撃目標です。 また、旅客船は戦争中は各国で軍事輸送用に用いられているため、通商破壊とともに補給物資を送らせない兵站破壊でもあります。 日本も通商破壊戦は行っています。 対馬丸については、その船形が明らかな「貨物船」ですから敵は攻撃します。 学童疎開船を攻撃したのではなく、対馬丸が貨物船だから攻撃したのです。 対馬丸を撃沈させた「ボーフィン」はその3日前にも対馬丸と遭遇していましたが、この時は攻撃し損ねました。 このとき対馬丸は上海から沖縄に陸軍兵士2~3000名近くを乗せていたそうです。このとき沈められても悲劇だと思います。 対馬丸は兵員輸送にも使われていた船ですから、アメリカとしては見過ごせません。子供を乗せているのか?、兵員を乗せているのか?、敵は外観からはうかがい知れないのですから、疑わしきは攻撃するのが普通です。 日本軍もアメリカをはじめとする連合国の民間船を攻撃しています。 ただし、アメリカ軍は民間船の船団に対しても充分な護衛艦船を付けていた為、被害は少ないです。 日本はこうした商船の航路を防衛する為のシーレーン防衛の重要性を理解していなかったため、多くの商船に犠牲を出しました。 アメリカが阿波丸を攻撃して沈没させたのは国際法違反でした。 ただし、国際法のもとでは、阿波丸の事と対馬丸のことは次元が違います。 日本は、戦争中、オランダの病院船「オプテンノール」を不当に拿捕した事があります。 こちらは戦後、オランダに対して賠償金1億円を支払っています。

pbf
質問者

お礼

同じ船舶でも、本土への帰り航路はなぜか無事だけれど、大陸へ戻る航路で沈められたとよく聞きます。前者は民間人の引き揚げを乗せた船で、後者は補給の兵站を乗せたものとみなされるからでしょうか。このへんは手厳しいながらもアメリカ人のスポーツマンシップを感じます。「オプテンノール」の話は存じませんでしたが、病院船拿捕もルール違反でしょうね。 ですが、少なくとも緑十字船を「撃沈」することは、最も卑怯な行為だと言えるのではありませんか?そうとアピールしていた船なのですから。 通商破壊作戦という考えのことも存じませんでした。詳しくお教えいただけて、たいへん参考になりました。

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