- ベストアンサー
【長文乱文】俺のニート的発想
文章にするのが苦手なので箇条書き風にしました。 自分の幸せは、 結局自分が幸せだと思えば幸せなんだとあたりまえの結論になったのですが、 それでも、 自分の幸せは他人の評価も含めて自分の幸せになるので、どうしても他人にも認めてもらわないと幸せにはなれません。 しかし、 知り合い全員に認めてもらえる自信は全くありませんし、一人からでも批判されたら凄い凹みます。 自分も納得して、他人も納得する。 こんなことは不可能です。だから、他人に何を言われても強い心を持ちたいです。 そのためにどこかの宗教に入ろうかとも思いました。 なぜ働くのか分からなくてニートに成る人よりも、固定観念や、何も考えずにレールにしかれた人生を歩んでいる人のほうが愚かに見えてしょうがありません。 江戸時代の士農工商は農民が8割がたいたそうですが、あてはめたら僕は農民です。細かく言えば農民からも嫌われた農民です。このままだと一生税金というなの年貢を納めるだけの他人のための人生になりそうです。小学生のときに思いましたが農民だけは絶対にイヤです。 まだ20歳ですが、できれば30歳以上の方、上記のことを考慮して『何が幸せなのか』という問いにどんな結論になったのか教えてください。お願いします。 徹夜でバイトだったので、返信は多分明日以降になります。回答があればの話ですが。
- みんなの回答 (11)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その他の回答 (10)
- soraniaita
- ベストアンサー率24% (76/311)
- bo-suke
- ベストアンサー率23% (58/242)
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
- russy1
- ベストアンサー率11% (20/178)
- moon_rabit
- ベストアンサー率10% (6/59)
- Flak45
- ベストアンサー率29% (91/306)
- north073
- ベストアンサー率51% (536/1045)
関連するQ&A
- 士農工商の”農工商”に差はあるの?
江戸時代の身分制度として有名な士農工商。 時代劇を見ていても、武士に頭を下げる町人や農民が出てきますし、武士は苗字帯刀など特権があったことは有名です。 しかしその下、農工商に違いがあるような話は聞きません。大工が農民に頭を下げたり、商人が職人に遠慮したりする描写は見たことありません。農工商の間には何か違いがあったのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 【日本史で】士農工商が無かったとニュースでやってま
【日本史で】士農工商が無かったとニュースでやってましたが、士農工商は無かったとすると誰でも侍、武士になれたってことでしょうか? 農民が戦後に行って、死んだ武士の身包み(鎧)と刀を拾えば、次の日から侍の刀をタダで手に入れたので農民から武士と名乗れた? 放浪、浪人武士はそんな感じだった?
- ベストアンサー
- 歴史
- 武士とは何をしてたの?
江戸時代に士農工商の身分制度があったことは小学生の時に習いました。農民、工作人、商人などは読んで字のごとくでどんな仕事をしていたのか良く分かりますが、武士とは具体的にどんな仕事をしていたのですか?刀を差して道を闊歩するだけで何に対してお金を得ていたのですか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 【日本に士農工商が無かった】という嘘をまた付くんで
【日本に士農工商が無かった】という嘘をまた付くんですか? どこまで日本史を美化させていくつもりですか? 朱学があって士農工商という文化はない? おかしくないですか? 身分制度はあったでしょ。 日本にみな平等だった時代などない。 みな平等だった時代から朱学の教えが伝来して身分制度が出来た? 身分制度があったから稲作文化が出来たんでしょうが。 普通に考えて日本に士農工商文化は無かった。みな平等だったって誰がこんな嘘の日本の歴史教科書を信じますか? 明治時代に一度大々的に書き換えてさらに書き換えてもう日本を美化しまくった歴史教科書を作ってこれが歴史と言えますか? それだったらもう朱学は伝来していなかったとなりますよね。 おかしくないですか? 矛盾している。士農工商制度があったという方が辻褄が合う。
- ベストアンサー
- 歴史
- 江戸時代の統治制度が上手く機能した理由?
江戸時代の統治制度 ・士農工商その他の身分制度 ・農民を相互監視させたこと ・参勤交代などの各大名に反乱を起こさせない工夫 等があると思いますが、人口の大多数を占める農民が 統治制度に従った理由は、なんでしょうか? それなりに生活が安定していた反乱を起こす必要がなかった、 もしくは、反乱を起こす気力を奪う恐怖の刷り込みで等が行われていたからでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 富農はどうして剣道場を開くことが出来たのですか。
江戸時代の身分制度、士農工商の中では、名字帯刀が許されたのは武士のみだったはずなのに、どうして農民の身分である富農は、剣道場を開くことが出来たのでしょうか。たとえば、農民出身の近藤勇は実家に剣道場があったということです。「富農」と「道場」でGoogle検索すると、「名主・富農層が自宅に持つ小道場によって。。。」のような記述がたくさん見られますが、理由や背景を探し出すことが出来ませんでした。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 御神輿は本来
初めまして。関心事として興味が湧いてきたのが、お祭りの御神輿や山車、太鼓など…歴史物に興味深くなりました。若い頃は歴史の科目は大苦手、まったく勉強もしなかったのですが…知識を蓄えたいと思い質問。御神輿は神様を祭る乗り物と伝えられてますが、昔、幕府時代、士農工商時代ですか?その頃の農家農民は貧しい生活を強いられていたので、その地域の裕福豊作を祈願する為、地域事に神社と言うものを祀り…、年貢を府に収める為、お米や穀物を沢山収穫しその一部を城下に納め、その対価として府から出来高で渡された貨幣を貰い生活していたと聞いてます。それで本題なんですが、お祭りは、春や秋の収穫時期などの時に、農民達の行事として年貢を納め対価を貰う日で、豊作な時ほど農民は喜び分かち合える楽しい日となり、神様に感謝すると聞いた事があります。それが今となるお祭り祭事で、御神輿はその年貢の対価を貰う為に神様を乗せ府からお金を貰って運んでくる御神輿と聞いた事があります。だからなのでしょうか?御神輿は神社より豪華絢爛で光輝いた作りをしてて、担ぎ手は、ワイワイワッショイセイヤセイヤと御神輿を派手に運ぶのでしょうね。みなさんの御神輿の由来、聞かせてください。また私の間違いも指摘下さい、勉強したいので宜しくお願いします。
- 締切済み
- 歴史