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【長文乱文】俺のニート的発想

文章にするのが苦手なので箇条書き風にしました。 自分の幸せは、 結局自分が幸せだと思えば幸せなんだとあたりまえの結論になったのですが、 それでも、 自分の幸せは他人の評価も含めて自分の幸せになるので、どうしても他人にも認めてもらわないと幸せにはなれません。 しかし、 知り合い全員に認めてもらえる自信は全くありませんし、一人からでも批判されたら凄い凹みます。 自分も納得して、他人も納得する。 こんなことは不可能です。だから、他人に何を言われても強い心を持ちたいです。 そのためにどこかの宗教に入ろうかとも思いました。 なぜ働くのか分からなくてニートに成る人よりも、固定観念や、何も考えずにレールにしかれた人生を歩んでいる人のほうが愚かに見えてしょうがありません。 江戸時代の士農工商は農民が8割がたいたそうですが、あてはめたら僕は農民です。細かく言えば農民からも嫌われた農民です。このままだと一生税金というなの年貢を納めるだけの他人のための人生になりそうです。小学生のときに思いましたが農民だけは絶対にイヤです。 まだ20歳ですが、できれば30歳以上の方、上記のことを考慮して『何が幸せなのか』という問いにどんな結論になったのか教えてください。お願いします。 徹夜でバイトだったので、返信は多分明日以降になります。回答があればの話ですが。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.11

30歳以上に回答権があるようなので50歳以上の私も参加させていただきました。 『何が幸せなのか』 私はこの答えを「日本に生まれたこと」と考えています。平和でよほどの不運に見舞われない限り殺される心配はなく、餓え死にする心配もなく食べて行けて、病気になれば充分な医療を受けられる。こんなスゴイ国が世界の何処にあるでしょうか。私は本当にラッキーでした。 でもこの答えにたどり着くまでにはずいぶん紆余曲折、悩める日々をたっぷりすごしました。 悩める理由はあなたと同じ、人目と欲ですね。 人からどう見られるかが心のどこかにいつもあって、人の言葉に一喜一憂し、振り回されるから疲れる。 人より楽して良い暮らしがしたい欲があるから、能力も無く努力もしないくせに、欲求だけはたっぷりで不平不満の日々。 振り返れば恥ずかしくて、消しゴムで消してしまいたい人生の一節ですが、これがあるから現況の幸せを認識できる私がいるので抱えています。 この心境に達するには、やはりたっぷりと悩み落ち込む時間を持ちました。 宗教?入らなかったけど本は色々読みました。 仏陀の教えの究極は、煩悩の原因になるすべての欲を無にすること。しかしこれでは喜びの元になる欲さえ捨てることになりそうで、私にはなじめませんでした。 たとえば物欲、あれが欲しいどうしても欲しい、と考えていて、頑張って入手したときの喜びを捨てると言うことは、人生の喜びも捨てることになりそうで、生きてる意味がないような気がしました。 でも、過度の欲は消滅したので、その中のひとつ「人からよく思われたい」はすっごく稀薄になり、その後は楽になりましたね。相手の気持ちになって考える余裕も広がり、仕事にも良い影響が出て褒められることが増えました。人からどう見られてもかまわないけど、褒められるのは相手が喜んでいる結果なので、私も嬉しい。と言う感覚になりました。 神道は哲学がないので宗教ではないそうですけど、「神社に行ったらとにかくお礼を言うのだ」と教えられました。旅先の神社ならそこまで無事にたどり着けたお礼、氏神様なら日々平穏に過ごせているお礼。 「お~!そう考えればこの世はなんと感謝の種に溢れていることか。」と感動しました。 とにかくお礼から始まる考え方は、私にはカルチャーショック。傲慢だった自分に終止符が打てた瞬間でした。 つまり、宗教にはまらなくたって、自分の考え方ひとつで、農民だろうと楽しく豊かな人生が送れるってことです。 年貢を納められるのは羨ましい状況ですよ。 我が家は所得税を払っていません。何故かというと元々所得が低いのに、たっぷりの医療費と障害者で老人の扶養家族のおかげで、収入より控除の額が上回ってしまうからです。私の夢は2割の年貢を納めること。所得税が2割になる「収入」がある暮らしって、余裕有りなんだろうなぁ、と想像しながらも、ネットで検索して必要な物が1円でも安く買えるとこぼれる笑顔。これも又幸せってことです。

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その他の回答 (10)

noname#104477
noname#104477
回答No.10

‥‥>上記のことを考慮して『何が幸せなのか』という問いにどんな結論になったのか教えてください。お願いします。 まだ二十歳の貴方がここまで人生を真剣にお考えとは驚きです、自分の同時代と比較してなんと素晴らしい方でしょう。 人間は十人十色、何が人生の目的、何が幸福かなんて何千年もの過去からの、そして永遠の課題です。 仏陀、キリスト、マホメットなど過去の偉大な宗教家も悩みぬいた末にそれぞれの教義を完成させたのでしょうね、大変立派な先人達です。 しかし私はその偉大な宗教家達の仲間に松下幸之助氏を入れたいと思います。 過去の偉人達はその価値観の殆んどを精神的な面に置いてきましたが松下氏はそれに加えて「人間の幸福は繁栄と平和の中に在る」と言う価値観を創造しました。PHPの考えです。 貧すれば鈍する、金持ちケンカせず、などの言葉は経済がいかに大切かと云う事を如実に表わしているのです。 勘違いしないで下さい、テレビでやっている『貧乏を楽しんでいる人』の事ではなく本当に生活が、生きていくのが大変な状態の人の事を言っているのです。 結論です 『自分の好きな事を職業に選び、充分な収入が有り、そして自分を取り巻く人々を幸福にする』と言う事です。 机上の空論と思いますか?それとも偽善と思いますか? しかしこれは事実に裏付けられた幸福感、満足感、達成感が有ります。 今から22年前に独立して長年の夢であった家電店を開業しました。そして店名に「お客さんを大切にする」と言う意味の言葉を入れました。 ナショナルショップでは有りませんが松下氏の思想を経営の主軸に置いていることは言うまでも有りません。

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回答No.9

貴方は、何故そんなに人の視線が気になるのでしょう。 価値観は一人一人違うものです。 貴方は自分の自身の無さを、人に責任にしている様に思えます。 人の評価を受けるためには、何も言いわけなどせず、淡々とその職務に責任を持った仕事をする努力をしてください。人の心を考えた、優しい人になりましょう。これ見よがしな行動ほど、人に悪い評価を与えます。 宗教を学ぶという事は良い事ですが、出家などをするためには、かなり強い精神力が求められます。極限状態まで自分を追い込んだ結果でしか、業は終わりません。その為に、体がご不自由になられる方いるくらいです。 良いお寺を選び、そこの御住職様と良くお話をされたり、座禅をしたり、写経を始めて見てください。 お金を得ようとするような、新興宗教はお止めください。 そして、懺悔で自己の罪を許されると考える、キリスト教も、自己満足だけの世界であると考えていますから、きちんと個人での修行ををさせていただけるには、やはり仏教でしょう。 又、現在では、日本以外の国では、(特にイギリス・アメリカ)スピリチュアルの考え方が、当たり前と受け止められています。 書籍で言えば、船井総研の船井幸雄氏の本、三輪明宏さんの本などをお読み下さい。 又、ボランティア活動の視野に入れてください。「さわやか福祉財団」という組織があるので、そこにお入りになるのもよいでしょう。

参考URL:
http://airw.net/newage/index.html
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  • bo-suke
  • ベストアンサー率23% (58/242)
回答No.8

バイトしてるならとりあえず社会適正能力は持ってますね。ならとりあえず生きてはいけますね。 幸せをあなたが知っていないのと同じように他の人も知らないのですよ。 それどころか原始人さえ幸せの形を知らなかったのです。 皆幸せだとずっと思って生きた人間はいないんです。だから誰も幸せが何なのか未だに検証できていないんです。近代以降人間は科学の力があるから皆何でもかんでももう判った気になっているけど、実は自分の幸せが何なのかもわかっていないわけです。 農民は農民でいつも悩まずに生きてこれました。豊作ならそんなに困らずにその年を過ごし、不作なら将軍のせいにできたからです。今は誰に八つ当たりすればいいかもわからない世の中ですから、ある意味農民より不幸かもしれませんね。でも農民は農民で不幸だと感じる時があったはずです。 さらに戦後では暴動や青年の実存主義に基づく自由運動が盛んでしたが、彼らも自分の政治活動が幸せを導くと感じていたようですが失敗に終わっていますし、本当に彼らの政治が幸せを導くようなものだったかも怪しいです。実際社会主義のソ連は崩壊しています。 これだけの反証が存在する以上、もうすでに皆こうすれば皆が幸せになれる、と言うような科学のような公式が存在するかどうかも疑わしいのです。 失礼な質問になりますが、あなたは強い心と言うものが一文二文で定義できるような、それこそ近代の哲学知のように表現できるものだと、そしてそれで表現できなければ私は永遠に強い心にたどり着けないと考えてはいませんか。 もしそう考えているのなら、あなたは西洋哲学という宗教の信者となっていることになります。 原始人はそういう考え方はできませんが、子供に狩りの仕方を教えることができます。新しい便利な道具を発明することもできます。つまり哲学が無くても考えることはできます。科学が無くても発明はできます。あくまで哲学も科学も合理的かつ半永久的な保存可能な知体系だというだけで、それ以外にも知、知恵、知識、知の体系は存在するのです。ところが今の世の中はそういった似非宗教で金を巻き上げるようなクソや朗もいますので、他の宗教を信じれば救われると言うものでもないです。と、いうことはどうしようもないのでしょうか?まだ何かありますよね。 そう、あなたが知の体系を構築すればいいのですよ。自分だけの力で。 例えば他者に認められるために、あなたはどういう努力をすればいいのでしょう。会社に入りますか、起業しますか。するとして明確なビジョンややりたいことはありますか。きちんと実行に移せますか。するために必要な技術を大学で学ぼうと考えたことはありますか。他者に認められなかったときに、あなたはどういう対抗をすればいいのでしょう。ただ対抗するのではなく、相手の認めない理由に対してどういう理論武装をすればいいのでしょう。相手が非理論的な中傷をしてきたらどうですか。ただ理論武装するだけでなく、一つ一つの言葉に対して別の台詞を用意しないといけないかもしれません。相手が実際的な実力行使に出たらどうしますか?逃げますか?戦いますか?そうするとしてどうやって?戦うためには準備をしないといけないですよね。柔道を習いますか?銃の扱いを習いますか? あなたは今出した答えに何時間答え続けられますか。いくつ対応を用意していますか。あなたは本当に何かをわかっていますか? 言おうと思えば、まだありますよ。続けますか? …。 あなたはここでくすぶっている場合じゃないのではないですか。あなたにはできることがある。それは同時にしなければならないことでもある。哲学みたいにいっぺんにものを考えることは確かにできないかもしれないけど、あなたはあなたの考えを以って現実と、ある程度ではあれ戦えるのではないですか。こういうことにまで頭をめぐらせたことはありますか。あなたは何かをしましたか。 …これがポスト構造主義の主旨です。実践知の重視です。 つまり幸せの形は今わからなくても、色々幸せに向かっていくうちにわかるものなのかも知れないし、そうしないと明確なビジョンさえもてないものなのかもしれないのです。 さあ、今あなたは始めてたつのです。そして歩いてください。歩くうちにどこに行けばいいか、効率の言い歩き方が、どこに行きたいのかがわかるかもしれませんよ。ここで立ち止まっていても何も来ないことだけはわかっているのでしょう。なら細かく実践することです。必死に想像しなさい。 失敗したからなんですか。死にませんよ。殺しませんよ。相手が油断しているうちにあなたの方法でそこから逃げてやりなさい。いつか逃げ出せますよ。しなければずっとそのかごの中ですよ。覚えておきなさい。 そして思い描きなさい。「絵にかけるほどはっきりと!!!」

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.7

色々書いていらっしゃいますが、要点は「知り合い全員に認めてもらえる自信は全くありませんし、一人からでも批判されたら凄い凹みます。」という箇所ではありませんか。 批判されて何も感じない人はいませんから、凹むぐらいは普通でしょうが、「一人からでも批判されたら凄い凹む」という点が気になるのではありませんか。 これは明らかに自分に自信が持てないという状態を現わしています。 その批判に対抗できるだけの姿勢が明確に定まっていないということです。 今、私は「考え」と言わずに「姿勢」と言いました。 大事なのは「理屈」ではないのです。 何かに興味を持ち、与えられた機会を最大限に生かし、工夫をして、少しでも良い結果が展開するように立ち向かう「姿勢」です。 【>なぜ働くのか分からなくてニートに成る人よりも、固定観念や、何も考えずにレールにしかれた人生を歩んでいる人のほうが愚かに見えてしょうがありません。】 私にも若い時はありましたから言いたいことはわかりますが、こういうことを言ってはいけません。 なぜ生きているのかわからないのに、食欲だけはあるのではありませんか? 何も考えずにレールにしかれた人生を歩む人を愚かと言うのならば、色々なことを考えて正しい答えが求められない場合は餓死する覚悟がなければなりません。 それはできないでしょう? 自分の言ったことを良く考えて、ここはひとつ大いに反省して欲しいと思います。 私は決してニートを否定するわけではありません。 自らニートの道を選択するのに誰の許可もいらないはずだからです。 【>小学生のときに思いましたが農民だけは絶対にイヤです。】とのことですが、農業はいいですよ。 やったことはありませんが、人間の理想的生活ができるのではないですか。 私ぐらいの歳になってしまうと、もう体が文明(文明って何でしょうかね)に毒されていますから無理ですが、お若い方には是非農業を志して欲しいと思います。 農薬漬けの小手先農業(規模だけは大きいですが)ではなくて、自然の力を生かした真の農業です。 年貢を納めるのは稼ぎすぎるからです。生きていくに必要なだけの農業でいいのではありませんか? 歩く道路を作るのだって、学校にいくのだってお金がかかるわけですから年貢がセロというわけにはいかないことはお分かりでしょう。 他人のためではありませんよ。 自分の家の前の道路を舗装するお金を隣の人に出してもらうわけにはいかないということです。 さて、前置きが長くなりましたが「何が幸せなのか」。 冒頭でも触れましたが「自信を持って生きる」ということでしょう。 あなたは、その自信が持てないでいるので幸せとは感じることができないのだと思うのです。 自信の持ち方? 『自分を信じる』ということです。 現在なぜ信じられないかと言えば、『信じられるようなことを自分はしていない』ということを『あなた自身が良く知っているから』です。 端的に言えば、恐らくsarubobo-さんは「自分の人生を歩んでいる」のではなく、「誰かに歩かされている」と感じているのではないでしょうか。 『どんな人生であっても、自らの選択した道であることに変わりはない』 と私は感じています。

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  • russy1
  • ベストアンサー率11% (20/178)
回答No.6

生物には環境が必要です。あなたにとって環境とは何ですか。

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noname#15725
noname#15725
回答No.5

これだけ、世相が暗ければ、気持ちもわかるんですよね。<ニート 今月だけでも明日突如崩れるやもしれぬ住宅、無意味に殺される小学 生。暗黒のシャッターがいつ降りてきても不思議じゃない世相じゃぁ 明日の行く道なんて虚無だものね。 でもね、昔だってあったんだよね。デカタン不良とかね。 親が望んで働かなくても良い、という有閑階級ならばそれはソレです けど、そうでなければ、まず親の幸福を踏みにじってませんかね? 金銭的不安や精神的不安。子供の行く末を案じない親がいましょうか。 農民は愚直だったかもしれない。しかし、馬鹿ではないです。 自分を省みて、反省し、承認し、生きる。他人の意見を聞き、反省し、 受け入れる、反論して、生きる。 その繰り返しでしょう。 なぜ、批判されてヘコむのか? それがそうだと思えば承認し、違え ば反論する。それだけではないですか。悔い反省し、または自分の良 心に計って非ならば非で、それを誰が馬鹿にしましょうや。 当たり前すぎる気がしますが、人は人によって人となる。 です。 ところで、大体年収1千万以上の収入で、ようやく税金の黒字分たり えるそうです。それ以下は、国のサービスに対し(良い悪いは別)赤 字なんですよね。つまり、法人税や国債で養われている訳です。 農民の存在は黒字だけれど、あなたはそこまでがんばれますか? 百姓は泥の中をはいずり回ってがんばったんだぜ。

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noname#14618
noname#14618
回答No.4

まず前提として、人間は自分の幸福を最初に求めなくてはなりません。 何故なら、自分がおなかが空いているのに人にご馳走はできません。 逆に考えると、幸せな人は他人の幸せを認め、不幸せな人は認めません。 君がこれから、自分の思う人生を歩み、幸福を手に入れても、不幸せな 君の周囲は君の成功を認めません。 君の望みをかなえる為には (1)自分の幸せを徹底的に追求する。 (2)周囲の人間を成功者で固める。 でも・・そんな人生は味気ないでしょうね。いろんな人に囲まれてはじめて人間ですから まず、自分の思い描く幸福を追求することです。

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回答No.3

バイトしてたら、ニートと違うやん! 税金を納める人があなたの言う農民なのですか? ちょっと理解出来ませんでした。 何を言いたいのか? 年貢も納めるだけではありませんよ。 子供を持てば、児童手当金などの貰えるお金もありますが、 あまりにも出世してしまうと、貰えません。 適度な人生を歩んで、国から貰えるお金も貰える人生が幸せだと思いますよ。 税金を納めさせられて、さらによその子を養っているのかと思うと腹立ちます。 月々5千円ですよ。 貰いなさい! 私だったら、働きません。

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  • Flak45
  • ベストアンサー率29% (91/306)
回答No.2

他人に認めてもらえて誰も批判しない。 世間一般でいう成功者と呼ばれる人たちですら,そんな人はいませんよ。 人間は不完全なものです。完全でしたら人間ではないと思います。 ごく一般的な企業で机を並べている人も,同じ建設機械を動かすオペレータでも,となりに立っている人と価値観や趣味が相違するのはごく当たり前のことです。 出勤風景をみるとすべて同じ無表情な社会人に見えるかもしれませんが,人それぞれに違った人生があります。 不完全である人間であることを楽しみながら,自分自身につきあっていくしかありません。 弱い心であってもサラリーマンでも職人でも何かひとつに打ち込んで20年も続ければ,何かが見えてくるもんだと思います。 その過程を悩みながらも楽しめればいいんじゃないかと思います。 自分も相談者と同じように人生の意味に悩んで,今も悩み続けていますが,働く職場があって給料があって家族がいて趣味を通じた友人がいて,落ち込むことがあってもそれなりに楽しい人生を送ってますよ。 でも,20歳にもどれるのでしたら,食べていくのがやっとでも南の島でのんびり暮らしたいですけど。 そういうことがまだ可能なあなたがうらやましいです。 十分悩んでくださいね。

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  • north073
  • ベストアンサー率51% (536/1045)
回答No.1

幸せというのは、自分が誰かのためになったことを実感することだったり、自分が思っていたとおりのことを思っていたとおりにできることだったりします。 それは、めったにないからこそ、幸せなんですよね。 永遠に幸せであろうとするから、いつまでたっても自分が不幸に思えてしまうんじゃないですか? 幸せは、生鮮食品です。最上級の牛肉が手に入っても、何ヶ月もすれば腐ってしまうように、幸せは、その日その日に手に入れるように動かなければ、やってはきません。 まあ、そんな中で少しでも幸せを多くみつけられるような仕事を選ぶということは重要なのかもしれませんが。 ちなみに、人に与えられた人生は有限です。「なぜ働くのか」をいつまでも頭の中だけで追い求めて幸福を見つけられないよりも、少しでもましな方向に動いて少しでも幸福を多く拾っていくほうが、人生トータルしたら幸せの総量が多いと思いませんか。

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