• ベストアンサー

石原莞爾がA級戦犯に問われなかったのはどうして?

ある本には、理論家の彼なら 「だったらこの法廷にペリーを呼べ」と、 論戦では連合国側を打ち負かしてしまう 恐れがあったからとありましたが、 本当のところはどうしてなのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

当の石原本人は覚悟はしていたようです。 昭和22年4月25日、極東裁判の酒田出張法廷に石原は証人として出廷していますが、この法廷の冒頭で石原は、 「不思議に堪えないことがある。満洲事変の中心は自分である。錦州爆撃にしても、滴洲建国立案も自分である。それなのに、この私を戦犯として連行しないのが腑に落ちない。」 と発言しています。(「石原莞爾」楠木誠一郎 PHP文庫) 石原本人にとっても不起訴は意外だったようですが、 石原は、反東條の代表格であることと、終戦時には余命幾ばくも無い末期癌に侵されていた、ということを考えれば不起訴も不思議な事ではないと思います。

pbf
質問者

お礼

病人だったという事情があったのですね。 その石原を予備役へと左遷した東条が、 逆にA級戦犯にされるとは歴史の皮肉でしょうか。 ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (5)

noname#21609
noname#21609
回答No.6

他の方が「満州事変は太平洋戦争の発端ではない」としていますが、その考えはともかく石原莞爾自身が「このたびの戦争は満州事変を発端にして起こったことだ。違うか」との旨発言しており、連合国側のウエッブ裁判長自身も「その通りだ」としております。そこで石原は「満州事変を起こしたのはこの俺だ。満州国を作ったのはこの俺だ。なぜ俺を裁かんのだ。」との旨の発言をしているのです。 現在の歴史解釈として満州事変と日中戦争が関係は無く、日中戦争が直接の発端だとはしても少なくとも極東裁判ではこのように考えられていたようです。 そもそも連合国側は日本の過去に起こした戦争をどこまでも遡りたいとしていたのだから満州事変と日中戦争が関係があろうとなかろうと関係なかったわけです。そこでえらく昔まで遡ろうとする連合国にご質問者さんの指摘した「だったらこの法廷にペリーを呼べ」発言が出たわけです。

pbf
質問者

お礼

だとすると、どこまでも遡るなら勝者の側にも自己矛盾があることを見抜いたうえでの発言だったのかもしれませんね。ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.5

石原莞爾は、関東軍参謀として満州事変の企画立案者であったと言われますが、「日中戦争のきっかけとなった中心人物」ではありません。支那事変勃発時には、参謀本部作戦部長として、事変の不拡大に努力しています。 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/yatsu8hd/Ishiwara/JC.html なお、満州事変と支那事変は、直接の関連はあまりありません。「太平洋戦争の発端が満州事変」とか「満州事変から昭和20年までの15年戦争」と言った歴史認識は史実に沿わないと考えます。

pbf
質問者

お礼

ご指摘ありがとうございます。 私は一連の流れだと勝手な勘違いしておりましたが もう少し勉強しなおしてみます。 ぜひまた教えてください。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#21609
noname#21609
回答No.4

もともと東条と石原は仲が悪く、ミッドウェー海戦で敗北した日本軍を立て直すために東条は石原に意見を求めましたが「そもそも君みたいな人が戦争の指揮を執ることが間違っている。退陣しないならば言うべきこと無い。」とあっさり断られています。 そんな関係を連合軍は知っていたため石原から東条英機をA級戦犯するための証言をとろうとしていたのです。 石原莞爾は本来ならば太平洋戦争の発端となった満州事変を起こした関東軍参謀という高い地位でしたから彼が戦犯になってもなんら不思議ではありませんでした。事実ウエッブ裁判長も満州事変が此度の戦争の発端になったとしています。 しかしもともと病気だったということに加え、彼も戦犯にしてしまうと東条への証言がとれないと考えた連合国側は彼を戦犯にしなかったのです。 裁判長に「石原さん、あなたと東条とは思想上の対立があったようだが・・・どうですか?」とたずねられた石原は「そんな対立は無い!」といい返します。 すかさず裁判長は「そんなはずは無い確かに対立はあったはずだ!」といいます。 しかし石原は「確かに対立はあった。しかし思想上の対立など無い。私には思想というものは少なからずあったが、東条の馬鹿には思想などというものが無かった。」といい放ったそうです。 そこで裁判長はやはり仲が悪いというのは本当のことらしい。 これならば東条が悪いと言うに違いない、と踏んだ裁判長は「では、石原さん、この戦争で一番悪い戦争犯罪者は誰だと思いますか?」と聞きます。 そこで石原は答えました。「それは米国大統領トルーマンだ。罪の無い人々を原子爆弾によって20万人も殺し、それが正義だといえるのか!!」これを聞いた裁判長は記録の削除を命じて裁判は終わったそうです。

pbf
質問者

お礼

連合国側は、東条と対立していた彼に証人としての利用価値を探っていたけれど、思いのほかの反駁を受けて、腫れ物に触るのをやめたという感じだったのでしょうか。 ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • Bird1979
  • ベストアンサー率48% (114/236)
回答No.3

こんばんは 石原莞爾については、その死も早かったこともあって「謎」の部分も人物ですね。評価にしても二分しているようで。 別の視点での「石原-東京裁判」の分析です。ご参考までに↓ http://homepage1.nifty.com/SENSHI/study/isihara-1.htm

pbf
質問者

お礼

ありがとうございます。 ご紹介いただいた記事によると、彼は戦犯としての自己の責任を否定していたのですね。 自ら進んで戦犯になったという笹川良一氏といい、戦犯から首相に転じた岸信介といい、終戦前後に跋扈した人物には謎が多いですね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

彼はA級戦犯になるような国家及び軍を指導する立場ではありませんでした。 確かに満州事変にはかかわりましたが、あのときは参謀にすぎず、指揮官ではありませんし、その後の日中戦争には反対していたと思います。 また、太平洋戦争時には閑職であったかすでに予備役であったために責任を問われるような立場にはいなかったはずですのでA級戦犯の対象にはなりません。

pbf
質問者

お礼

それほど重要な地位にある人物ではなかったということですね。 ただ、日中戦争のきっかけとなった中心人物が、なぜまったく処分を受けなかったのか疑問です。 ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 石原莞爾が戦犯にならなかたのは?証拠がなかったから?

    何年か前に「その時歴史が動いた」で初めて石原莞爾を知りました。 番組の最後で、昭和23年のものというインタビュウー映像が流されました。 彼は、丹前を着て布団の上に座ってインタビュウーを受けており、その少し後に亡くなったとナレーターが言っていたようにも記憶しています。 「あれ、この人って戦犯ではなかったんだ。」番組の内容から考えるととても違和感があったのを覚えています。 その後、戦犯にならなかったのは、証拠がなかったからで、昭和30年代に彼の部下だった人の証言で初めて石原莞爾が立案者?だったことが判明したと読みました。(どのサイトだったか今は探せません。) これは、本当でしょうか? あんな大それたことが何の記録もなく行われる事は可能でしょうか?

  • 石原莞爾について

    東条英機が政権末期、、 石原に意見を聞いたそうですが、 石原は東条に対して 「君に政権運営は出来ない」と伝えたと聞いております。 もっと いろいろと 東条に 意見してあげれば良かったのに、と 残念に思えます。 石原には 本当の愛国心が無かったのでしょうか?

  • 石原莞爾について

    石原莞爾は、なぜ満州事変の首謀者にも拘わらず戦犯にならなかったのですか?また、なぜ他の軍人達は、石原氏が反対したにも拘わらず中国との戦争を拡大してしまったのですか?

  • 石原莞爾について

    石原莞爾は東条上等兵殿と揶揄したため閑職に追い遣られたとされています。愚弄している事は分かるのですが、具体的にはどのような意味なのでしょうか。石原からみて上等兵である事には間違いないという解釈も成り立つのではないかと思うのですが、その辺のニュアンスが分かりません。御存知の方、教えてください。

  • 石原莞爾について

    満州事変の立役者として有名な作戦参謀石原莞爾について質問です。彼はなぜ戦犯に指名されなかったのでしょうか?歴史シュミレーション小説等にも待望論(石原が陸軍大臣になっていれば・・などなど)が論じられ、現代まで期待値や人気度が高いのはなぜですか?最後に河本大作(石原の前任者)の謀略(張作霖爆殺)が成功していたら、彼が石原の立場になっていたのでしょうか?あくまで私観ですのでよろしくお願いします。

  • 石原莞爾について

    柳条湖事件の首謀者として有名な石原莞爾は、天才戦略家、天才思想家などと天才呼ばわりされていますが、私には天才と呼ばれる理由がわかりません。 当時の一般的な陸軍参謀と石原の違いなど、石原が天才たるゆえんを教えてください。

  • 石原莞爾

    日中戦争の口火を切ったともいえる満州事変を指揮したのになぜ戦犯にならなかったのでしょうか?

  • ロンメル将軍は生存していたら戦犯になったか

    第二次世界大戦は、戦争終結後戦勝国側による「国際軍事法廷」が行われニュルンベルク国際軍事法廷や極東国際軍事法廷などで敗戦国の政治家や軍人を処罰しました。 連合国でドイツ側でヒトラーの次に有名になっていた職業軍人ロンメル将軍(元帥)は戦勝国に処罰されたでしょうか?彼は捕虜の扱いなど交戦規定を守り、騎士道精神の持ち主で、最期までナチ党に入党せず。ドイツ参謀本部が貴族の将軍で占められていたのに唯一、平民出身の師団長だった。そして、日本の山本五十六のように海軍省次官や駐米大使館付き武官などの政治的ポストには無縁だった。そもそもWWIの時からの職業軍人で、政治的党派的行動に無縁だった。彼は平和に対する罪も戦争犯罪にも無縁と思われます。さて彼は無事に乗り切れたでしょうか?

  • 女性国際戦犯法廷

    女性国際戦犯法廷に関しては、様々な評価があるようですね。 NHKの番組改編問題が起きたとき、安倍晋三氏は、女性国際戦犯法廷では弁護士がいないと批判しました。 その批判に対し、主催者側は、「アミカスキュリエ」という形で被告側の弁護を取り入れた、と反論しています。 私にはこの反論に対し、疑問があります。 1.このアミカスキュリエというのは、完全に弁護人の代わりになり得るものなのでしょうか。 検察側の主張に反論したり、検察側の証人を弾劾したり、つまり、法廷において被告の利益を守ってくれる存在なのでしょうか。 2.弁護人がいなくても、アミカスキュリエがいれば、裁判は成り立つものなのでしょうか。

  • 石原莞爾はなぜ自論をすてたか。

    僕は最近昭和時代の軍人に興味がわいてネットめぐりをしてるのですが、疑問があります。 wikipediaによると満州事変を起こした石原莞爾は 戦後に世界最終戦論という思想を捨てているらしいのですが どうしてですか? 間違いと思わせる何かがあったのでしょうか? あと、 石原莞爾は日中戦争をやりたくないはずなのに派兵を決定してます。(すぐに撤回してますが:)これはなぜですか? 随分負けん気の強い人みたいだし、圧力とかに屈しそうな気がしないので自分の意思を曲げた意味がわかりません。。。 気になって夜も眠れません!よろしければご回答ください!