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石原莞爾がA級戦犯に問われなかったのはどうして?

noname#21609の回答

noname#21609
noname#21609
回答No.4

もともと東条と石原は仲が悪く、ミッドウェー海戦で敗北した日本軍を立て直すために東条は石原に意見を求めましたが「そもそも君みたいな人が戦争の指揮を執ることが間違っている。退陣しないならば言うべきこと無い。」とあっさり断られています。 そんな関係を連合軍は知っていたため石原から東条英機をA級戦犯するための証言をとろうとしていたのです。 石原莞爾は本来ならば太平洋戦争の発端となった満州事変を起こした関東軍参謀という高い地位でしたから彼が戦犯になってもなんら不思議ではありませんでした。事実ウエッブ裁判長も満州事変が此度の戦争の発端になったとしています。 しかしもともと病気だったということに加え、彼も戦犯にしてしまうと東条への証言がとれないと考えた連合国側は彼を戦犯にしなかったのです。 裁判長に「石原さん、あなたと東条とは思想上の対立があったようだが・・・どうですか?」とたずねられた石原は「そんな対立は無い!」といい返します。 すかさず裁判長は「そんなはずは無い確かに対立はあったはずだ!」といいます。 しかし石原は「確かに対立はあった。しかし思想上の対立など無い。私には思想というものは少なからずあったが、東条の馬鹿には思想などというものが無かった。」といい放ったそうです。 そこで裁判長はやはり仲が悪いというのは本当のことらしい。 これならば東条が悪いと言うに違いない、と踏んだ裁判長は「では、石原さん、この戦争で一番悪い戦争犯罪者は誰だと思いますか?」と聞きます。 そこで石原は答えました。「それは米国大統領トルーマンだ。罪の無い人々を原子爆弾によって20万人も殺し、それが正義だといえるのか!!」これを聞いた裁判長は記録の削除を命じて裁判は終わったそうです。

pbf
質問者

お礼

連合国側は、東条と対立していた彼に証人としての利用価値を探っていたけれど、思いのほかの反駁を受けて、腫れ物に触るのをやめたという感じだったのでしょうか。 ありがとうございました。

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