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「故障中」という表現は正しいでしょうか。
●「故障中」という張り紙を時折見かけます。これは正しい表現でしょうか。 ●「営業」とか「進行」のように何らかの行為や動きのニュアンスがある言葉の場合は、「営業中・進行中」と「~中」が付けられると思いますが、「故障」のように状態を表す言葉に「~中」は付けられないのではないかと考えます。 ●状態を表す言葉として例えば「晴れ」があります。この場合「晴れている」とは言えても「晴れ中」とは言えません。ですから「故障」という状態を表す言葉で、「故障中」とするのは誤りだと思うのです。 ●アドバイスお願いします。
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実は、 ●制止が解除された → 制止が解けた という表現で『制止が解除された』は“何らか(他者など)にやられている”というニュアンスの表現だという解釈だと思うのです。 一方、『制止が解けた』はyahoo掲示板でKさんとやりとりしていて、“何らか(他者など)にやられている”というニュアンスは無いということをKさんはおっしゃったのです。 それで『制止が解けた』が何らかにやられているというニュアンスが無いということは、どういうニュアンスになるかが知りたいのです。 それと ★視線をそらす行為を止められた →視線が勝手に留まった →視線が意志とは無関係に動かせなくなった →視線が自分の意志どおりに動かなくなってそらせなかった →視線をそらすことができなくなった ★頭の中で発せられた感じがあった →頭の中で勝手に浮かんだ ★何らかによって体の動きを止められた →何らかのきっかけで体の動きが停止[制止]した ★行為を止められた →意に反して行為が制止[停止]した ★(何らかによって)飲む・食べる動作を止められた →意に反して飲む・食べる動作が制止[停止]した 以上の★印の表現で言い換え前の表現は、“何らか(他者など)にやられている”というニュアンスの表現だという解釈だと思うのですが、言い換え後の表現は“何らか(他者など)にやられている”というニュアンスは無い”という表現だと言えるかどうかも知りたいです。 ここで質問です。 Q1.『制止が解除された』という表現は“何らか(他者など)にやられている”というニュアンスの表現であるという解釈は正しいですか? Q2.『制止が解けた』という表現は、“何らか(他者など)にやられている”というニュアンスは無いということはどういう解釈の表現になりますか? Q3.★印の言い換え前の表現は、“何らか(他者など)にやられている”というニュアンスの表現であるという解釈は正しいですか? Q4.★印の言い換え後の表現は、言い換え後の表現は“何らか(他者など)にやられている”というニュアンスは無い”という表現だと言えますか?もし言えないのなら、どういう解釈の表現になりますか? 詳しくわかりやすく教えて下さい。
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