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元外交官、杉原千畝が救ったユダヤ人について
「日本のシンドラー」ともたたえられる元外交官の杉原千畝について、去る10月11日にその生涯がドラマとして放送されました。ナチスから迫害を受けていた6千人ものユダヤ人の命を救うことを、自分の保身よりも優先させたその信念には心から敬服します。 http://www.ytv.co.jp/rokusen/main/story.html さて、今回のドラマを観て少々分からなかったことがありました。 杉原千畝の偉業に関しては、ある程度知っておりました。しかし、彼が救ったユダヤ人たちは、ビザの発給を受けた後にどのような生涯を送ったのでしょうか? 無事に日本を経由して中米の小国などへ行き着いた?あるいは、アジアの各地にたどり着いた?そして、イスラエル建国後にシオニズムの流れに乗って、同国へ渡った?それとも生き延びた人々は不幸にも少なかった? 一概には言えないでしょうけれども、杉原千畝のなした功績がどのように後世に引き継がれたのか、知りたくなりました。 ご存知の方はどうぞご教示くださいませ。よろしくお願い申しあげます。
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回答4は、事実関係が逆だと思います。 ユダヤ難民側に日本の通過ビザを取るように要求したのは、ソ連の方です。やっかい者のユダヤ難民が、ソ連領になるリトワニアから確実に出て行くなら、出て行かせようというのが、当時のソ連の方針でした。日本の通過ビザが、ソ連から確実に出て行くことを、保証するものだったわけです。 日本側も、最終目的地(オランダ領アンティル)の入国ビザと、旅費があることを、通過ビザを発給する条件としました。この条件を満たしていれば、杉原以外の領事も、ユダヤ難民に通過ビザを発給していました。 出国先が決まっていなかったり、旅費を持っていない外国人を入国させると、国内に居着かれてしまいます。今もそうですが、十分な旅費を持っていないと、どの国も、入国を拒否します。 杉原の場合は、十分な旅費の無いユダヤ難民に、人道上の見地から、ビザを大量発給したことが、外務省の命令違反になりました。杉原は、情報収集で、ユダヤ人と付き合いがあったので、ユダヤ人の相互援助組織の力を知っており、旅費のないユダヤ難民を入国させても、日本国内のユダヤ人団体が面倒を見るだろうと知っていたので、ビザの大量発給に踏み切ったようです。事実、十分な旅費が無いという理由で、入国を拒否されたユダヤ難民がかなり出てしまい、オランダ大使館と日本国内のユダヤ人団体が身元を保証するという条件で、入国が許可されました。 以下の質問もご覧になるといいですよ。 http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1707706
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- ss79
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No3の補足です。 当時日本とソ連とは1941年4月に締結した日ソ中立条約があり、5年間お互い不可侵を約束していました。 従ってソ連としては来るべき独ソ戦に備えて日本との友好関係は保持しておく必要があったのです。 日本政府の発行したビザを有するユダヤ人の旅行を止めることはソ連としては日本を無用に刺激する恐れを感じたのでしょう。 杉原さんの行為を日本政府の承認の下に行われているとおもったのでしょう。 これがスターリンが妨害しなかった理由です。
お礼
再度の回答をありがとうございました。 当時のソ連の対応について、非常に明解な解説をしていただき、よく理解することができました。ひとつの出来事も多方面から考察すると、歴史の面白しさをより味わえるものですね。 重ね重ね感謝申しあげます。
- ss79
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杉原さんの発行したのは日本を通過点としてどこかの国に避難する為の物で目的地は日本以外でした。 おそらくはユダヤ人に対しアレルギーの少ないアメリカが目的地だったと思います。 シベリア鉄道を利用し、日本に到着した後、アメリカに渡航出来たのは1000名ほどですが、その他の人々は当時ユダヤ人を受け入れられる中国の上海のユダヤコミニティに移りました。 これは日米が戦争状態になり渡航の便が無くなった為です。 これらの人は戦後イスラエルに移住しましたが杉原さんの功績を忘れず、彼の顕彰碑をイスラエルの地に建設し、事ある毎に訪れ献花をして彼に感謝しています。 当時の国際法では日本に留まるには改めて日本政府の承諾が必要だったのです。
お礼
回答いただきありがとうございます。 杉原氏の行動により、多くのユダヤ人が助けられたとのことで安心しております。 それにしても、独裁者スターリンがユダヤ人のソ連通過をよく許したものですね。(理由はわかりませんが。) 本当に幸運でした・・・。
- cse_ri2
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それから、著名人について二人ほど。 ドラマにも登場したニシェリ氏は、後日、イスラエルの宗教大臣になります。 次にレオ・メラッド氏について。 当時少年だったメラッド氏は、日本を経てアメリカに移動します。 文字通り徒手空拳でアメリカにわたったメラッド氏の家族でしたが、メラッド氏 はその後、シカゴの商品取引所を世界有数の証券取引所に育て上げる業績を 残しました。 ◎参考資料『エスケープ・トゥ・ザ・フューチャーズ』 http://www.tradersshop.com/bin/showprod?c=92
お礼
再度の回答ありがとうございます。 理解が一層深まりました。
- cse_ri2
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下記URLによると、千人ほどが外国に渡り、残りの五千人は上海のユダヤ人 居留区に移動して、終戦を迎えたようです。 終戦後、上海にいたユダヤ人は、建国されたイスラエルへと移動しました。 ◎参考資料『ウィキペディア-杉原千畝』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D
お礼
さっそく回答いただきありがとうございました。 せっかくビザを発給してもらっても、ユダヤ人たちは無事に難を逃れたのだろうか、と気ががりでした。 杉原千畝の尽力が無に帰さなかった訳ですね。安心しました。 URLも大変参考になりました。感謝申しあげます。
お礼
貴重なご意見をありがとうございます。 ナチス台頭以前は、ロシア(ソ連)におけるユダヤ人迫害はかなりのものだったようですね。映画「屋根の上のバイオリン弾き」でも、その様子が描かれておりました。 ならば、リトアニアからの厄介払いとして、日本通過ビザを条件に、ユダヤ人のソ連横断をスターリンが許したのもうなづけます。 日本到着後の模様まで詳しく教えてくださり、助かりました。