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「自殺」を考えるは難しい

illashigeの回答

  • illashige
  • ベストアンサー率53% (305/569)
回答No.4

1.自殺は逃避である 確かに。しかし、どうにも逃避したくなるようなつらい局面もあるかもしれません。これは、他者が判断できるものではないでしょう。 2.自分の命は自分だけのものではない 悲しむ人がいるとしても、迷惑がかかる人がいるとしても、つきつめれば自分だけのものでしょう。 3.自分の人生を否定する行為 否定に値すると思うのなら、否定するのも本人の意思でしょう。 4.人生の物語りは自分でつくるもの なかなか自分で作れるものではないと思います。エンディングを自分で作りたいのなら自殺はいい方法かもしれません。 5.愛は消えてもまた現れる そんな保証はまったくありません。 6.死にたいは生きたいの裏返し 詭弁、または、ほんとうに死にたい人の思いではないでしょう。 7.生き甲斐がないから死を考える その通りでしょう。 8.人生がつらいのはみな同じ そんなことはありません。人生を楽しんでいる人もいます。 9.死は人間の義務である、ならば生も人間の義務である 死は、人間の必然ではありますが、義務ではありません。文脈上、生もまたしかりです。 『肯定派』 1.自殺は選択である 確かに。 2.他者のために生きるは自己犠牲である 確かに。 3.自殺は自己の表現である 確かに。(最良の表現かどうかは、別にして)。 4.人生の物語りを完結するために死ぬ 完結しますね。 5.ひとつの愛のために死ぬ 愛する人のためになるのならば・・。 6.自分が死んだように生きるのが問題 問題であると思うのなら・・。 7.みんな死を忘れようとして生きている そうとも限らないと思うが、ま、そういうこともあるでしょう。 8.苦労話は自慢話に他ならない これは、意味不明・・。 9.生きる自由があるならば、死の自由もある これも意味不明。(前半の意味が当然後半も含むと思われる・・)。 と、いうわけで、自殺も悪いということもないでしょう。 しかし、誰にも愛されず、憎まれ、なんの楽しみのない、苦痛に満ちた人生を送る人にも、生きていれば明日の朝はやってきます。〔絶対とはいえないにしてもです〕晴れていれば、雲の高い秋の空が広がって、夏よりも心なしか澄んだ空気を呼吸できるでしょう。秋雨が降っていれば、ほっぺたに冷たい雨を感じることができます。 それがどうしたといわれても、それ以上でもそれ以下でもありません。 そのうちいいこともあるさって・・ないかもしれません。でも、明日はたいていやってきます。生きていれば・・。ぼくはそんな明日を楽しみにしています。だから、死にたくない。 とりあえず、死にたいと思うのなら、あさってまでのばしてみるのも悪くないのでは・・。案外人生なんて、そんなもんかもしれませんし。

allentown2001
質問者

お礼

御意見ありがとうございます。すいません、言葉足らずでした。否定と肯定の各番号項目はそれぞれ一応ではありますが関連しております。 「それ以上でもそれ以下でもありません」というお言葉は理解しております。世界が素晴らしいと感じるのに理由なんてありませんよね。喋った事もない人を好きになるのにも理由はないですよね。「理由がない」が素晴らしいです。この素晴らしさが一転絶望に変わるひとつが失恋なんでしょうね。 僕は昔失恋で死ぬ人を馬鹿だと思っていましたが今は考えを改めています。 死ぬ程の恋愛をしてそれが消えた時、その人はそこで自分の話を完結しておきたかったのかもしれません。無意識に。

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