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因果応報について
因果応報、カルマについてお聞きします。 因果応報とは、自分のした行為が良い事でも悪い事でも、その行為による影響が自分に返ってくる事。 自分に降りかかった災難は、全て過去に行った行為の業によるもの影響、という真理があると思うのですが、今回は、この業、因果応報について私自身が思った素朴な疑問をここで述べたいと思います。 例えば、私が誰かに殴られたとします。 何故、殴られたのか?…。 それは私が過去に誰かを殴ったから。 これは納得出来ます。 では、私に殴られた人は何故、私に殴られたのでしょうか? その人も過去に誰かを殴ったから?? そして、私に殴られた人に殴られた人も過去に誰かを殴ったから?? 稚拙な発想で大変申し訳ありませんが、私はこれらの業の根源は一体どこから発生したのか? そしてどこまでこれが続くのか、どうすれば悪因縁を断ち切る事が出来るのか。ふと考えたりします。 非科学的でとりとめのない質問で申し訳ありません。 真理を深く研究されている方、自分なりの考え方を持っている方、色々回答して頂けたらうれしいです。
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因果応報は仏教用語です。 「因果」 直接的原因(因)と間接的条件(縁)との組み合わせによってさまざまな結果(課)が生起すること。 「応報」 善悪の行いに応じて吉凶・禍福の報いを受けること。 ※ 広辞苑より 全ての事象は何らかのつながりにより起こっている、ということですね。そしてそれにより報い(よいこと悪いこと)が返ってくると。 現在日本では悪いことしたら不幸な目に合い、よい行いをしたらいいことが返ってくると使ってます。 >これらの業の根源は一体どこから発生したのか? 質問者様の話しでいきますとこうなります。 >例えば、私が誰かに殴られたとします。 何故、殴られたのか?…。 1.殴られるような悪いことをしたから(因)殴られた。 2.そのときその人はイライラしててあなたに八つ当たりをした。 つまり、イライラするような出来事があり(因)、押さえ切れなかったときたまたまあなたが居合わせた(縁)ので殴られた。 3.あなたがその人の嫌う言動(縁)をとったから(因)殴られた。なぜその言動を嫌うのか→過去同じ行動をとられ不快な思いをしたから。もしくは不快な過去を思い出すような言動であった、等。 >どこまでこれが続くのか 因果を断ち切るまで。 もしくはその繰り返しが不毛であると悟るまで。 >悪因縁を断ち切る事が出来るのか あなたに直接的な原因があるとすれば、その人と互いが納得するまで話し合い、その因果を消し去る。 あなたが直接的な原因でないとすれば、その人が間接的な原因の因果を断ち切る。 仏教的にいえば世界は「苦しみ」に満ちており、それは「十二因縁」から起こっている。その因縁を断ち切り苦しみから解き放たれるには「八正道」を行い涅槃にいたればよい。となります。 苦しみとは 四苦 生病老死 八苦 愛別離苦(愛する者と別れる苦しみ) 怨憎会苦(憎む者と出会う苦しみ) 求不得苦(求めても得られない苦しみ) 五陰盛苦(心身から盛んに起こる苦しみ) 十二因縁とは 無明に縁りて行生ず。 行に縁りて識生ず。 識に縁りて名色生ず。 名色に縁りて六処生ず。 六処に縁りて触生ず。 触に縁りて受生ず。 受に縁りて渇愛生ず。 渇愛に縁りて取生ず。 取に縁りて有生ず。 有に縁りて生生ず。 生に縁りて老死の苦しみ生ず。 八正道とは 正見:縁起の道理によって人生、世界を正しく見ること 正思:正しい思い、意志 正語:正しく真実の言葉を語ること 正業:正しい善い行いをすること 正命:心と体と口の働きを正しくして、正しい生活をすること 正精進:正しい努力を重ねること 正念:正しい道を憶念し、理想目的を忘れないこと 正定:精神を統一し迷いのない清浄な境地に入ること、禅定 つまり煩悩を消し去り、無我の境地にいたればよい。 私の解釈ですと(間違ってるかもですが)、「欲しがらなければいい」となります。 「心の底の底から、苦しみを苦しみと思わないこと。なにも望まないこと。正しく世界を見極める静かな心を持つこと。」です。 「不幸が訪れる」のがいやだとすればこう考えればいいのですね。 例として 「病気で自分はもう助からない」 世界(地球)には食物連鎖があり、全ての生き物は互いのエネルギーとなるためにお互いの命をもらっている。それは生き物のみにとどまらず、全ての事象は地球を支える糧となっている。 死ぬのは(一部の種類が)増え過ぎるとエネルギーが効率よく回らないから。何事も過ぎれば、結果地球のバランスは崩れることになる。ゆえに命には限りがある。 自分が死ぬのはこれによること。 しかし、考えてみれば自分を生かすために多くの命を自分は殺していることになる。でも自分だってもうすぐ死んで、灰となり、灰は地球を動かすエネルギーの一部として他の何かに与えられる。自分の命は消えても、他のものに変換され、未来をつなぐものの一部となる。 与えられた命の限りを嘆き、悲しむのではなく、自分ができるのは精一杯残りの命を使い未来につなぐ努力をすることだと悟る。 でしょうか? 自分の「不幸」の分だけ、他人は「幸福」になるかもしれない。けれど「他人の不幸」の上に「自分の幸福」が成り立っていることもまた然り。 それは「自分を幸福」にするために「他人を不幸」にすればいいということではない。それをすればゆがみを生み、やがては全てのバランスを崩すことになりうる。 全ては「流れ」、「変化」していく。 自分の「不幸」が「ゆがみ」によるものなら回避するために「さらなるゆがみ」を生み出すのではなく、「ゆがみ」をなくし「正しい位置」に戻す努力をする。それが「ゆがみ」でなければ受け入れる。 「失ったもの」は違った形で戻ってくる(かもしれない)。 そんなところでしょうか? 長くなってしまいました。この文が参考になれば幸いです。 一応仏教関連のURLを載せておきます。
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- overtone
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その 輪廻転生から抜け出し 仏になりましょう。 ガンバレー。
お礼
ご回答有難うございます。 そうですね。それが人間にとっての最終目標なんですよね。 でも、今の自分には解脱には興味ないですが^^; 私は私なりに今生で出来る努力と勉強はしていきたいと思ってます。 少しでもマシな人間にならなくては……。
- truth77
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>私はこれらの業の根源は一体どこから発生したのか? >そしてどこまでこれが続くのか、どうすれば悪因縁を断ち切る事が出来るのか。 根源:「自身の不幸の原因を、他人や環境のせいにする卑怯な心」にあると思います。 悪因縁を断ち切る方法:自身の内面にある悪しき心を浄化して行くこと、かと思います。 どこまでこれが続くのか:自身の内面にある悪しき心を浄化するまで、永遠に繰り返されると思います。
お礼
ご回答有難うございます。
お礼
とても丁寧に回答して頂き有難うございます。 沢山書いて頂いたので、色々考えさせられました。 自分に降りかかる悪因縁がどのような原因で表れたのかはわれ等凡人にはわかりませんが、その時々に起こる、因縁の影響により降りかかった事象は、全て受け入れて対処する精神的強さとか賢さは養っていかなくてはならないと思いました。 参考になりました!(^-^)