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藩士の希望役職について
藩の侍で実力や相応の身分があると望む地位は町奉行とか用人っだたのですか?まあ家老は望んでも原則その系統の家でないとだめとして。
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江戸時代初期であればともかく、中期以降はかなり実力主義になってきていましたから、家老はたんなる飾りで実権はその下あたりの地位にいるものが握っていたという例はたくそんあります。 町奉行や用人ではあまり政権の中枢の地位とはいえませんので、身分や実力がある上級武士ならそういう地位(その藩によって実際に政権運営にたずさわる役は違いますので役職名については普遍的な名称ではいえませんが。)を狙ったのではないでしょうか。 また、そういう地位につくための近道は藩主の側近役で認められることでしたから側近の役を狙ったかもしれません。 勘定関係の役は確かに実力主義で登用はされましたが、身分のある武士がつく役ではありませんでした。
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- ss79
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藩ごと、藩主の素質によるでしょうが、いわゆる家老職など世襲の身分で決まるもので実力を発揮出来ない人はより実務的な業務に着くことをのぞむでしょう。 しかし封建制度の下ではそれもなかなか難しいのが普通でした。 実力で腕を振るったのは史実では多く藩主が登用した人達です。 学問好きな藩主は実学の学者を、経済で苦しんだ藩主は経理に明るい人物をとそれぞれに人材を求めていました。 熊沢蕃山、大岡忠相、田沼意次、新井白石などそれぞれに水を得た魚のように活躍出来たのはその実力に活躍の場を与えた君主の存在が大きく影響しています。 君主の側近にいて日常の言動などを認めて貰うにはそれなりの地位にいたのが有利でしょうから用人や側衆から抜擢される例が多いのもうべなるかなです。
お礼
トップの見識が影響大と言うことですか、ありがとうございます。
- ginger0613
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勘定吟味役とかもおいしいでしょう。馬廻りにしてもなんの役職にしてもほとんどが世襲で望む役職には普通はつけません。
お礼
ありがとうございます。
お礼
勘定方の武士は何かと色々ありと言う事ですね、ありがとうございます。