• ベストアンサー

旗本の暮らし

一千石の旗本は、だいたい何坪程度の拝領屋敷に暮らしていたのでしょうか? 武家奉公人(侍・中間・女中)は軍役ではなく実際にはそれぞれ何人くらいいたでしょうか? 五千石くらいの大旗本の家老だと、百石前後はあった様ですが、千石の家の用人はどれくらいの家禄を貰っていたのでしょうか? 千石の屋敷の門は長屋門だったのでしょうか? 質問が多くてすみませんが、お考えを伺えると幸いです。

noname#30350
noname#30350
  • 歴史
  • 回答数1
  • ありがとう数4

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

千石以上の旗本は、全部で800家ほどしかありませんでした。 千石の旗本であれば長屋門でした。 屋敷の規模は人や場所によっても違いますので一概には言えませんが、二百坪くらいはありました。 家臣の数もその家の考え方や裕福さにもより、また役についているか無役か、どういう役職かなどによっても異なりますが、役についていれば千石クラスだと登城時にも4~5人の供は必要でしたから、男が用人、若党、中間、小者をあわせて6~7人くらい、女が2~4人くらいではないでしょうか。 このクラスだと用人でもせいぜい10石くらい、他は何両何人扶持といった程度で、譜代の家臣はいても用人くらい、あとは口入屋からの年季奉公人といったところでしょうか。

noname#30350
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 だいたい二百坪しかなかったのですか。うちの実家の方が広いです(笑)五~八百坪くらいはあるのかと思っていました。 用人も十石とはかなり少ないのですね。 家中筆頭の用人だと、同心(三十俵二人扶持)くらいはあるのかと思っていました。

関連するQ&A

  • 旗本

    一千石・三千石・五千石の旗本の場合、家臣の人数・構成、屋敷の数・坪数はそれぞれどの程度の陣容だったのでしょうか?

  • 長屋門つき屋敷

    地方の藩の武家屋敷で長屋門がついてる屋敷は何石取りの侍くらいからが所有してたのでしょうか?まあ藩によっても違うでしょうけど。

  • 冠木門と木戸門の違い

    江戸時代における武家(侍)屋敷に関する勉強をしています。 写真などを見ても木戸門と冠木門の違いがよく わかりません。 少し丁寧に教えていただけませんか。 長屋門との違いはよくわかります。

  • 江戸時代側室はどれくらいの身分から置けますか

    身分が固定している江戸時代で側室はどれくらいの身分や禄高から置けますか。大金持ちが囲う2号さんではなく将軍や大名の側室のことです。お家断絶防止のためだからそれなりの身分でなければならないし、側室を置くには住まわせる屋敷がいるし、付き人、女中などを雇う経済的基盤も要ります。 1.旗本や御家人 大身の数千石の旗本なら側室を置いたのでしょうか 2.家老以下各藩士 大藩なら万石以上の家臣もいますが。 3.公家 大臣や大中納言と身分は高いが五摂家を除けば数百石ですが、経済的におけたのか。 4.豪農豪商 財力はあるし、本間家など一部には苗字帯刀で士分もいます。

  • 江戸時代の武家屋敷についての書籍

    今から数年前になりますが、江戸時代の武家屋敷を図解でわかりやすく解説した書籍を購入致しました。生憎紛失してしまい再購入を検討していおりますが、書名、出版社を思い出せません。どなたか御記憶のある方がいらっしゃいましたら書名等ご教示頂ければと存じます。 書籍ですが、A4サイズぐらいの雑誌の様な感じで、小身の御家人の長屋から、大身の旗本屋敷、大名屋敷などの屋敷の間取りや様子を図解で非常に分かりやすく示していました。ほとんどがイラストで文章はごくわずかだった記憶があります。 また、同シリーズの書籍で江戸城における大名の将軍拝謁の様子などを示したイラストを示したものもありました。屋敷にしろ拝謁にしろ真偽はともかくはっきりと示したものが無かったので印象に残っています。 以上、、よろしくお願い致します。

  • 江戸幕府、この役職、どう言う仕事か?

    まず、「テレビの時代劇で、登場するセリフからだが、漢字書きでは不明なので、カタカナ表記でだが、質問したい」と、思います。 サンテレビ(兵庫県が、メインの放送エリア)では、「朝の時代劇」と言う、再放送の時代劇番組(毎週金曜日、午前5時50分から)として、桃太郎侍(日本テレビ・東映制作)が、 再放送されて ます。 大阪ですが、私が住む地域は、サンテレビも見れる為、先日再放送された回を、自宅で見た時に、気になりました。 気になった、問題の回で、気になったシーンは… 「ある武家屋敷を、高橋英樹さん扮する、主人公の桃太郎は、訪ねた。 その武家屋敷に、住んでるのは、御木本伸介さん(故人)扮する、コウケと言う、幕府の役職に就いてる、旗本(御家人)だが、桃太郎とは、現在で言えば、大学と高校を、足した様な学問所の同級生である。 桃太郎は、その旗本から、「相談したい事あるので、自分の自宅迄、来て欲しい」的な内容による、手紙を受け取って、訪ねた。 そして、その旗本は、「俺の仕事は、正月や歳末(年末)等、仕事ある時以外は暇なので、自宅で過ごしているが、それも何なので、コウケキモイリの○○殿に、お願いして、自宅で、武家の娘へ、学問や武芸等を教える私塾を、開いてるのだが、その師範(先生)を、桃太郎お前、ヤってくれないか?」的な内容で、打診を受けた。 桃太郎は、戸惑ったものの、行き付けの居酒屋さん兼食堂である、みちのく屋で、野川由美子さん扮する、玉川つばめ等、自分の知合い達面々と、相談した上で、「自分が、持ってる知識や経験、生かせるなら…?」として、師範をヤる事を決めた…」シーンに、なります。 参考迄に、問題の回は… 「御木本さん、扮する人物の上司である、コウケキモイリは、名和弘さん扮する人物。 「骨董品や、貴金属的な物品が、大好きで集めてるが、意中の物品あれば、違法な手段により、集めるのが、大好きである」人物だった。 この為、御木本さん扮する人物が、持ってる、ガラス製の孔雀の置き物も欲しくなって、御木本さん扮する人物の部下で、品川隆二さん扮する私塾の担当者を、脅してから、屋敷より持ち出させたが、何かの事情から、トラブルになった為、バクチの借金により、実際に脅させた、手下のチンピラ2人に、口封じとして殺害させたが、結局は気付いた、高橋さん扮する桃太郎に、自分の自宅屋敷へ乗り込まれて、部下と共に、成敗された…」が、主なストーリーに、なります。 そこで、質問したいのは… 「御木本さんと、名和さんが、それぞれ演じてた、コウケとコウケキモイリだが、江戸幕府では、主にどう言う仕事するのが、担当だったのか?」に、なります。

  • 旗本の暮らしぶりについて書いた本

    江戸時代の旗本の暮らしぶりについて興味があるのですが、文庫本や新書で旗本について書かれた本をご存知の方、教えてください。

  • 武士社会の階級について

     最近時代小説(歴史小説)をよく読んでいますが、いろいろな階級の人が出てきて、その序列(エラサ)がどうなのか、もう一つハッキリしないので困っています。  自分で一応次のように序列をつけてみました。  武士(お城勤め)、郷士、足軽、若党、中間 (1)郷士につきましては難しく、維新後は士族ではなく、平民になっているようです。一方、足軽で一代限りではなく世襲で代々続いている家柄の場合は、士族になっているという記載のサイトがありました。  こういうことから見ると、足軽の方がエライようにも見えますが、今でも残っている郷士の武家屋敷を訪ねてみますと、長大な長屋門で、脇には門番が訪問者を誰何するような出窓もあり、屋敷地全体は2千数百坪もあるような立派なものでした。また史説に寄れば、この家の始祖は、その藩の上士の五男で、藩主より広大な荒地をもらい帰農したのがその始まりであったとのことです。  この門構えや屋敷を見ますと、足軽や徒士よりずっと上という感じを受けます。郷士にもいろいろあると思います。また藩によっても違うと思いますが、足軽より下とは思えませんが、どうなんでしょうか? 2)歴史小説などを読んでいますと、若党は主人のお供をするときには、木刀を腰に差しており、武芸にも励んでいたようです。  そうすると、事あるときは主人に従って従軍するという風に想像され、士分ではないが家来のうち、中間は家来というより使用人(下男のようなもの)ということで、若党は中間より上という風に思いましたがどうでしょうか?  興味本位の質問ですみません。歴史小説も時代考証がどの程度しっかりしているのか、怪しいところがあります。江戸時代に詳しい方のご回答をよろしくお願いします。

  • 旗本

    駿府には城代・定番・町奉行などが置かれていた様ですが、その他の駿府勤番の旗本・御家人の役職、役高を教えて下さい。 加番についても教えて下さい。

  • 旗本について

    佐々木信濃守顕発や川路左衛門尉聖謨、根岸肥前守鎮衛以外に、御家人株を買ったり、二百俵以下の小身から五位諸太夫に出世を遂げた人物がいましたら教えて下さい。 出来れば、勝安房守など明治維新直前の人物以外でお願い致します。