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女性の扱われ方について

授業で女性の権利について勉強しています。 今は女性差別撤廃条約や男女雇用機会均等法などで女性の地位はかなり回復したと見られます。 ところで過去、ひどいときでは女性は具体的にどのように扱われていたのでしょうか? 中学の頃日本史でなんとな~く習った気もしましたが忘れてしまいました(^^;) 具体的に「どの時期にはどのように扱われていた」と教えていただけると幸いです。宜しくお願いします。

みんなの回答

  • m-jiro
  • ベストアンサー率55% (92/167)
回答No.10

江戸時代の女性は想像以上に大きな力を持っていたようです。家の中では総司令官は年配の女性(つまりお婆さん)だったようです。家の外に対しては責任を負わなくてよかったように思われます。そのことは女性の地位が認められていなかったというより女性保護の意味合いがあったのではないでしょうか(このような責任は家長がすべて負ったようです) 金銭についても妻は夫と別会計でした。何か欲しいときでも夫にはねだらず、実家に融通をしてもらいました。もし離婚となった時に妙な「後くされ」を残さないためです。江戸時代の女性は現代女性以上に自己主張していたと小生は考えています。ドラマ等に出てくる「江戸時代」は極めていい加減です。 新潮社の「武士の家計簿」がおもしのいです。

  • hanpty
  • ベストアンサー率13% (12/88)
回答No.9

地位というよりは役割分担と言ったほうが正確だと思いますが…  土地の奪い合い殺し合いが、男の仕事だった時代の習慣である家父長制度。父親が政治を任せられるため女性には選挙権が必要なかった時代のやり方が武士の廃業によって取り残され、女が社会に参加する余裕が(社会の側に)出てきたのに需要が低かった。そのため女性の社会参加に対する意欲は報われる事が少なかった。  差別があるとすればそれぐらいだと思います。従軍慰安婦などは「女性」がひどく扱われた例ですが、同時期の「男性」には「女性をあてがう必要もある捨て駒」あるいは「言葉の通じる動物」程度の価値しか与えられていなかったとも言えますから。両方とも「ひどい扱い」の「男性だったら」「女性だったら」でしかないのは良くわかるでしょう?  だからどうぞ、歴史上の非道を対象が女性であるというだけでひとくくりに軽く扱ったりはしないでください。対象が男性なら個々の原因を確認され、対象が女性なら女性差別の一例として片付けられてしまうと言うのでは、それ自体が差別的な扱いとなってしまいます。

noname#113260
noname#113260
回答No.8

日本の女性の地位ですが、想像よりもかなり高いものでした。 現在夫婦別姓を求める声がありますが、江戸時代までは夫婦は別姓で、有名な源頼朝の妻は北条政子ですし、室町8代将軍足利義政の妻は日野富子で、結婚しても夫の姓を名乗ることはありません。 また江戸期でも夫と妻の財産は別で、「三行半」という離縁状がありますが、あれを書くためには妻の持参金や財産を実家に返す必要があり、余程甲斐性のある男性以外できません。 返すものを返さずに離婚した場合、大体身分的に同じランクの家同士が婚姻しますから、不義理な人間と蔑まれ、武士なら特に再婚などとても出来ません。 つまり妻の後ろには実家があり、実家は自分と同等の力がありますから、妻を粗略にするとどういった報復を受けるか分かりませんし、冠婚葬祭で村八分状態になります。 また性の解放もなかなかオープンで、王朝時代などは夫のある身で浮気する人妻も珍しくないですし、江戸時代も寡婦になると多少のことは大目に見てもらえたようです。 徳川2代将軍秀忠の奥さんのお督は、佐治与九郎→豊臣秀勝と2人の夫を経て3人目の夫が秀忠ですし、娘の千姫も再婚相手に本多忠刻を指名しますから、今で言う恋愛結婚。 江戸初期の春日局など、うだつの上がらない夫を見捨て、お城勤めしてますし、けっこう江戸の女性は逞しいです。 小説などでは吉原の女郎などが悲惨に描かれてますが、男性はどうかと言えば、長男以外はスペアとして結婚も出来ずに細々と暮らすしかないですし、農家ですと生まれた時に女の子は売れるので育てますが、男は間引きと言って殺されることもあり、どっちもどっちかなと。

  • krmr
  • ベストアンサー率21% (7/32)
回答No.7

「コーラン」(16:60-61)によると、多神教時代のアラビアでは、女の子が生まれると、父親がそれを恥として女児を生き埋めにする風習があったそうです。 (岩波文庫「コーラン(中)」p81)

noname#40524
noname#40524
回答No.6

古代の日本では『崇拝』する対象でした。 その後ただ男子を生む事のみに期待され続け… 中世(戦国時代)では生理の関係か『けがれ』るものとされ、 政争の貢ぎ物にされていました。 江戸時代は農業の担い手として(奴隷状態) 近世はお手伝いさん状態(物ですな) そして現代 ようやく人間並みと認識されています。

  • olka
  • ベストアンサー率21% (46/210)
回答No.5

私も昨日たまたま知ったのですが、過去に身検制度なるものがあったそうです。 詳しくは参考URLをごらんください。 かなりショックでした・・・・・・。 確かに現在の日本での女性の地位は、参考先の頃や、世界の現状と比べれば、決して低くはない思います。 信心深い発展途上国では、少女が犬と結婚させられたり、強姦した義父と結婚させられたり、男性から一方的に婚約を破棄された身重の女性が体を埋められ投石で殺されたりと、怒りの湧き起こるような事件がありますから。 それでもまだまだ、女性差別は残っていると思いますがね・・・。

参考URL:
http://shibuya.txt-nifty.com/blog/2005/06/42_ed51.html
  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.4

過去ではなく、「現在進行形」で女性がひどく扱われている国として北朝鮮があります。 事例は、 * 農場に配属された女性であっても男性同様の肉体労働に従事する。しかし、男性は1人分の食料を配給され、女性は0.75人分とか0.5人分などと少ない食料しか配給されない。よって、夫を事故や病気で失った女性とその家族は、必然的に飢餓に陥ります。 * ノルマ達成のため、「勤務時間」終了後も「自主的」に作業を継続する。また、「自主残業」終了後には政治学習などをやはり「自主的」に行う。農繁期には、家に戻るのは12時過ぎ。主婦はその後で家事を行い、翌朝の日の出と同時に農場に行って作業を開始。農繁期には、半徹夜の状態が継続するそうです。 * 女性であっても、建設工事などに動員される。機会はないので、人海戦術で作業を行う。事故もしばしば。脱北して日本に戻った日本人妻の女性で、「建設作業に動員され、作業中に事故に遭い、背骨が曲がってしまったが治療の術もなく今もそのまま」という方がいるそうです。 北朝鮮の女性の悲惨な状況について、リンク先の本をお勧めします。最後まで読むのが苦痛になる本ですが、ウソは書いていないと思われます。

参考URL:
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30831459
noname#15701
noname#15701
回答No.3

質問とは逆になってしまいますが、女性の地位が高かった時代があったことも知る必要があると思います。 江戸時代は女性は働き手であったため、意外と地位は高めでした。 しかし、明治時代になると女性の手が必要とならなくなり、男性に依存するしか生きていく方法がなくなったため地位が下がってきたのです。 明治時代の評論家「平塚らいてう(雷鳥)」もいっています。 「元始、女性は太陽であった。真性の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。」

参考URL:
http://www.netpro.ne.jp/~takumi-m/book/042-mikudarihan-ennkritera.htm
回答No.2

こんにちは。 日本における女性の地位ですが、 明治時代に制定された民法では、妻は「無能力者」という扱いでした。したがって、「保護者」である夫の同意なしには、契約を結んだり個人財産を処分したりすることも難しかったようです。 しかし、昭和22年の戦後民法によって「家」制度は廃止され、妻の無能力制度も廃止となりました。

  • ftomo100
  • ベストアンサー率41% (297/723)
回答No.1

聖書でアダムに知恵の実を食べるようにそそのかしたのがイブとされたため(イブをそそのかしたのは蛇)か、キリスト教では女性は犯罪の象徴とされ迫害されてきました。 明治以降の日本では家父長制のために女性は家庭の付属物という扱いでした。

参考URL:
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Apricot/4966/adamunorinngo.html

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